第36話 翼の魔物

 

 ――アリシアside


 少しずつ分かってきた。

 魔玉ニュークリア。鎧の魔王がそう呼んでいた、ガラス玉の使い方を。

 ハルさんは泥をまとった魔物たちを撃退して、こちらに近づいてきている。その際、カレナさんは怪我をしたようだ。

 そして、別の伏兵。

 四枚の翼をもった魔物が一体。避難所にいるわたくしのすぐ近くまで来ている。分かるのだ。魔玉ニュークリアが教えてくれるから。


『出てこい。アリシア姫』


 声が聞こえた。

 周りを見渡す。声を発した人はいない。それどころか、避難所にいる女の子も男の子も老人もおばさんも、その声が聞こえていないように見える。


『外に出ろ。出なければそこにいる人間を一人ずつ殺してゆくぞ』


 また、声がした。


「すみません、少し外の空気を吸ってきます」

「ちょ。あぶないよ!」


 村人のおばさんがかける声を無視して、わたくしは避難所から外へ出る。

 首を上に傾けた。

 日が暮れてゆく空の中に、その魔物はいた。


 四枚の翼を持った魔物だ。


 大きいが、泥の魔物よりは大きくはない。月の晩に見たハルさんと同じくらいの背丈だ。そして背中から、鳥ではなくコウモリに似た黒い翼が四つ生えている。ばさり、ばさりと、その四つの羽が交互に動いて魔物の身体が空宙の同じ高さを飛んでいる。


『アリシア姫だな』


 耳にではなく、頭に直接、言葉が響いてきた。


「そうです」

『魔王様の命令だ。来い』

「あの泥をまとった魔物たちも、魔王様の差し金ですか?」


 魔物がいることに、ハルさんが気づいたのだろう。全力疾走でこちらへ来ている。

 しかし、わたくしは時間稼ぎをするつもりはなかった。

 不思議な自信があった。確信と言っていいくらいの。

 ガラス玉から伝わってくる感覚。この魔物は、ハルさんとカレナさんが苦戦した泥の魔物たちよりもさらに強い。

 けれど――


 今の自分ならば、簡単に殺せる。


 出向いたのは、余計な被害を出さないため。会話に応じたのは、情報が欲しかったから。ただ、それだけだ。


『そうだ。貴殿が来なければ、また似たような魔物が押し寄せてくることになる』

「あなたのお名前は?」

『ない。昨夜産み出されたばかりの使いにすぎぬ』

「確実にわたくしを連れ戻すならば、魔王様が直接出向かれればよいはずです。どうして、ハルさんたちに撃退される程度の使いを寄こされたのでしょうか?」

『愚弄するな、小娘が。……ああ。ははは。そうか、時間稼ぎか。四の五の言わずに来い』


 わたくしの質問を、挑発と受け取ったのだろう。

 魔物が不快げに顔をしかめ、次いで勝手に得心すると、こちらへめがけて落ちてきた。

 速い。

 燕が獲物を狙って滑空するのに似た動き。上空にいた魔物との距離が、縮まる。


 目の前に、魔物の大きな身体があった。

 筋肉に包まれたその肉体は、月の晩のハルさんと変わらないほどに強靭そうだ。

 これまでのわたくしならば、どうしていいか分からない間に魔物にさらわれていただろう。


「……ぐえ……、ぁ……?」


 わたくしに近づいた魔物の口から、つぶれたカエルのような声がした。

 両膝をつく。両腕も。次いで、黒々とした四枚の翼がべたりと力なく地面に垂れた。


「口では喋れないのですね」


 牛のような顔をした魔物だった。喋れなくても仕方ないだろう。


『なにを、した……?』


 また、頭に響く声で聴いてくる。


「わたくしの次の質問に答えればお答えします。あの泥の魔物たちは、魔王様が産み出したものですか?」


 ハルさんたちは、知りたがるはずだ。

 自分たち子供を殺した本当の仇が、誰なのかを。


 質問している間に、背後に強い力を感じた。何度も身近で感じた魔力だ。力強く、まっすぐな魔力。


 ハルさんだ。


 手に持ったガラス玉が伝えてくれる。カレナさんも一緒らしい。

 わたくしの質問は、後ろにいるハルさんたちにも聞こえていたはずだ。


「質問に答えてください。貴方といっしょに来た泥の魔物は、魔王様が造ったのか。それとも、自然に産まれたものなのか」


 わたくしの背後にいるハルさんが、翼の魔物を凝視しているのが分かる。


『陛下が、造られたものだ。兵として重宝している。あの泥の魔物はな』

「お返事、ありがとうございます」


 もう、この魔物に用はない。

 振り返った。


「ハルさん」


 声をかけると、ハルさんはいぶかしそうな顔をしていた。


「気づいていたのか。俺がいることに」

「ええ。すみません」


 頭を下げた。


「この玉の使い方が、ようやく分かりましたので、それで気づけました」

「ああ……。そうか。何がきっかけか知らんが、魔王の武器を覚醒させたのか」


 ハルさんに玉を見せると、すぐに得心してくれた。

 やっぱり、すごく頭のいい方だ。


「ええ、遅くなりまして、すみません」


 そう。遅くなった。

 ハルさんとカレナさんが泥の魔物と戦っている最中に、隠れている泥の魔物たちが現れた最中にようやく分かったのだ。魔玉ニュークリアの使い方を。

 もっと早くに気づいていれば、カレナさんは怪我をせずにすんだだろう。だから、謝った。


 いや。

 それはきっと、結果論なのだ。


 カレナさんの怪我、そしてそれに続くハルさんの魂の叫びが、私の気持ちをようやく切り替えてくれたのだ。まともな方へと。

 カレナさんが魔物に殴られて、殺されかけて、遠く離れたハルさんの慟哭どうこくが聞こえた時に、ようやく真剣に祈ることができた。ハルさんたちを助けてと。

 そしてその祈りに、魔玉が応えてくれた。


「俺とリィが変わったのは、その玉の力か?」

「たぶん、そうかと」


 ハルさんに、そして魔王の武器であるリィさんに、魔玉ニュークリアに蓄えていた魔力の一部を与えた。その実感があった。ハルさんたちが力を受け取ってくれたという実感が。


 その後、すぐにハルさんとリィさんは変身し、泥の魔物たちを一掃していた。


「感謝しこそすれ、謝られるいわれはねえな」


 そう言われ、正直ほっとした。

 醜い自分の心を、ぶざまで理不尽な嫉妬を抱いた負い目を、少しでも穴埋めできた気がしたから。


 ああ……。


 こういうところだ。

 どこまで行っても、自分本位なのだ。私は。ハルさんのようにはなれない。


「その魔物も、アリシアがやったのか」

「はい」


 魔玉ニュークリアの能力は、魔力を無限に貯めるというもの。蓄えたその魔力は、取り出して与えることができる。

 そして逆に、魔力を奪ってしまうこともできるようだ。

 今、目の前に横たわる魔物にやったように。


「まだ生きています」

「グ、ガ……」


 自分が殺されると、ようやく実感が持てたのだろう。

 力なく地面に横たわる魔物が、悔しげにこちらをにらんだ。

 本いわく、魔物は、魔力を糧に動くという。

 その魔力を奪い取ったらどうなるか?

 その答えが、目の前にあった。

 空を飛ぶ力も、自分の両脚で立つ力すらもなくし、衰弱している。もはや、抵抗することも逃げることもままならない状態だ。


「とどめを刺した方がいいでしょうか?」

「いや。能力はできるだけ隠しといたほうがいい。魔王に手の内を全部知られてる俺が殺るよ。わりいが代わりに、カレナに肩を貸してやってくれ」

「はい」

「ごめ」


 カレナさんに謝られた。

 泥だらけで、怪我をして、ぐったりしたカレナさんの身体をハルさんから受けとる。

 謝りたいのはこちらの方だ。

 ハルさんと一緒に泥の魔物へ向かうカレナさんを見て、浅ましい感情にかられた。

 心の奥底ではこうも思っていた。


 “カレナさんがいなくなれば、わたくしにも機会が来るのではないだろうか”と。


 だから、申し訳ない。


「アリシア、あっち向いてろ。人間に近い姿してる奴だからな。殺す瞬間はなるべく見るな。トラウマになる」

「分かりました」


 こういう気遣いができる方が、愛する女性を失ったら――。

 どれほどの悲しみなのか、察するに余りあるというのに。


「どうぞ」


 顔をそむけ、目を伏せる。

 ぐしゃりと、音がした。

 ハルさんが、翼の魔物を仕留めたのだろう。

 ほぼ同時に、わたくしの方もすべきことをし終えていた。

 寄りかからせていたカレナさんをきちんと立たせ、少しだけ離れた。


「あれ? え? お、おおおお!?」


 戸惑いの声を出したのもつかの間。カレナさんがぴょんぴょんと飛び跳ねて、自分の脚と身体の調子を確かめた。


『な、なな、なんじゃ!?』

「カレナ、こら、怪我人が何してんだ!」


 リィさんとハルさんが狼狽する。


「治った! ほら、跳べるし跳んでもじぇんじぇん痛くない!」


 カレナさんがはしゃぐ。両手を握られた。


「すごいすごいすごいすごい、アリシアさん、あなた、治癒魔法使えたの? 折れた脚と肋骨と、めっちゃ痛んでた内臓と肩こりまで全部すっきりしたんだけど!」

「よかった……」


 必ず、できると思った。

 数日前、魔玉の力を使って毒に侵されたハルさんの身体を浄化したのだから、きっとカレナさんの身体も治せるはずだと。

 怪我の治癒は、触れ合うほどの距離でなければならないらしい。肌と肌とを、今回はカレナさんを支えた肩と、腕に沿えた手を通して、魔玉から治癒の魔力を取り出し、与えた。


 ともあれ、よかった。


「よかった。みんな無事で、本当によかった」


 ほっとしたら、力が抜けた。腰も抜けた。


「ハルさんも、カレナさんも、リィさんも、無事でよかった……」


 情けなくもわたくしは、その場にへたり込んでしまった。

 へたりこんで、泣いてしまった。


「おい……泣くなよ」


 ハルさんが、狼狽する。

 カレナさんが、何かねぎらいの言葉をかけてくれながら、背中をさすってくれた気がする。リィさんはきっと、褒めてくれていたと思う。


「すまぬ。遅くなった!」


 ルナさんが、機械の身体を持ったハルさんのお師匠さんが、空を飛んでかけつけてきた。

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