第47話 大切なものを天秤にかけて

 

「…………」


 魔玉ニュークリアを欲しいという俺に、アリシアはものすごい顔をした。

 泣きそうだ。

 しかも、怒っている。

 さらに、仕方ないと自分に必死に言い聞かせている。

 差し出したくない。けれど、差し出さなければならない。そういう内心の葛藤がせめぎ合って、ぐぬぬぬぬ、とうめきをあげそうなものすごい顔をしている。


 アレだ。十年来の顔。

 アリシアと俺が初めて出会ったお祭りで、俺がくれてやるといったガラス玉を前に、自分の頬をつねってこらえた顔。

 かけがえのない宝物なのだろう。


「分かるよ。それはただの玉っころじゃねえ。高価な宝石ってわけでもねえ」


 小さい頃。叱られるのも覚悟で王宮を抜け出して、見ず知らずの男に殴られ、さらわれかけるというひどい目に合って、手に入れた安っぽいガラス玉。

 思い入れの問題なのだ。

 このガラス玉は、アリシアの心の支えなのだ。

 彼女が自らの意志で動き、自らの努力で手に入れた、たった一つの宝物なのだ。


「わりいが、その玉を弾にするしかねえんだ。気持ちは分かる。それでもだ。俺にアリシアの宝物をくれ」

「わかり、わ、わかり……」


 レアな顔だ。

 いつも温厚で他人のことを第一に考える、善性を煮凝りにしたようなお姫様の顔が、ああちくしょうって感じでめちゃくちゃぷるぷるしている。


「ました……っ!!!」


 振り絞るような声だった。


「すまねえ。絶対に無駄にはしねえ」

「絶対ですからね!」


 アリシアが泣いていた。気持ちは分かる。

 思い入れとか、こだわりとかは、理屈じゃないのだ。ましてや損得ですらない。

 もしもこれが、パーティの全滅ではなくアリシア一人の命の問題だったなら、彼女は魔玉を抱えて意地を通す方を選んだだろう。


「ああ、必ず」


 時間の余裕はない。もう少しで魔王は無敵を取り戻し、攻撃が通らなくなる。

 魔玉を受け取った俺は、砲室へと戻った。


 戻ったら、むわりとした湯気が充満していた。

 冷却液を通した配管が結露し、テスラコイルの熱で蒸発して部屋の湿度を上げている。サウナのような状態だ。さっき、第一射を撃ったせいだろう。


『どうするんじゃ?』


 頭の中へ、リィが尋ねる。


「お前に食わせる」


 ごうん、ごうん、がりがりと相変わらずうるさい砲室内で、俺は砲身を覆う合金の外側に魔玉を触れさせた。


『む?』

「弾を装填する」


 リィの砲身をすり抜けて、大きさ二センチほどのガラス玉が入っていくイメージを頭に思い描く。

 特殊合金でできた砲が粘土のようにたわみ、ゆるみ、どろどろのスープになって、魔玉がその中をオチャマジャクシとなって泳いでゆく――そんなイメージ。

 ぴちゃり、ぴちゃりと砲身の合金が水面のような波紋を浮かべ、その波紋は魔玉が奥深くへ移動するにつれて小さくなって消えていった。


『お、おおう、なんかこそばゆ――う、うおおお!?』

「うるさい」


 このリィの反応、アリシアが力が注ぐたびにしてくるので俺の対応もしょっぱい。


『力がみなぎる。なんじゃ。みなぎるぞ、あふれそうじゃ。びちびちびちびち』


 だろうな。

 常にアリシアの傍らにあり、数年にわたり彼女が受け継いだ魔王の力を吸い続けてきた代物だ。

 触れた瞬間から、制御できるか心配だったが……どうやらこの魔玉、アリシアだけではなく俺とも相性がいいらしい。

 より正確には、アリシアの魔力と俺の魔力の相性がいいというべきか。


「弾になれ」


 遠隔操作の魔法にイメージを乗せ、魔玉の形態を変えてゆく。


『おおお、わらわの中でちっこかった玉がでかくなっとるぞ。これなら大砲の弾丸として使える!』

「いけそうか?」

『エネルギー充填率が百二十パーセントじゃあ……!』


 そいつは――

 百パーセント以上ってことは、壊れずに安定して使える出力を超えてるってことだ。

 撃った後に、リィが無事である保障はどこにもないってことだ。

 なんてこった。

 大切な相棒を失う覚悟が必要なのは、アリシアだけじゃない。俺もか。


「リィ、悪いが」

『おう。気にするな。さっきと同じ威力に絞ったら、さっきと同じ結果にしかならんのじゃろ?』

「ああ、そういうこった」

『なら、気にするな』

「おう」

『今まで楽しかったのう……』

「そうだな」

『仕事に徹するんじゃぞ、ハル。お前はプロなんじゃろ?』

「ああ」

『わらわも兵器としての仕事を果たす』

「わかった」


 最後の最後で憎まれ口を叩かないリィが、少し恨めしかった。

 照準の固定。進路上の空気のパージ。誤差の補正……。

 さっきと同じ手順が、ほとんどそのままに再現される。


『ロックOK、発射準備完了』


 照準器と化したリィの声が、頭の中へと無機質に響く。


 俺は、引き金を――


「ファイア」


 引いた。

 かちりという、引き金の音。

 巨大なリィの砲身が赤熱し、白煙をあげた。

 対閃光の黒いガラス越しでもなお、まばゆく輝く光が道となって空にかかる。

 はるか彼方の上空。空中に縫い留められた魔王の鎧へ、超高速で巨大な弾丸がぶつかっていく。

 爆炎が、天を焦がした。

 黒い瘴気も雲も巻き込んで、大きな音を立てて粉々にくだいていった。


「あっけねえ……」


 魔王の鎧が、破壊された。

 全身鎧の脚部と、右腕の手甲の一部、左腕の肘当て、兜の上半分だけが宙に縫い留められ、ど真ん中が完全にくりぬかれていた。


「っ!」


 ばきりと、音がした。

 俺の上半身に熱線を感じ、見るとリィの巨大な砲身に亀裂が入って、どろどろの溶けた特殊合金があふれ出そうとしていた。

 鉄の融点、1000℃を軽く超える高熱だ。巻き込まれたら骨も残らない。


「くそ!」


 対衝撃用の安全ベルトを外し、俺は砲室を後にした。

 俺が出ていったのとほぼ同時に、魔砲グリグオリグは全長百メートルを超える砲身を溶融させ、ぐずぐずの金属のスープへと変わっていった。


「リィ、死ぬなよ!」


 逃げながら叫ぶ自分の声が、ひどく滑稽に聞こえた。



 ***



 吹きすさんだ風が、爆炎の熱を洗っていった。

 魔術師ルナことフェルビナクは、立ち上がって自分のサイボーグボディについた泥を払った。

 激しい戦闘の余波で地面は土くれがむき出しになっており、爆風をやり過ごすために伏せた際に泥があちこちについたのだった。



「ルナ……」


 魔王の鎧は破壊された。

 がらんどうになった鎧の破片が、魔法によって空に固定されている。

 鋼鉄の残骸を見上げ、フェルビナクは虚脱した。


「終わったぞ」


 誰ともなく、つぶやいた。

 つぶやいて、泥の上にひざをついた。


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