第34話 魔物狩り
カレナと初めて会ったのは、竜の巣の奪還作戦に駆り出された時だ。
作戦の際に色々とあって、なんとなくで付き合って、それから数年後、金がないからとささやかな式を挙げて結婚した。
金には不自由していたが、俺たちは身の丈にあった慎ましい暮らしをしていた。
俺は傭兵として日銭を稼ぎ、カレナは発破技師の仕事を休業して、田舎の小さな村で俺の子を産んだ。
幸せだった。
妻と幼い我が子の為に、自分より大切な者の為に汗水を垂らす日々。傭兵という商売柄、あちこちへ移動していて会える日は限られたが、それでも満ち足りていた。
だが。
その幸せは、長くは続かなかった。
村に、魔物が現れた。俺が不在の時だった。
巨大な泥の魔物だった。
人間を何十倍もでかくした形の奴だ。四つん這いで大地を徘徊し、人間を好んで食う。身体は黒く、ぬらつく毒を帯びた泥に覆われている。
その毒は、常人が近づけば数分で意識を失ってしまう。
行動不能になった人間を捕らえ、でかい口を開けて丸呑みする。それがこの魔物の習性だ。
弱点はといえば、日の光、そして炎。
焼けば砂の塊になる上、毒も無害化できる。
それが分かったのはかなり後のことで、泥の魔物が現れた当時は誰もそのことを知らなかった。
襲われた村は多数の犠牲者を出した。
その中に、俺たちの子供もいた。
俺が、村にいれば――。
カレナが、産後の疲弊した身体でなかったのなら――。
どう反省し、どう後悔しようが、死人は生き返らない。
できたことと言えば、息子の仇を探し出し、カレナと一緒に八つ裂きにしたことだけだ。
その時と同じ魔物が、こちらへ来ているという。
「距離は?」
過去の感慨をまとめて飲み込んで、カレナに尋ねた。
「およそ五千七百。まっすぐこっちに向かってきてる」
「メートル? 尺? 間?」
俺は魔王の領地、ロコイド村出身。カレナはフェルビナク国出身。互いに慣れ親しんだ単位系の食い違いが生死につながる。
「メートル」
「了解」
「周囲の地形こんなん。このままだと三十分くらいでこっちに着くわ」
カレナの人差し指と中指の指先が、俺の額に触れた。
心得て、目を閉じる俺。
カレナのしたのは
俺の網膜の裏側に、泥の魔物の巨躯が見える。だいたい背丈は人間の大人の三倍くらい、たてとよこのでかさは一軒家くらいある。
四つん這いになり、泥にまみれた両腕と両脚を動かして、進路上にある木々をなぎ倒しながらこちらへ近づいていた。
「ち」
胃のあたりがむかついて、ヘドが出そうになる。
怒りだ。
未熟な我が子を殺された、親の怒りだ。
『二人とも鬼のような顔じゃのー。大丈夫か。冷静さを失くしたら返り討ちにされるぞ』
俺がかついだリィが茶々を入れる。こいつなりに俺たちを案じているのだろう。
「アリシア。聞いての通りだ。宿の親父にでけー魔物が来るって連絡して、村人を避難させてくれ。俺とカレナはあいつをぶっ殺してくる。ちょっと因縁がある奴なんでな」
「分かりました。ご武運を」
相変わらず、素直でいい娘だ。
しゃしゃり出られたら困るところで、きちんと退いてくれる。
「ハル。狙撃で足止めと誘導を頼める? あいつの進路上の窪地に爆薬を仕込んで、落としたら、ありったけの火薬で焼く」
「シンプルな作戦でいいな。ニ十分は稼ぐ。それ以上は保証できん」
「充分だわさ。よろしく」
何年振りだろう。カレナと共闘するのは。
よろしく、と、カレナから言われたのは。
かるかを使い、俺は早合(カートリッジ)を相棒へと詰め込んだ。片腕だけなのでいつもの何倍も時間がかかる。だが、これで火縄銃の持ち方もだいたい分かった。片手で撃てなくはない。
ホルスターにはめた革袋の中には、ニ十発以上の早合がある。あの泥の魔物を仕留めるには火力不足だが、足止めするには十分な弾数だ。
「リィ。行くぞ」
『利き腕がないのが心配じゃのう』
せやな。
亡くなったもんは仕方ない。
ある武器でやりくりするしかない。
***
狙撃ポイントへ到着。
リィを手に、寝そべる。早合を詰めた袋を傍らに置く。
左手を火縄銃の砲身へ、肘先までしかない右腕と頬、右の肩口に銃床を当てる。
片腕での
“遠隔爆破”の能力を前提とし、引き金を引かずに狙撃できる俺だからこその構えだ。
「ファイア」
いつも使う黒色火薬の代わりにニトログリセリンを詰め、さらに俺の魔力を上乗せて酸素との反応係数を高め――。
鉛弾にも同じく魔力を注ぎ込み、硬度を高め、風圧抵抗を低減させる。
リィの、魔王の武器の強度だからこそ実現可能な、オーバーロード狙撃。
「ボボボボアアアアアアア!」
命中。
五百メートル先にいる泥の魔物が、叫び声をあげる。魔物の肩口に拳大の穴が開く。だがすぐにふさがる。魔力でブーストした威力だが、相手がでかい。一撃では致命傷にならない。
だが、それでいい。
俺の役割は足止めと誘導。くそったれな泥の魔物の注意を引き、カレナが罠を設置する時間を稼ぎ、罠ができたらそこへ追い込む役目だ。
片膝立ちになる。
“かるか”を使い、次弾を装填。
「ファイア」
「ボボボボオオオオオ!」
弾丸が、正確に泥の魔物の肩口の穴を穿った。
魔物が叫び、怒り、周囲を見渡す。
「ファイア」
三撃目が魔物の肩口を穿ち、魔物の腕の半分が崩れ落ちた。
が。
撃った魔物の右腕が、ミミズのように泥の肉体がうごめき、大きく開いた穴が徐々にふさがっていく。
身体が泥でできた巨大な魔物に、十二・三ミリ口径の鉛球では破壊力が足りなかった。魔力とニトロでブーストしてもなお、限界がある。傷は与えても、致命傷にはなり得ないのだ。
「ボボオオオオ!」
泥の魔物と、目が合う。
――見つかった。
泥の魔物が手近にあった大木を引きちぎり、振りかぶった。こちらへ目がけ、投げつけるつもりらしい。
「来いよ」
肘の先が亡くなった右腕と左手を使い、四発目の弾丸を装填する。
「何度生き返ってこようが、俺ら夫婦でてめーをぶっ殺してやる」
ちらりと視線を下げる。
彼の視界の中、泥の魔物の進む先で、カレナが爆薬を設置していた。
***
――アリシアside――
知らなかった。
魔物とは、こんなに身近なものだったなんて。
“魔物という、人の肉を好んで食べる生き物がいる。”
知識としては知っていたが、実感としては分からなかった。王室の教育係からことあるごとに、王都の外は魔物がいるから危険だと言われても、ピンとこなかった。
そのくらい、世間を知らなかった。
「ボアアアアアア!」
遠くから、地を揺らすような魔物の叫びが聞こえてくる。
三日月亭の宿主から案内された避難所には、数名の村の女性と子供たちが集まっていた。
けたたましい魔物の叫び声と共に、カン、カン、カン、カン、と、魔物の襲撃を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
「顔色が悪いねえ。大丈夫かい、お嬢さん?」
かっぷくの良いおばさんが、からからと笑いながら尋ねてきた。
でっぷりとしたそのお腹のあたりに、二人の子供が抱き着いている。怖いのだろう。
「こういうこと、ええと、魔物が来ることは、よくあるのですか?」
「月に一度くらいかねえ。大丈夫だよ。今回は魔王に祝福されしハルに、相棒の奥さんもいるって話なんだろう?」
何故だろう。
胸のあたりがもやもやとする。
いや。分かっているのだ。このむかつきが、カレナさんへの浅ましい嫉妬であることにも。
今の状況が、そういう感情を抱くような時でないことにも。
「有名な方たちなのですか?」
「ここらじゃ知る人ぞ知るってところじゃないかねえ。もっと南の方、アーヴァイン近くのエルフの里じゃあちょっとした英雄だったよ。一流どころの傭兵夫婦で、一人の犠牲を出さずに魔物を駆除してくれるってね」
「それは、すごいことなのですね」
「そうだよ。だから安心してどっしり構えてなよ」
つまり、一流ではない普通の傭兵や兵士が魔物と戦う際には、一人以上の犠牲が出るのが当たり前ということなのだろう。
そんなことも、自分は知らずに生きてきた。王宮の中で、ぬくぬくと。
命がけで生きてきた、ハルやカレナとは見てきた世界がまるで違っていた。
「でっかい魔物っていっても一匹なんだろ? だったら魔王でもない限り負けるなんてありえないね」
「一匹……?」
「どうしたんだい、お嬢さん?」
「違う」
胸騒ぎがする。
ハルさんやカレナさんが、敵の数を見誤るだろうか。相手は一匹だと。いや。しかし。二人とも、まともじゃなかった。
『あの子を殺した奴だった』
カレナさんの言葉。
“あの子”とは、二人の間にできた子供のことだろうか?
あの時の二人の顔は、憎悪に歪み、鬼神のように殺意に塗りつぶされた人間の顔だった。
だとしたら、見誤っているかもしれない。怒りに呑まれ、相手の戦力を見誤っているのかもしれない。
「教えて」
ハルから買い取ったガラス玉――魔玉ニュークリアが光っている。
魔玉を通して、魔物たちのいる場所が分かる。ハルとカレナのいる場所も。二人の様子も。魔物たちの様子も。頭の中に、映像として伝わってくる。
遠くの地上に一匹、そしてハルとカレナを包囲しようと、五匹の魔物が地中の中を移動している。このままでは二人とも巨大な泥の魔物たちに囲まれ、奇襲を受けて殺されてしまう。
「教えて。わたくしに何ができるか。ハルさんとカレナさんを助ける方法を教えて」
魔玉を握りしめると、さらに光が増した。
「ボアアアアアア!」
遠くで、泥の魔物たちがけたたましく叫んだ。
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