第37話 決戦準備

 

 喧騒けんそうから、四日が過ぎた。


 四日前の喧噪、すなわち泥の魔物を撃退してから、俺たちは野宿している。

 俺たち、というのは、俺、カレナ、アリシア、それに師匠と、ついでにリィの、四人と一丁の銃だ。


 三日月亭の宿は、自主的に引き払った。

 また魔物に来られては困るからだ。

 まあ、この面子がいれば、特に師匠さえいれば、魔王本人でも来ない限りはどんな魔物だろうと軽くあしらえるわけなんだが。


「どうやら私は、疑われているようだな」


 俺の顔を見るなり、師匠はそう言った。


「今回の件、洗いざらいを説明してください。でなきゃ俺は、マスターを信用できねえ」

「ああ、そうしよう」


 それが、四日前にあったやりとりだ。

 そうして俺たちは、にわかには信じられない話を聞かされた。


 師匠が、アリシアの祖先であり、フェルビナクという国を作りあげた建国の王であること。

 師匠と、先代の魔王との確執について。

 かつて、師匠と共に戦った仲間が、先代の魔王に寄生されたこと。

 魔王と化した仲間を救うために、師匠は悪魔(宇宙人という存在らしい)と契約したこと。

 魔王の武器が造られた目的は、仲間に寄生した先代の魔王を殺すためであること。

 それに、何故魔王がアリシアの身柄を欲しがっているのか、その理由について。


 ――まとめておいてなんだが、情報量が多すぎる……。


「私は必ず、我が友に寄生している魔王を殺す。ハル。アリシア。カレナ。私に協力して欲しい。報酬は私が支払えるものならば何でも払う」


 洗いざらいを話した後に、師匠はそう結んだ。



 まあ、なんだ。

 事情は分かった。

 俺と師匠の利害は一致しているってことが分かった。

 俺にとって魔王は、直接か間接かはわからんが、息子の仇だ。

 必ずぶち殺す。

 そのために師匠が協力してくれるっていう話なら、渡りに船だ。



 で、だ。

 野宿しながら俺たちは、魔王を殺すための準備をしているってわけだ。


「ううう……うううおおお……」


 吐き気がする。少し熱も出てきた。

 知恵熱だ。

 まさか、まさかだ。

 まさか、二十も後半に差し掛かった俺が。


「うおおお、めんどうくせええ……!」


 また、この手の勉強をする羽目になるとは思ってなかった。

 何年もサボってたこともあって、層倍にきつい。


『なんじゃい、今日も日陰にこさえられたぼろ机にかじりついて、わけのわからん数字とにらめっこか』

「常微分方程式だ」

『術の名前かなんかか?』

「計算式だ。正確な弾道演算に必須のやつだ」

『重力加速度に、サインコサインなんちゃらじゃったか』

「賢いなリィのくせに」


 そう。

 俺は今、十数年ぶりに弾道演算の方程式を解いている。前にこの数式と格闘したのは十二かそこらの頃から十五歳までの、つまりは師匠に弟子入りした修業時代の頃だ。


『それが魔王を倒すのに何の役に立つんじゃ?』

「俺の脳のワーキングメモリを増やすためらしい。よくわからんが、人間の脳をスパコン代わりに使う裏技があるとか何とか。その為に計算式を脳に刻み込んどけだと」

『なーんか怖い話に聞こえるのぅ。ほんに大丈夫なんかぁ?』

「うるせえ。師匠のカリキュラムは絶対だ。俺はこうやって強くなったんだ」


 思い出す地獄の日々。


 希代の魔術師ルナに弟子入りしてから、いろんなことを叩き込まれた。

 周期表。熱化学方程式。ニトログリセリンを代表とする爆薬の製造法。モンロー・ノイマン効果を利用した成形炸薬の利用法。えとせとら……。

 俺は馬鹿だったからマクスウェル方程式の途中で脱落しちまったが、教え込まれた知識は傭兵としての俺の命を何度も救ってきた。


 その師匠だが、今はいない。

 万全の整備が必要とかで、日中のほとんどは契約した悪魔の下にいるらしい。


「お疲れ。お茶とおやつ持ってきたわさ」

「近くの農家さんからかまどを借りまして、アップルパイを作ってみました」


 カレナとアリシアが来た。

 湯気が立つくらいにほかほかのパイが、テーブルに置かれた。紅茶もだ。


「助かった」


 羽ペンと羊皮紙を置いて伸びをする。危うく頭が沸騰するところだった。


『やせ我慢しても弱音は出てくるのう』

「リィ。黙ってろ。……カレナ、そっちの進捗はどうだ?」


 魔王を殺す。

 その為に俺たちは、準備をしている。

 リィの、魔砲グリグオリグの真の力を引き出せれば、完全剛体で出来た魔王のボディを破壊することが可能だという。師匠が計算で算出した数値によれば、だが……。



 作戦はこうだ。

 師匠が前線に立ち、魔王を制圧する。

 動きを止めた魔王に狙いを定めて、覚醒させた魔砲グリグオリグの一撃を食らわせる。


 そう。俺が撃つのだ。

 俺の役割は、リィを使ってとどめの一撃を発射する事だ。



 全身全霊の魔力を総動員してようやく撃てるだろう、特別な一撃だ。次はない。

 だから、確実に魔王に当てなければならない。

 そのために弾道演算の数式を頭に詰め込んでいるというわけだ。



 一方、アリシアとカレナにも重要な仕事が与えられていた。

 アリシアの仕事は、魔砲グリグオリグの真の力を覚醒させること。

 魔玉ニュークリアの力を、今まで貯めこんできた魔力を注ぎ込むことで、リィは真の力を覚醒する。


 カレナは、アリシアの教師役だ。

 アリシアに魔術を教え、魔力の取り扱いを教える役割だ。


「言いにくいけど、進捗は芳しくないわさ。魔術の初歩からつまずいてる」

「申し訳ありません。あまり才能がないようで」


 恐縮するアリシア。

 今さらだが、この腰の低さ。本当に王女様なのかって思えてくる。王宮で苦労してきたのか、それとも生来の性格なのか。

 たぶん両方なのだろう。ああ、あと、クレアばーさんあたりが躾けを担当してたのかもしれん。

 もともとアリシアは、“恐ろしいうえに何をするかわからん魔王の花嫁”にするために育てられてきた。我がままいっぱいに育てられるわけがない。魔王に対して粗相するような性格になられたら、送り出した国王側にとばっちりが来かねん。


「まあ姫サン、もとい、アリシアならそのうちなんとかなるだろ」


 アリシアには才能がある。俺なんぞ及びもつかないくらいの才能が。

 短い旅の間に、俺は三度も命を救われている。


 一回目は毒でくたばりかけた時、二回目は魔王に狙われた時、そして三回目は泥の魔物たちと戦った時。

 二回目はともかくとして、一回目と三回目は魔玉ニュークリアの力を使っていたはずだ。

 アリシアは、魔王の毒に侵された俺を癒し、魔物を瞬殺するほどの力を俺に与え、魔族の力を奪って瀕死に追い込んだ。

 一流どころの魔術師でもできないことを、あの時のアリシアは顔色も変えずにやってのけた。

 してみるとアリシアは、本番に強い気質なんだろう。


「にしても、うめえなこれ。ほどよく酸味が効いてる」

「よかった」


 切り分けられたアップルパイをもしゃもしゃと食い、紅茶で喉をうるおす。

 素朴な感想を言うと、アリシアは微笑む。小さな唇の端がにっこりとつりあがり、蒼い瞳がくったくのない色を宿す。

 綺麗なもんだ。まだ十五かそこらの子供なのに。

 昔、仕事で竜の巣から奪還したお姫様も綺麗だったが、アリシアの美貌には何というか、俺が近づきやすい親しみがある。


「ん。んんんん……?」


 カレナが、首を傾げて不自然にうなった。


「これのせい?」


 つぶやき、アップルパイを手に取って、口にする。そしてまた首を傾げる。


「んんん。違うわさ」

「どうしたんだ?」

『なんじゃ。カレナ嬢は嫉妬でもしてるんじゃろ?』


 リィは黙ってろ。


「ハル。このアップルパイ、本当に美味しかった?」

「ああ。食いモンのことで世辞は言わねえよ。本当に美味かった。それがどうした?」

「アリシアさんが作ったんだけど、それでも?」

「だからどうしたんだ。美味かったよ。菓子作りもできるんだな」

「んじゃさ、ハル、気づいてる?」


 カレナが、アリシアの方へと視線を向けた。俺もアリシアを見る。


「?」


 アリシアは、どうかしたのかという顔だ。

 俺も同じだ。わけがわから――。


「う、うおお……」


 ようやく気付いて、俺はみっともない声をあげた。

 アリシアの周囲をたゆたう空気が、揺らいでいる。

 魔術をかじった者にしか分からん揺らぎだ。気や、魔力の揺らぎ。身体から放出される力がもたらす揺らぎだ。


 ――人間じゃ、ねえ……。


「でしょ?」

「どういうこった?」


 俺とカレナは顔を見合わせ、アリシアを見て、また顔を見合わせた。


「一体、何がどうされたのですか?」

『そうじゃそうじゃ。置いてけぼりにせんと説明しろ気持ち悪い』


 アリシアとリィが聞く。


「ああ、つまりだな。アリシアの身体から漏れる魔力が、目に見えるくらいにあふれてるってこった。一流どころの魔術師でもお目にかかれねえぞこんなの」

「きっかけは、ハルに褒められたことだと思う」

「…………」


 マジか。


「ハル、似たような経験に思い当たることない?」

「ありまくりだ」


 思えば、俺がピンチになった時に、アリシアは力を使っていた。

 それに、再会した時のアレもそうだったのかもしれん。アリシアが人知れず王宮を抜け出して、俺の前に姿を見せた時のアレ。あの時、俺は、アリシアの来訪を魔王との謁見の記憶に重ね合わせていた。


 となると、こういうことか。

 俺が、アリシアの才能を開花させる鍵ってことか。


「えーと……? いったい?」


 アリシア当人も、分かってなかったのだろう。

 不思議そうに、俺とカレナを見つめている。

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