第32話  命を賭ける理由

 

 カレナが、語り終えた。

 語ったのは、魔王の武器の事だ。

 俺の相棒のリィと、アリシアの持つ魔玉ニュークリアの事だ。


「ふうん……」


 宿屋、三日月亭。

 その二階の個室に、俺たちはいた。

 部屋には、俺と、カレナと、お姫様――アリシアに、リィがいる。


『知らなんだ……』


 話を一緒に聞いていたリィが、呆然とつぶやいた。


「何でリィが知らねえんだよ」

『うるさいわ。ハルだって生後わずか一年の頃の記憶があるか? ないじゃろ? それと一緒じゃい』

「けっこう違う気がするけどな」


 リィが“知らなんだ”と言ったのは、カレナの話のことだ。


「成長する武器に、魔力を無限に貯めこむ宝石か」


 魔砲グリグオリグ。愛称リィ。俺の相棒の火縄銃。

 魔玉ニュークリア。見た目はただのビー玉。アリシアお気に入りのがらくた。


 魔王の武器はどれもこれもが特別な武器だが、リィはさらに特別中の特別だという。

 持ち主の魔力と器に応じて、形態を変化させ、強くなる。それがリィが特別な理由で、他の魔王の武器にはない性質だという。

 使い手の力に比例して、成長する武器。

 つまり俺は、魔砲グリグオリグの真価を引き出しきれていないということだ。


 それに、ニュークリア。

 武器ですらない魔王の武器というのは、初めて聞く。


「なんつーか、もやもやするな」

「何が?」

「リィとニュークリアの話、師匠から聞いたんだよな」

「ええ」


 カレナがうなずく。

 師匠ってのは、人類最強の魔術師、魔王の分身たるルナのことだ。


「師匠は何者で、何を目的にして動いてるんだ?」


 サイボーグという、機械仕掛けの肉体を持った女。希代の魔術師。

 何十年も前から、魔王の武器を手に入れた者の前に現れては、その使い方を教えている。俺が知っているのはそれくらいだ。ひょっとしたら俺を追い詰めた弓使いの男も師匠のことを知っているかもしれんが、今さら確かめるすべもない。


「あの……、ハルさんは今まで、正体を知らない方から師事されていたんですか?」

「悪い人には見えなかったからな。いや、悪い人じゃねえってのは正確じゃないな。あの人には恩しかねえ」

「恩……?」

「ガキの頃、妹の命を救ってもらった」


 ミフユという名前の、歳の離れた妹だ。アリシアとだいたい同じくらいの歳になる。


「俺とミフユ、二人でアーヴァインで山菜を集めてたところを、魔物が現れたんだ。狼みたいな奴が数匹な。当時の俺らにはどうにもならんかった」


 十年以上も昔のことだ。

 俺は十歳になる前で、ミフユに至っては三つか四つのガキだった。

 どちらも、魔物なんぞと戦った経験もないし、戦えるような能力もなかった。

 だから、突然現れた魔物たちを前にして、どう対処すればいいのかもわからなかった。


『グルルルルル……』


 四つん這いで近寄ってきて、唸り声をあげてこちらを見る魔物の瞳は、餌を見る獣のものだ。


 武器になりそうなのは、草木をかき分けるために用意したなただけだった。それも切れ味の悪いなまくらだ。とても、目の前にいる凶悪な魔物をどうこうできるわけがない。戦い方も知らないし、戦うための度胸もなかった。


『ミフユ、逃げろ!』


 言いながら、俺も逃げた。

 山菜を入れた籠を放り出して、山の斜面を全力で下って行った。


 馬鹿だった。


 十歳になるかならないかの俺と、三つか四つの妹。全力で走ればどちらが速いか、考えるまでもなく分かる。それが分からないほどに、当時の俺は馬鹿だった。


 逃げる俺。

 逃げるミフユ。

 追いかけてくる魔物たち。


 必死に走るうち、みるみる俺とミフユの距離が離れた。ミフユは逃げ遅れ、逃げ遅れたミフユに向かって、狼の姿をした魔物が殺到した。


『ぎゃあっ!!』


 跳びかかられ、体当たりをくらって、ミフユが転んだ。

 ちっちゃな脚に、獣の牙がつきたてられた。


『いたい! やめて!』

『ミフユ!!』

『ぎゃああぁ!』


 怖かった。血の臭い。妹の叫び。らんらんと輝く、魔物の瞳に、吐く息の生臭さ。妹が泣き叫ぶ音。すべてが怖くて、動けなかった。

 目の前で、妹が獣の牙に蹂躙されていく。怖くて、その光景に立ちすくんで――。


『お兄ちゃん、助けて!!』


 妹の声に、自分を取り戻した。


『うわあああああ!』


 叫び、俺は魔物に向かって駆けだした。妹を助けるために。


「それでよ。それからすぐに、師匠が駆けつけてくれたんだ」


 師匠は空から降ってきた。

 瞬く間に魔物を蹴散らして、ミフユの手当てをしてくれた。

 処置が早かったおかげだろう。ミフユは一命を取り留めた。


「ただ、片脚を亡くしちまった」

「…………。大変でしたね」


 どう言葉をかけるべきか悩んだ末、アリシアはごく普通のお悔やみを口にした。

 まあ、そんなもんだろう。俺だって、もしもアリシアの弟が(いるとしたらだが)同じように脚をなくしたなんて話をされても、どう声をかけていいか困ると思う。


 ミフユの件は、苦い思い出だ。

 亡くしたものは、永久に取り戻せない。

 もっと俺がしっかりしていれば、強ければ、あるいは妹を気遣って逃げることができていたら――なんて、十年以上経った今でも考える。そんな時は決まって、胸のあたりが苦しくなる。


 一番キツかったのは、それからのミフユの俺への態度だった。

 あいつの態度は、まったく変わらなかった。

 仲のいい兄妹として、いつもと変わらず俺に接した。

 左脚を失い、それからの一生を義足で過ごす身体になったにもかかわらず、ミフユは一言も俺への恨み言を漏らさなかった。

 それだけじゃない。

 魔物を蹴散らした後の、師匠の措置に感激したらしい。自分の脚を止血し、消毒し、傷口を縫合して命を長らえさせた医療技術に、あいつは強烈に興味を持った。

『医術ってすごい。私もお医者さんになる』と言って、勉強を始めた。

 死にかけるような目にあって、一生を左右するような大怪我を負って、役立たずの兄貴をつゆほども恨むことなく、それどころかミフユは、自分自身の夢を見つけた。


 妹に憧れた。


 太陽のような善性と、夢に向かって努力する姿に憧れた。

 俺は、ああいう風にはなれないと分かっていたから。


 医者になるという夢のためには、独学ではだめだ。それなりの学校へ通う必要がある。そのためには金が要る。だから俺が出した。傭兵になることを条件に、師匠のコネであちこちから低利での借金をとりつけた。


 それは、ミフユの脚を奪ったことへの贖罪意識だったのかもしれない。

 失われた脚の代わりに、金を出すことで、罪滅ぼしをしたかっただけかもしれない。


 強くなりたかった。


 クソみたいな自分を変えたかった。

 もう二度と、自分の家族を差し置いて逃げ出すような真似はしたくなかった。

 だから、希代の魔術師ルナに弟子入りした。傭兵になることにも、抵抗はなかった。むしろ望んでなったのだ。俺は強くなりたかった。


「リィと会ったのもそれからすぐだ。隣の街で武器市があるってんで有り金全部持って行って、つかまされたのが時代遅れの火縄銃ってわけだ。しかも火ばさみがぽっきりと折れてるわ、火薬もないわで今考えるとあの露天商は詐欺みたいなモンだったんだろうけどな」

『なんじゃい。喧嘩うっとるんか』

「怒るなよ。おめーは最高の相棒だよ」

『ハル。ハルよ……』

「どうした?」

『照れることをいきなり言わしゃんな。照れるじゃろうがい』


 動揺してるな。同じ台詞を二回言うとか。


「ふん。まあ、それはさておいてだ」

「うん。さておいて?」


 カレナが口をはさみ、俺とリィの漫才から話題を元へと引き戻した。


「もしもあの事件が師匠が仕組んだことなら、俺はケジメをとらせねえといけねえ」

「はー……。馬鹿か」


 カレナがわざとらしく呆れかえり、喧嘩を売ってきた。


「なんだよ」

「返り討ちにされるのがオチでしょ」

「まあそうなんだが、どうせ何もせんでも俺は一か月以内に死ぬんだべ」


 いかんな。

 カレナが相手だと、気が抜けて田舎の方言が出ちまう。


「投げやりになるな。らしくない」

「ゆうても魔王の呪いだからな」


 首をさする。

 物理的なひっかかりはないが、魔力の残滓が指先に感じられる。魔王の枷だ。人間の、俺ごときの力でどうこうできるわけがない。

 この呪いは、一か月後に発動するという。

 呪いを解く方法はただ一つ、魔王城へアリシアが出向くことだけだ。つまり今の俺は、アリシアに対する人質なのだ。

 つくづくも情けねえ。

 俺は妹との件から今まで、まったく進歩してねえってこった。


「それは大丈夫です。わたくしが魔王城へ向かいますから」


 口をはさんだアリシアの顔は、さっぱりとしていた。


「殺されるためにか?」

「はい」


 即答だった。

 自分が死ぬという事がどういうことか、分かっていないせいだろう。なにせまだ十五歳の小娘で、しかも何不自由ない王宮暮らしをしてきたお姫様だ。


「アリシア。いいことを教えてやろう。人は殺されたら死ぬんだ」

「知っています」


 あのな。

 知ってると分かってるは違うんだよ。


「分かってねえよ。はっきり言うぞ。こいつは俺の問題だ。ここで逃げて、アリシアが死んだのと引き換えに俺が助かるなんてことになったら、俺が俺じゃなくなっちまう。魔物にビビッたあげく、妹を置き去りにして逃げたクソに逆戻りだ。そうなるなんて死んでも嫌だね。死んだほうがましだ。いいか。迷惑なんだ」

「誇りと命とどちらが大切なのですか!」

「鏡に言え!」


 アリシアの怒声に、俺も怒声で返した。

 にらみ合う。

 どっちも、理屈じゃない。理屈を超えたところにこだわっているからこそ、引けない。引ける話ではない。


 だが……。


「おい。泣くなよ。女が泣くのは卑怯だぞ」


 にらみ合ううち、アリシアの瞳に大粒の涙がたまっていた。今にも目尻から溢れそうだ。そのくせ顔は、怒った表情のままだ。


 何へ、怒っているか?


 決まっている。

 俺のための怒りだ。

 俺が、俺であるために、命を捨てると言ったことへの怒りだ。


「ハルさんが、馬鹿なことを言うからっ……!」

「おめーが馬鹿な考えをしなけりゃいい話だろうがよ。頼むから泣くなよ!」

「ハイハイハイハイ。ステイ、ステイ」


 カレナが、ぱん、ぱんと自分の手を叩いて、喧嘩になりかけた俺たちを止めた。


「痴話げんかしてるところ悪いんだけどさー。いったんみんなで飯を食って解決策を考えようか。どっちかが死ぬかの二択選ぶより前にできることあるっしょ」


 確かに。

 寝起きでカレナから差し出されたスープは空になっていた。だが、まだまだ腹が減っている。カレナにアリシアも、腹が減る時間帯だろう。


「下で適当に食材買って何か作るわ。あ、お姫様。手伝って。ハルの好みの味付け教えてあげるわ」

「すみません。お願いします」


 謝り、自分の手で涙を拭いたアリシアの顔に、ちらりと嫉妬の色が浮かんだ気がする。

 俺の気のせい、勘違いならいいんだが……。


「ハルさんは待っててください。怪我をしているんですから無理をしたら駄目です」


 俺が返事をする前に、アリシアはカレナに続いて宿屋の一階に降りていった。


『なんじゃ。いつの間にかモテとるのう』


 リィが、にやついた声音で茶々を入れた。


「…………」

『こら、無視するでないわ!』

「黙秘する」


 どうにも、よろしくない。

 リィの軽口にとっさに言い返せないってことは、そういうことだ。

 俺の方でも、惚れかけているのかもしれん。

 よくない傾向だ。

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