第44話 動き出す時間
彼方からの音が、腹に響く。
太鼓を思わせる音圧が、絶え間なく俺を打つ。
あらかじめ、耳に濡らした綿を詰めていた。そうしていなければ、今頃鼓膜がやられていただろう。
頬を、石のつぶてが撃つ。
噴火さながらに、無数の石が空から降っていた。
理由は目の前にある。
魔王が産み出した無数の泥の魔物めがけ、師匠がかき集めた機甲師団の一群が砲火を浴びせているからだ。
俺は今、そんな危険な場所へ向かっている。
戦車砲弾の着弾場所、魔物が密集し、魔王がいる場所。
俺の師匠が戦っている場所だ。
師匠の立てた作戦には致命的な欠陥があり、その欠陥を埋められるのは俺しかいなかった。
欠陥を埋めるには魔王のすぐそば、最低でも数十メートルの距離に近づく必要があり、そうしなければ俺たちの全滅は確定していた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
身をかがめ、なるべく硬い岩盤を足場に選び、跳躍を繰り返す。
筋肉増強の魔術を使い、巨人の身体となっていなければ、流れ弾に当たってとっくに死んでいただろう。
いや、それ以前に、戦場へたどり着く間に日が暮れているか。
今の俺は、一味違う。
アリシアの魔力を受け取って、俺の身体は過去最強になっていた。
いつもの変身がツキノワグマ程度とするなら、今はヒグマだ。同じ化け物でも倍以上にでかくなっている。
自分の身体ながら、感覚がついてこない。
力が強すぎて、バランスを崩しそうになる。事実、走っている途中で何度かコケた。
(だいぶ近づいてきた)
空気が異様な魔力を帯び、俺の肌を泡立たせている。
伸ばした手が見えなくなっていた。
爆発で生じた粉塵の濃度が上がり、視界は巨大なハリケーンの中へ突っ込んだような状態だ。上下左右から石つぶてがちょっとした拳銃並みの速度で飛来し、身体に当たってくる。
散弾銃を食らいながら進むようなものだ。
べき、べき、と、硬質化した身体に石が当たって、けっこう痛い。普通の人間がこの中にいればとっくにミンチになっていただろう。
両腕で顔をガードしながら、一歩ずつ足場を踏みしめる。
地面のそこかしこが砕け、あるいは溶けていた。どろどろの溶岩のようになった場所とさらさらの砂とガラスが混じった場所とが混在している。
靴はとっくに燃えて、灰になっていた。
素足に魔力を送り、硬質化させてどうにか俺は踏みとどまっている。
(師匠は、こんな中で戦ってたのか)
魔王級の化け物が全力で戦う時、あたり一帯の雑魚は即死するという。
神話や伝説のたぐいとして聞き流していたが、まさか自分がその中へ突っ込むとは思いもよらなかった。
鋼の筋肉に力を込めて石つぶての雨に耐え、視力の代わりに魔力探知で目標を探す。
と――
視界が急に開けた。
身体をばちばちと撃ち続けた石つぶてがなくなり、むわりとした、嫌な空気にとって代わる。サウナの空気に墨とゲロの臭いを織り交ぜたような悪臭がした。
魔王の瘴気だった。
瘴気が鼻先に当たり、当たったと思いきや全身を包み込む。
俺の身体が、正常な感覚をうしなってゆく。
肌は温感を失い、暑いか寒いかが分からなくなる。鼻はすぐに馬鹿になった。
綿を詰めた耳と、目は今のところまともだが、どのくらいまでまともでい続けられるかの保障はない。
(台風の目みたいなもんか)
背後には、相変わらず風と石つぶてが渦巻いていた。
俺は耳栓を外す。声を聞く必要があるからだ。
「なんだ。わざわざ殺されに来たのか」
魔王がいた。
近くに、蛇のような形をした魔物が二匹いる。といっても、普通の蛇より何倍もでかい。全長が数十メートル級の大蛇だ。
紫色の鱗を持ったその蛇は、ぐるぐるに身体を巻いていた。
巻いた身体の中に、師匠たちが拘束されていた。
「
叫ばずにはいられなかった。
「うう、う……」
「ガ、ガガ……」
師匠Aがうめく。師匠Bは頭から火花を散らしていた。
師匠Aには右腕がなくて、師匠Bには脚が膝からなくなっていた。
「なぜ来タノだ、タワけめ」
師匠Aの出す声のイントネーションがところどころおかしかった。
師匠Bの方はもう、火花を散らしながらの痙攣を繰り返してまともな言葉をしゃべっていない。
「本当にな。どうしてわざわざ殺されに来たのか」
魔王が、俺を見る。
「まさかお前、頭の中に馬糞でも詰まっているのか?」
魔王が、無造作にこちらへと歩いてくる。
「俺の首に呪いをかけたのはアンタだろうがよ」
「ああ。あれか、失念していた。そうだった。どのみち貴様は逃げても逃げなくても死ぬのだったな。……いや、待て。アリシアを売りに来たのか? ならば見直してやろう。どこだ。どこに連れてきた?」
俺から十メートルくらいの距離にまで近づいて、魔王はあたりを見回す。
完全に舐め切った態度だった。
俺が何をしようが、ダメージを与えられるわけがないという。
だが、実はそうじゃあない。
勇者ルナさんから託された魔王の弱点。それを俺は、突きに来たのだ。
「コマンド・プロンプト起動」
魔王の身体が、びくりと震える。
「メンテナンスコード入力」
魔王の身体が、動きを止めた。
「”SI単位系で考えろ”」
「音声入力による正規コードを認識。メンテナンスモードに切り替え。これより百八十分間、鎧に付与された時間停止魔法を解除します」
魔王の口から、別人のように流ちょうな女の声が発せられた。
これこそが、俺が勇者ルナから託されたことだった。
魔王が自分自身へ常時発動している時間停止魔法、その解除コード。
数十メートル以内の距離から、正規のキーワードを魔王に向かって唱えるすることで、魔王の持つ無敵属性を解除する。
あらゆる攻撃が魔王に効かない理由、それは
時間が止まっているからこそ、物理法則から切り離され、熱も衝撃も伝わらない。
時間が止まっているからこそ、内部にいる人間は年老いることもなく、何百年経とうが死ぬこともできない。当然、どんな力を持とうが鎧を脱ぐこともままならない。
しかしそれを解除した今なら、核兵器も魔砲グリグオリグの攻撃も通る。
「貴様ぁ!!」
全身鎧の仮面ごしから、くぐもった怒声が発せられる。
魔王のひざが曲がり、俺に向かって跳びかかる姿勢をとる。コンマ数秒のその動作を、俺は走馬燈のように凝縮された体感時間で眺めていた。
次に来る魔王の一撃。
受けを誤れば、俺は死ぬ。
冷や汗が、頬から噴き出す。
ひざを軽く落とす。軽くだ。曲げるのではなく、膝から力を抜くことでその動作を実現させる。ニトログリセリンを扱うように慎重に、大きな動きを避ける。
もし、この時――
俺が殺気を、攻撃の意志を少しでも放てば、その瞬間を察知して先をとられていただろう。
魔王のトップスピードは、おそらく師匠と同じ。わずかな溜めで超音速にまで加速する。
俺たちの距離は、十メートル足らず。
わずかにかがんだ魔王から、殺気が放たれていた。鋭い殺気だ。それは俺の鼻先を突き刺していた。鼻柱に拳を叩き込む意図がありありと読める。
その読みが出来たのは、死線の中で体感時間が極限まで長く引き伸ばされているせいだろう。
溜めのタイミング、“起こり”を見逃さず、カウンターを合わせる。
出来なければ、首から上が吹っ飛ぶ。
魔王がかがみ、思考がまとまるまで、コンマ数秒も過ぎていないだろう。
右足を半歩、後ろに下げる。
「っ!」
魔王の拳が、目の前にあった。
音を超え、瞬間移動したかと思うほどの刹那の出来事だ。
だが、それよりも速く、俺は自分の目の前に右の拳を“置いて”いた。
拳を前に突き出し、後ろ足に重心を置いて身体全体をつっかえ棒にする。向かってくる相手のスピードを利用したカウンター技だ。
突っこんできた魔王の鉄仮面に、俺の拳がクリーンヒットした。
ガキィィィィン……。
金属に衝撃が加わり、高い音が響く。
「くっ」
インパクトの衝撃で、俺の拳もイカれた。
ズキンという鈍い痛み。肉体強化した筋肉の鎧を突き抜けて、骨にひびが入っている。
だが、魔王の初撃はどうにか防ぎ、魔王の鎧が宙を舞って吹っ飛んでいった。
「ちくしょうめが!」
魔王がさらに激怒し、雄たけびを上げて態勢を整える。
「うおお!」
くるりと背を向け、俺は全力で逃げる。
攻撃を通るようにしたとはいえ、火力が足りない。今のカウンターが、俺に出せる最高の技だ。リィの砲撃でなければ致命打にはならないだろう。
「逃がさんわこわっぱが!」
と……。
「ファイア」
俺を追いかける魔王の腹を、師匠Aが砲撃した。
くしくも、視界の外からの不意打ちになっていた。
「ハはハハ、なるほど、音ガ変わった!」
壊れた身体で笑いながら、師匠が左腕に仕込んだ荷電粒子砲を連射する。
バチバチバチ、と、もがれてケーブルが露出した右腕から火花が散った。
確かに、音が変わっている。
師匠から出る音がではなく、魔王を攻撃した際の反射音が変わっていた。前まではインパクトの際に鎧側からの音がなかった。今は違う。きしむ音が響いている。
「くそが、クソがクソがこの程度で!」
「行ケ、ハル! ここは食い止める!」
「イエッサ!」
全速力で、俺は走る。
魔砲グリグオリグの発射装置へ。
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