第43話 ターニングポイント

 朝の陽光だけが、変わらずに大地を照らしている。


 地形が変わっていた。

 地中核爆発に、空中での衝撃波、極超音速の脳天杭打ち。

 地平線の果てに広がる山がえぐられ、師匠の足元には大穴が開いている。

 その穴を取り巻くように、数百の戦車からなる機甲師団が控えている。


『頼むよ。エセ勇者……』


 思念が聞こえた。

 数日前に経験した声にならぬ声。魔王ワルプルギスナハトの思念だった。

 状況から推測するに、師匠が開けた大穴の中からその思念を飛ばしているのだろう。


『伝説の勇者のレプリカよ。あまり失望させてくれるな』


 師匠だけでなく、百キロ以上も離れた俺たちに聞こえるようにしているのは、恐怖を喚起し怯ませるためか。


『なあ、フェルビナク』


 穴の中から、黒い雲が噴き出していた。

 それは煙と呼ぶには濃密で、禍々しく、不思議な既視感がある光景だった。

 噴き出した黒い雲が大地を這う。空気よりも重い気体なのだろうそれは、泥のようにうごめいた。


『それに、最後の魔王の武器に選ばれた雑魚ども』


 どくんと、俺の心臓がひときわ強く鼓動する。

 胸がむかつき、胃のあたりが蒸留酒を煽った時のようにかぁっと熱くなる。

 怖い。その感情はあった。

 その恐怖が、瞬く間に激情に塗りつぶされてゆく。


『ハル、落ち着け。いいから落ち着け。狂うな』


 リィの声が、耳に聞こえる。


「ああ、分かってるよ。分かってる」


 よりにもよって――魔王は。

 泥の魔物を、俺とカレナの子供を殺した魔物を作り出していた。

 手が、震えている。震えに気づき、止めようとしても止まらない。


(ぶっ殺してやる……!)


 内心で殺意が渦巻く。数年前のトラウマ。毒にむしばまれ、苦しんで死んだ俺の赤ん坊の躯と、憔悴し血の気を失った妻の顔がフラッシュバックする。


「落ち着け」


 自分に言い聞かせる。

 殺意を口にすれば、その感情に呑まれてしまう。

 モニターの中で、穴から溢れた黒い雲が凝縮し、周囲の泥と混じり、粘土質の肉体をもった魔物へと変わっていく。


「落ち着け……!」


 息を吸い、吐き出した。

 グリグオリグで、目の前にある仇の全部を吹き飛ばしたかった。だが、今じゃない。魔王に当てられる保証がない。感情に流されて馬鹿をやるわけにはいかない。俺だけの問題じゃない。仲間の命がかかっている。


(ここから何が出来る? 何をすればいい?)


 事前に、想定した通りの展開ではある。

 核も効かず、師匠二人の全力も効かず、魔王は健在。それでも、魔砲グリグオリグなら、電磁加速砲なら倒せる――らしい。


 だが、おかしい。

 物理法則に合わない。


 どうして、至近距離での核爆発が効かない?

 数万度の熱に、テラパスカル単位の爆圧。魔力で補強したとしても、あらゆる物質の化学結合を引きちぎってプラズマ化させるはずだ。それなのに、魔王の鎧は熔けた痕もなければ、ひびの一つすら入っていない。


 何かの見落としが、効かない理由があるはずだった。


『待て。待ちたまえ。ハル君』


 声が聞こえた。


 周りを見渡す。

 誰もいない。


「誰だ?」


 リィの声ではない。もちろん、魔王の声でもない。

 女の声だ。どこかで聞いた覚えがある。ガキの頃、それについ数日前に聞いた覚えが――


『ワルプルギスナハトに寄生されてからの二百と数十年、私は死ぬこともできず、鎧を脱ぐこともできずにいるのだ』


 また、頭に声が響く。


「リィ、どこから聞こえるかわかるか?」

『何をじゃ?』

「女の声がしてるだろ」


 自分で口にして、言い終えたあたりで思い出した。


 夢で聞いた声だ。師匠とうり二つの顔をした、長身で金髪の美女の声。俺が女神かと勘違いした女の声だ。

 名前は、ルナ・パーシヴァル。師匠と同姓同名。確か元勇者だと名乗っていた。

 そして今は、ワルプルギスナハトの鎧の中にいると。


『わらわには聞こえんぞ……?』

「そうか、ならいい」


 周囲には誰もいない。センサーにも反応はない。リィにも聞こえていない。ならば決まっている。その声は、俺の内側、脳がバグってできた幻聴だ。


『これから伝えるのは、あの鎧の唯一の破壊方法だ。ただし――』


 あの時の会話の続きが、脳内で再生されてゆく。


 あの時。俺は、“占い師か”と、突っ込んだ覚えがある。


 自称勇者だというルナの物言い、口上は詐欺の常とう手段と一緒だ。

 貧乏人に金の稼ぎ方を教えると持ちかけてむしり取る、病人に病気を治すともちかけてむしり取る、食い詰めた傭兵に士官の口を用意するともちかけて以下略。


『我が友が、背水の陣を敷きワルプルギスナハトと戦う場合……その最中にのみ、記憶を思い出すように細工をしておく』


 俺のひねくれた思考をよそに、透け透けのきわどいローブを来た美人のねーちゃんがそう言って――


「あー!!!」


 全部、思い出した。


 あの金髪の女神もどき、いい性格してやがる。

 あらかじめこうなることを、師匠がどういう作戦を立て、その作戦にどういう穴があるかを想定した。

 その作戦に、俺も参加することを予想してのけた。


 今のままでは、


 ……にわかには信じがたい話だが、二つの事実、“魔王が核爆発で傷を負っていないこと”と、“鎧の中にいる勇者ルナが二百年以上も経ったのに死ねないでいること”が何よりの状況証拠になっている。


 あの夢に出てきたねーちゃん、女神みたいに綺麗なツラをしているが、中身はクレアばあさん以上の策士だ。


『なんじゃい!?』

「すまん、リィ。持ち場を離れる!」


 立ち上がる。粗末な木でできた椅子が倒れる。がたん、という微かな音が、冷却水と高熱になった電磁石で結露した狙撃室になる。

 ごうん、がうん、がり、がり、という耳障りな音がした。

 いや、さっきからずっとしていたのだ。コイルに電流が流れる際の音が。それが俺の耳に聞こえなくなっていたのは、突然再生された記憶に心を奪われていたからだ。


『どこへ行くんじゃ!?』

「逃げるわけじゃねえ」


 二人のいる場所へ、俺は向かった。

 防爆用にしつらえた小さな塹壕。土くれを掘って作った上に、塗料での迷彩が施されている。空から見てもすぐにはそれと分からない作りの簡易シェルターだ。

 茶色く、湿った土の上に四角い麻布を絨毯代わりに敷き、その上でカレナが座禅を組んでいる。すぐ隣にはアリシアがいて、魔玉を手に息を吸って吐く動作を繰り返していた。


 二人が何をしているかというと、迎撃の準備だ。

 カレナが警報役。

 周囲に飛ばした使い魔と視覚を共有し、グリグオリグの大砲の周囲に魔物が来たらアリシアに告げる役目。

 アリシアが迎撃役。

 近くに来た魔物を、魔玉ニュークリアの魔力吸収を使って無力する役目。


「カレナ、アリシア!」


 ぱちりと、カレナが目を開く。

 アリシアも同様に深呼吸を止め、俺の方を見た。


「どしたの、ハル?」

「何があったのですか?」

「予定変更だ。魔王のところへ行ってくる」

「はあ?」

「どうしてですか?」

「このままじゃ勝てねえ。今の作戦じゃ駄目なんだ。師匠じゃ駄目だ。俺だ。俺しかいねえ。本物の魔王サンから、俺の故郷で英雄だったルナさんから託されたんだ」

「ハル、怒りでおかしくなった?」

「正気だよ。問答してる時間はねえ。このままじゃ全滅しちまう」


 カレナが、俺の顔に鋭い視線を向けてきた。

 職人の顔。プロの測量士が、地形を確認する時と同じ表情をして、俺を値踏みしていた。


「何を言ってるかわかんないけど、必要なことなのね?」

「ああ」

「分かった。行ってきな」

「おう」


 ひゅうううううううう、という音が耳にこだまする。次いで、腹に響く振動音が続く。

 彼方で、戦車の砲撃が始まったらしい。


 作戦がフェイズⅠ――師匠の全力攻撃――から、フェイズⅡ、機甲師団による集中砲火に入ったのだろう。

 ちなみにフェイズⅢが魔王の拘束、フェイズⅣがとどめの砲撃だ。


「ハルさん、少しだけ」


 アリシアが、俺の手を取る。

 引き留めるつもりかと思い、振り払おうとし――かけて、アリシアの意図に気づく。

 彼女から、“力”が流れ込んでくる感覚があった。


 アリシアの手のひらの感触。ほのかな肌の温かさ、手のしわ、指の付け根にある星丘についた脂肪の柔らかさ。

 彼女の手のひらに、俺の手の甲から生える細く短い体毛が触れる。

 互いの皮膚同士が触れる。

 触れた場所から、伝わってくる。


 奇妙な感覚だった。


 大人になりかけた年頃の美女と、おっさんに差し掛かった年齢の冴えない俺。そんな俺たちの手の平と手の甲を通して腕が繋がり、アリシアの血液が俺の身体へ流れこむような感覚があった。

 痛みはない。気持ちがいいわけでもない。

 俺のものではない何かが、俺の中へと流れ込んでくるという感覚だ。

 頭では分かっている。

 それが、彼女が受け継いだ魔王の力なのだと。

 俺なんぞでは生涯かけても到達しえない破壊の領域、大量虐殺を可能にする力の一部が、俺に流れ込んでいるのだと。


「ご武運を」


 手を離した王女様の顔は、無理やりに作った笑顔だった。

 不安、心配、憂い、動揺……そういった感情を飲み込んで、俺を勇気づけ送り出すための。


 魔王ワルプルギスナハトが告げた、アリシアの二つ名を思い出す。


 “魔王の後継たるアリシア”


 わずか、一か月足らずの訓練。カレナからの手ほどきで才能を開花させ、俺なんぞをはるかに超えた魔術の高みへと到達した天才。

 俺の手の甲と、アリシアの手のひら。皮膚を介した接触によって、その天才の力が俺の内に入り込んでいる。


 “魔王に祝福されしハル”


 それが、俺の二つ名。

 魔王の力を、俺の力へと転換することのできる能力。


「ありがてえ。最高の餞別せんべつだ」


 力が満ちる。

 アリシアから受け取った、魔王の力が。

 本来ならば満月の夜しか使えぬはずの俺の切り札、特殊呪文の使用条件が整う。


 〈窒素固定ニトロフィックス


 頭の中で、詠唱する。

 ぼこ、ぼこと、肉がきしむ。

 空気中に幾らでもある炭素と窒素を取り込んで、たんぱく質を形成し、形成されたたんぱく質はさらに集まることで肉となる。

 骨がきしみ、壊れ、壊れきる前に取り込んだ炭素を材料にして補強される。俺の身体が、鋼鉄の強度を誇る筋肉の鎧を纏ってゆく。

 身長が倍ほども膨らみ、羆のごとき体躯へと変わった。

 伸縮性を持たせた特注の服がみちりと音を立て、繊維が数本切れる音がした。


「行ってくる!」


 化け物になった身体、くぐもった声を出し、俺は魔王のいる戦場へと駆け出して行った。



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