僕らは空へと手を伸ばす

神凪柑奈

君は空を掴みたいから

 病院の廊下を静かに歩く。僕が目指す病室は一番奥の部屋。

 ノックをして病室に入る。それなりに元気そうな女の子がベッドに寝転がっていた。


「あ、おはよ」

「おはよう。体調はどうだ?」

「それなりには。君が来てくれるから私は寂しくないからね」

「そうか」


 彼女は僕の幼馴染み。病弱で入院しては退院してを繰り返していて、今年も短期入院を三回目になる。それでも、入院期間自体はだんだんと短くなっているので、容態は良くなっているのだろう。

 彼女は自分の病気のことをあまり話したがらない。『君といる時は楽しい話だけ出来ればいいからね』とのことだったので、僕もあまり言及はしない。だから、僕は彼女の病気のことをよく知らないし、良くなっているだろうと言うのもただ僕がそう思っているだけだ。


「あれだよね、スイカ食べたくなってきた」

「明日持ってくる」

「明日、か。どうやって持ってくるのさ」

「まあ、その辺は適当に考えるよ。母さんが」

「君も少しは考えるんだよ?」

「わかってるよ」


 丸ごと持ってくるのはさすがに迷惑だろう。それに、スイカは水分が多いから彼女の体調を悪化させかねないのだ。適量を食べさせ無ければいけない。


「めんどくさい身体だよねぇ〜」

「そうだな。でも、仕方ない」

「うん、仕方ない仕方ない。でもさ……」

「どうした?」

「私はこのままでもいいかなって。君は逢いに来てくれるし、あとこのままならいろいろ言うこと聞いてもくれるし?」

「ははっ、僕はお前の下僕じゃないぞ?」

「えっ、違う?」

「違うな、そこで本気で不思議そうな顔をしないでほしい」


 一体今まで僕のことをなんだと思っていたのか。確かに、彼女が退屈しないように彼女が欲しがるものは極力準備をしたし、したいことがあると言えばできる範囲ならやってやったが、それはただの善意だ。決して僕は下僕じゃない。

 時間にして、僕がいるのは一時間から二時間ほどだ。本当ならもう少し一緒にいたいところだが、無理をさせてしまうのは嫌なのでそのくらいで切り上げるようにしている。そして、決まって三十分ほど経った時に窓を開けさせる。


「窓、開けて」

「はいはい」

「あとあれ、薬も取って」

「はい」


 言われるがままに窓を開け、薬を手渡す。こんなだから下僕だとか思われてるんじゃないだろうか、ということに気づいてしまったが、彼女の下僕なら別に構わないかと思い始めていたのでそれは置いておく。

 起き上がる彼女を支えると、「そこまで弱くないから」と拒まれてしまう。


「空、綺麗だね」

「そうだな。今日は晴れてるからな」

「学校はどう? 私の隣の席の……えっと、小林さん、だっけ。元気かな?」

「生憎今は夏休みだ。それに、僕は学校が終わればすぐにここに来るから小林のことは知らない」

「あ、そっか。なら宿題は? ちゃんと計画立ててやってる?」

「もう終わらせた」

「ことごとく話の話題を潰してくるね……」


 課題なんかを残していたら、僕はここに来る時間を毎日削らなければいけなくなる。それは避けたいから終わらせたのだが、どうやら彼女は学校についての話がしたいらしい。


「まあ、なんでもいいや」

「いいのか」

「言ってても仕方ないからね。なにか面白い話ある?」

「……残念だが、ない」

「悲しいねぇ〜」


 結局、話題という話題は見つからなかった。

 話題が行方不明のまま適当にのんびりと喋っていると、彼女は青い空に向かって手を伸ばし始めた。


「なにしてるんだ?」

「届くかなって」

「そうか。届きそうか?」

「んー、意外と近くだからね」

「はぁ?」

「なんでもない。でも、届いたらいいな」


 その手は本当に空を掴もうとしていて、それでいてその手は、何故か本当に空に届いてしまいそうで、何故か無性に怖くなる。怖くなってしまって、慌てて彼女の手を握ってしまう。


「痛い痛い。どうしたの?」

「届けばいいな」

「うん、そうだね。その時は私一人だよ?」

「僕は置いてきぼりなのか……」

「あははっ、君は元気なんだから、いつでも空を掴めばいいでしょ!」

「空を掴むのは大変なんだぞ」

「掴めたことないでしょーが」


 嬉しそうに、楽しそうに、寂しそうに。

 今日の彼女は、少しだけいつもと様子が違う。毎日見てきた彼女の笑顔には少しだけ影があって、満面の笑みというようには見えない。

 理由はわからない不安が僕を襲ってくるが、彼女の前では僕も笑顔でいると決めている。だから、笑っていよう。

 彼女の手を握ったまま、僕は青空へ手を伸ばしてみる。


「届きそう?」

「まだ無理そうだな」

「よし、ヘリの準備をしよう」

「ちょっと待て、急に現実的になるな」

「あははっ!」


 ヘリなんか準備できるわけないだろう。いくらお前の下僕でも、できることとできないことがあるんだぞ。そんなことを思って、じゃあどうすれば空に届くのかという思考に至る。


「意外と簡単なんだよ」

「そうなのか。どうすればいい?」

「……明日になればわかるよ、多分ね」

「明日、か。気になるな」

「うん。さて、今日はそろそろ帰りなよ?」

「そうだな。スイカ、ちゃんと持ってきてやるから楽しみにしてろよ?」

「うん!」


 明日の楽しみがひとつ増え、僕は病室を後にした。






 翌日、僕が病室に着いた時には既に彼女は亡くなっていた。涙すら、出なかった。

 容態は既に最悪だったそうだ。入院の期間が短くなっていたのは、もうその時から彼女の容態が救いようのない状態だったからだと、医師から伝えられた。

 そして、彼女の両親から一枚の絵を手渡された。

青い空。雲はないし、鳥が飛んでいる訳でもない。ただの青空。

 そのとき、明日になればわかると言っていた意味が理解出来た。きっと彼女は空を掴めたんだろう。


蒼空そら……」


 蒼空。僕の最愛の幼馴染み。青空の名前をもらったのに、その青空の下を駆けることも触れることもできなかった少女。

 だから、きっと彼女はこれで幸せなんだ、と。そう思って、僕は静かに、青空の絵を抱きしめた。

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