第45話 戦術的後退
陽が、ぶ厚くドス黒い雲によってさえぎられていた。
地形が変わり、あちこちに真新しいクレーターが出来た地面のそこかしこを、魔物たちが進軍していた。
魔王を中心に黒い雲――瘴気――の渦が発生し、その瘴気が凝縮して魔物が産み出され続けている。
師匠が用意した戦車、装甲車からなる機甲師団は、じりじりと数を減らしていた。
倒しても倒しても生み出され続ける魔物の後進に、戦車砲と機銃の弾幕は抗しえない。序盤は優勢だったのだが、第一波、第二派と殲滅していくうちに、弾切れを起こす車両が増えてきたからだ。
砲弾を撃ち尽くせば、戦車も装甲車も動くだけの鉄の塊にすぎない。
無人操縦の車両は、魔物たちに壮絶な体当たりをしては壊れていった。
そんな戦場を、俺は息を切らせながら走っていった。
目論見通り、魔王の鎧は時間を取り戻した。
今なら攻撃が通る。
後は魔砲グリグオリグの一撃さえ、電磁加速砲の弾さえぶちこむことができれば、俺たちの勝ちだ。
が――。
「~~~~~!」
耳の穴に、ハエが入り込むようなおぞ気がした。
魔王の殺意。
そこらのチンピラの遠吠えではない。歴戦の騎士や傭兵が放つものですら比肩できない。猛獣が獲物を狙う際の気を、何百倍にも濃く、鋭く、強くしたおぞましい気。
俺は、逃げ惑う餌だ。
背筋がびきりとひくついて、痒さすら感じる。
後ろを振り向けと、恐怖が云う。
振り向いたら死ぬぞと、恐怖が云う。
脚を止めて、身をかがめたくなる。
俺の心臓が張り裂けそうになりながら鼓動を打つ。
脚を動かしても動かしても殺意から逃れられない。それどころか、近づいてくる。
嗚呼……。
師匠が、殺られたのだ。
気づいてしまった。
「おい」
死が、喋った。
俺の横に魔王がいて、俺と同じスピードで並走していた。
「そろそろ殺していいか?」
「き」
ドクン。
「きえええええっ!」
これは俺の声か? 口から出ているのは確かにそうだ。
身体がすくむ。本能的に身をかがめていた。
脚をかけられた。
転んだ。受け身を取った。地面に転がるコンクリートの破片が身体じゅうをすりおろしてくる。しかし痛みを感じるどころではない。
見上げると、全身鎧が俺を見下ろしていた。
手甲に覆われたゲンコツが、俺の頭を捉えていた。
死ぬ。
加減がない手心がない忖度がない容赦がない。
拳がスローモーションで大きくなり、俺の鼻っ柱へ近づいてくる。
泣いていた。
躯となった俺を前にうなだれる、カレナとアリシアの泣き顔が脳裏に浮かんでいた。
死ねない。
死ぬわけにいかない。
それから起こったことは、自分で思い返してもどうしてやれたのかよく分からなかった。
右?
たぶん、右腕だったと思う。
決戦が始まる際に、俺たち三人で重ね合わせた方の手だ。
魔王の音速拳を、俺は払っていた。
おそらくだが、手の甲を魔王の手の甲に合わせ、魔王のパンチのベクトルをズラした。
打撃が俺の顔から逸れ、しかしほぼ同時に来た衝撃波が俺の身体を吹っ飛ばした。
実際のところ、ゼロコンマ数秒以下のやりとりだ。
再び俺と魔王との距離が離れ、次いで、ひょっこりと師匠が現れた。
「何!?」
体を崩した魔王を、蹴り上げる。
魔王ワルプルギスナハトの鎧の身体が、花火のように天高く打ち上げられた。
「ふははははははは、よくやった!」
師匠Cだ。
笑い声にドップラー効果を残して、現れた師匠Cが魔王を追撃する。師匠Aと師匠Bが破壊された今、あれが最後の師匠だ。これまで、後詰めの伏兵としてずっと息を殺して隠れていたのだ。
「おのれ!」
遠くから、魔王が怒声をあげる。
師匠が空中を走り、魔王が空中を飛ぶ。
ワルプルギスナハトには、戦闘開始にあった余裕も遊びもなくなっている。
師匠の打撃をかわす動作が増え、入った打撃の反射音にはきしむような響きが帯びている。
って、悠長に観戦なんぞしている暇はない。
「ああもう、だせえな俺は!」
股間のあたりが濡れていた。漏らしたからだ。俺が。
二十過ぎにもなった男がだ……!
化け物になっても破れない作りのこのズボンはけっこう高いんだが、なんてそろばんを弾くさもしさが輪をかけて情けねえ。
めまぐるしく思考が浮かぶ。場にそぐわないどうでもいいことを考えながら疾駆する。
魔砲グリグオリグの設置場所から、魔王のいる穴まで百とニ十キロメートル。つまり往復で二百四十キロメートルの距離を、俺は走る。
アリシアの魔力を借りて、化け物の身体になった状態でもさすがにきつい。
服のあちこちは散弾銃の弾のように跳ねてきた石で穴が開いているし、俺の筋肉も疲労とダメージが蓄積している。
走る。
走る。
走る。
途中、無数の大きな影が俺を覆った。
見上げると、翼を持つ魔物がこちらに降ろうとしている。
何十匹もいる。
翼を広げ、空を滑空し、次から次へとこちらへめがけて降ってくる。
師匠と戦いながら、魔王がなりふり構わず魔物を産み出しているらしい。
牛の頭、人間のような胴体と両手両足。二足歩行の姿勢をして。背中にはコウモリの羽根を大きくしたようなものがついている。大きさは三メートル近く。
「ちぃぃ!」
走る俺よりも、飛ぶ魔物の方が速い。
追いつかれれば戦闘になる。戦闘になれば、痛み切った今の身体で、しかも飛び道具がない状態でどこまで戦えるか分からない。相手は今いる数十匹だけとは限らない。次々に数を増やしていくのだ。
(どうする?)
彼方にグリグオリグの大砲が見える。豆粒ほどの大きさだ。
距離は、まだニ十キロメートル以上離れている。
近くの空に魔物がいる。
ヒュュュュウ……という空の魔物が立てる滑空音が、いよいよ大きくなってきた。
と――
「っ!?」
落ちてきた。
魔物が、俺の足元にべたんと落ちて、両手と両脚をばたつかせた。
いや。より正確には、魔物たちが、か。
野宿の際、虫燻しを焚いた時にぽてぽてと蚊やら蛾が落ちてくるように、べたんべたんと何十体もいる三メートル級の巨体が地面に落ちてくる。
落下した魔物は、受け身をとることもできず、両手や両足で立つことすらままならない。
「アリシアか!」
泥の魔物の襲来の時に見せた、魔玉ニュークリアの力。魔力を吸い取る力を発動させて、リィに近づく魔物たちを一蹴した――ということだろう。
しかし。
「相変わらずすげえな」
防御も回避も不可能。そして一撃必殺の魔力吸収の射程距離が、ニ十キロメートル以上にも及ぶとか。
「人間業じゃねえ」
べたん、べたんと、断続的に空から魔物が墜落してくる。
それを避けながら、俺は戦場を駆け抜けていく。
空を見ながら走った。
そうするうちに、落下してくる魔物たちのさらに上で、小さな鳥が飛んでいるのに気づく。
羽根が白い。
たぶん鳩だ。
「そういうことか」
カレナの使い魔だ。
カレナが鳩を通して見た映像を、アリシアに逐一伝えているのだ。だからこそ、俺の危機を察知して能力を発動させられた。
思考を巡らせながら、さらに走った。
魔砲グリグオリグを設置した砲台が近づき、カレナ達がいる塹壕のすぐそばに来た。
「助かったぜ……っ、はぁ、はぁ……」
陽が、空の高くまで昇っている。
塹壕で座禅を組むカレナとアリシアに、陽光が当たっていた。
「それは良かったけど、臭いよハル」
「カレナさん、あんまりでは」
二人とも俺の顔を見て安心し、しかしすぐに顔をしかめている。
「へはは……」
一方の俺は、苦笑する声まで締まらねえ。
漏らしたままだったからな。走っている間に乾いたが、汗や泥や擦り傷の血とが混ざりあってさぞやひどい臭気なのだろう。自分じゃ分からんが。
安心した途端に、身体がしぼんだ。
身の丈二メートルを超える怪物に変態していた身体が、元の人間のサイズにしぼむ。
「っと」
服がずり落ちないように、手で止めた。
さすがにこの状況で、女二人を前に股間の紳士を晒すなんぞ末代までの恥になる。
「今、最後の師匠が戦ってる」
「知ってる。何か言ってた話は、上手くいったの?」
「ああ。今の魔王になら攻撃が通る」
「そう。お疲れ様」
カレナは自分の鼻をつまみ、もう片方の手で俺の肩をぽんと叩いてねぎらう。
「ハルさん」
俺とカレナの会話が一区切りしたところで、アリシアもおずおずと近づいてきた。
顔が引きつっているのは臭いせいだろう。鼻を塞いでいないのは王宮の躾のせいか。
「何だ?」
ぎゅっと、手を握られた。握られた手から、力が染みわたってきた。
痛み切った身体の不快感が消え、骨と肉の軋みが消えた。
代わりに、細胞の一つ一つがぽかぽかと温かくなってくる。
「回復魔法か」
「魔物たちから吸った力の一部を注ぎました」
「助かる」
疲労感が消えた。傷もふさがった。臭いだけは相変わらずのようだが、凄まじい。アリシアの力があれば二十四時間ぶっ通しで働き続けられるんじゃねえか。
「む」
パチンと、カレナが指を鳴らした。気分が高揚した時のこいつの癖だ。
「ルナさんが結界術を使う準備に入った」
結界術とは、魔王を拘束し座標を固定するために師匠が用意した切り札だ。
「いよいよか」
俺はグリグオリグの発射装置へ向かった。
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