第46話 致命的なこだわり

 一方、その頃。

 サイボーグにして人類最強の魔術師ルナは、時間を稼いでいた。

 魔王を相手に、ハルがグリグオリグの大砲へ戻るための時間を稼いでいた。


「退いたな」


 くふ、と……。

 魔術師ルナは笑う。


「心が退いたな」


 くふ、くふ、ぐふ、ぐふふふ……。


「やけに下品な笑いだな」

「そりゃそうだろ。百年来の恨みだ」


 ルナから三十メートルほど離れた距離に、魔王がいた。

 銀色の光沢を放つ、全身鎧を着けた魔王が。

 魔王は鎧の身体のところどころを赤熱させ、しゅうしゅうと音を立てながら煙の柱を立てていた。


「こう考えているのだろう? あと少しの時間だけ逃げればどうとでもなる。また無敵状態に戻る。残り時間はたかが数十分。もはやリスクを冒して俺と戦う必要はない。何より、遠くから自分を狙っている魔砲の動向も気になる。破壊されるかもしれない。……怖い」


 くふぅ、くふぅ、ぐふぅ……。


「 “よし。隙を見て逃げよう”」

「…………」

「分かるよ。お互いに長い付き合いだ。なぁ、ルナ・パーシヴァル。魔王の矜持もへったくれもない。ただ、他人に嫌がらせしたい。安全なところから好きなだけ他人を殴りたい。お前にあるのはそれだけだ。うんざりするよなぁ、ルナ・パーシヴァル」


 ハルがその場にいたら、驚いただろう。

 あの師匠が、なんとあからさまで、安い挑発をするのだろうかと。


「だまれっ……!」


 びき、びき、と。

 魔王の鎧が、軋みをあげた。


「知るか。お前に用はないんだよ、ワルプルギスナハト。俺は勇者ルナと話してる」

「黙れ、黙れ、だまれっ、だまっ……」


 鉄仮面越しのその声が、夏場のシーズンを終え始めのセミのように弱弱しくなってゆく。


「おい、ルナ。根性見せろよ。俺たちの悲願が、魔王を倒せるところまでもう少しなんだぞ」

「おう……」


 鎧の中から、魔王のものではない声がした。

 その声とともに、鎧の軋みが止まっていた。


「起きたよ」


 魔王の鎧の中身、勇者ルナが意識を覚醒させた。


「おはよう、ルナ」

「おはよう、フェルビナク」

「あとはグリグオリグでとどめを刺すばかりだ」

「ふむ」


 地上千メートルほどの空中に浮かんだまま、ルナは彼方にある巨大な大砲を見やった。


「あれをあそこまで大きくするのに相当な魔力が必要なはずだが――ああ、アリシアの力を封印しなかったのか」

「そうだ。今回ばかりは俺のやり方が正しかったろう?」

「終わってから言うがよろし。お前の作戦はいつもいつも肝心なところでしくじる」

「ひっでえなあ」

「事実だろう。……ま、いい、始めるぞ」

「うむ」


 勇者ルナがうなずくと、


「うむ」


 魔術師ルナもうなずいた。


「魔術師ルナの魔力により、外部より束縛する。魔王ワルプルギスナハトの鎧を時空へ固定」

「勇者ルナの魔力により、内部より束縛する。魔王ワルプルギスナハトの鎧を時空へ固定」


 現行人類で最強クラスの二名による、内外からの結界術。

 ワルプルギスナハトの鎧を空間に縫い留め、的を固定すると共に、大砲の弾の威力を百パーセント確実に伝えるためのものだ。


 止まった。

 全身鎧が空に縫い付けられ、ぴくりとも動かなくなった。


「ようし、ハル! 準備は整ったぞ。やれ!」


 大声をあげ、魔術師ルナが閃光弾を宙に放つ。

 まばゆい光が昼の空を照らした。



 ***



「合図がきたぜ」


 空が光る。

 テルミットの光を照準器ごしに見つめ、俺は呼吸を整えた。

 砲室は、テスラコイルの電流と液体窒素の冷却とがせめぎあい、ごうん、ごうん、がりがりと、ひどく不快な音がせめぎ合っていたのだが……。


 雑音が消えた。


 あるのはただ、自分の呼吸と、心臓の音と、そして相棒から聞こえてくる声だけだ。


『重力による誤差を補正』

『砲口から目標までの空気をパージ』

『砲身および弾丸の熱膨張によるゆがみを補正』

『星の自転による影響を補正』

『エネルギー充填百パーセント』

『ロックOK、発射準備完了』


 砲口から空を飛ぶ魔王まで、透明な道ができた。

 凄まじい話だが、弾道上にある邪魔な空気が残らず取り除かれたのだ。

 いやさ、砲口から魔王まで百キロ以上の距離なんだぜ。どんな魔術を使ったんだか俺にはさっぱりわかんねえ。


 なんて――どうでもいいことを頭の片隅で考えながら。


「ファイア」


 かちり、と。

 安全装置を外された引き金を、親指で引く。


 それは、一瞬にすら満たぬ刹那の出来事。

 全長一キロメートルを超える魔砲グリグオリグから放たれた巨大な弾丸は、時速五十万キロメートルを超えて加速した。


 ばきいいいいいいいいいいい!


 魔王の鎧に、直径一メートルもの弾丸が直撃する。

 空間へ固定していなければ、宇宙の彼方へとぶっ飛ばしていただろう。

 魔術にて磁力を付与された巨大な劣化ウラン弾が、超硬度の完全剛体にぶつかって火を噴いた。


 ぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……!


 ウランが霧となり、放射線を帯びたオレンジ色の爆炎があたり一帯を照らす。

 爆音が、ここまで聞こえてくる。

 弾の破片が成層圏を超え、宇宙へと散らばっていった。


「やったのか?」


 師匠が用意した特殊弾頭は、もうない。


『わからん。ノイズがひどすぎてエネルギー反応が追えん』


 リィの、魔砲グリグオリグの声が俺の頭に響く。


「だろうな。放射線の影響で計器がぐちゃぐちゃだ」


 ならば目視で確認すればいいところだが、爆炎と煙とで視界がふさがれている。


『まて。感あり。上空と地面に巨大な魔力反応が合計二つ!』

「おいおい、マジかよ!」

『だめじゃ、だめじゃ、魔王の鎧はじぇんじぇん無事じゃああああああ!!』

「おいおいおいおいおい!」

『何を笑っとるんじゃハル!』

「追い詰められた時の癖だよこんちくしょうが!」


 笑いながら俺はコンソールに八つ当たりし、振り下ろした拳の痛みに顔をしかめた。



 ***



「馬鹿な!?」


 爆炎が晴れ、健在なりし魔王を目にして。

 魔術師ルナこと賢者フェルビナクは、あぜんとして叫んだ。

 電磁加速砲と化したグリグオリグの砲撃が直撃したが、魔王の鎧は、胸の上から腰回りにかけて長く細い傷がついたのみだった。

 その傷も、みるみるうちに再生されてゆく。


「必要エネルギーの二倍以上の安全係数をかけた! 絶対に破壊できる威力だったはずだぞ!?」

「おい、フェルビナク。どういうことだ……?」


 未だ拘束の呪文が解かれぬまま。空中に固定された魔王の鎧の内側から、勇者ルナが問いかけた。


「俺の方こそ聞きたいくらいだ!」

「まさかとは思うがお前、弾の質量を“貫”で計算したか?」

「それの何が悪い!?」

「きちんとキログラムに換算しなおしたか?」


 一貫は、三・七五キログラム。

 三・七五倍の計算ミスは、二倍にした安全係数よりも大きい。


「あ」

「…………」


 勇者ルナの沈黙は、呆れを帯び。


「…………」


 地上からそれを見上げる魔術師ルナの顔は、ひく、ひくと、震えていた。


「すまん」

「だ、か、ら! 下らんこだわりなんぞ捨てて初めからSI単位系で計算しろとあれほど!」

「すまん!」

「前もあったよな、帆船の骨組みに使う接着剤の重量を貫目で測った挙句にばらばらになってパーティが全滅しかけた事件が!」

「すまん!」

「ああもう、どうするのだ馬鹿! だから尺貫法もヤードポンド法もクソクソクソクソたわけが!!!!」



 ***



『なんじゃ、化け物の人間二人が仲間割れの口喧嘩しとるみたいじゃのう』

「くっく。あの師匠がか。マジかよ……」

『笑ってる間に逃げたらどうじゃ? 作戦は失敗じゃあ。魔王の鎧はもうすぐ動き出すぞ』

「逃げるっておめー、首に魔王の呪いがついたままか」

『おおう、そうじゃったな』

「それによ。まだ試したいことがある。

『あん……?』

「気が進まねえが、四の五の言ってられねえよな」

『どこに弾があるんじゃ? それにあったとしても、アリシア嬢ちゃんが注ぎ込んだ魔力はほとんど使い切ったぞ。もうあの威力の一撃は――』

「あるさ。とっておきのがな」


 立ち上がると俺は、砲室を後にした。

 近くにいるアリシア達のところへ移動する。


「まずい展開になった。弾は当たったが、魔王を倒しきれてねえ。で、次の弾が欲しい」


 アリシアとカレナへ、端的に状況を説明する。


「アリシア。悪いが、あんたの宝物を俺にくれないか?」


 魔玉ニュークリア。

 それは、アリシアの膨大な魔力を吸い込み続けた代物だった。

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