第31話 衰弱の勇者と復活の魔王

 

 勇者ルナが、鉄仮面に覆われた口から大きく息を吐く。

 星を見上げていたフェルビナクが視線を下げ、膝を曲げ、腰を落とした。

 後ずさる。

 たき火を隔てて離れていた勇者ルナとの距離が、三歩ほど広がる。


「だからさ、殺すしかないだろう」


 大きなため息を吐いた後。全身鎧の化け物は不穏な台詞を口にした。


「十五年も待ってやったんだ。もうこの身体は限界に近い。アリシアを殺して、魂をくびり取って戻さなければ、私の意識はワルプルギスナハトに乗っ取られてしまう」


 さらに三歩、フェルビナクが距離を取った。

 その顔には、警戒の色が浮かんでいる。


「どうした。フェルビナクよ。合理主義者の貴様もそう思うだろう?」

「たばかるな、痴れ者め」

「たばかる?」

「計略を用いて騙そうとするなと言っている。俺の知るルナ・パーシヴァルなら、無辜の者を殺そうなどという発想、己の命が天秤の片側にあろうとも言うわけがないわ。今の貴様は、ルナではなくワルプルギスナハトなのだろう」

「ふ」


 かくん、と、鎧の甲冑が傾いた。頭が下がる。

 笑ったらしい。


「声音も口調も真似たつもりだったが――よく分かるな」

「反吐が出るわ! 我が友を愚弄するな!」

「愚弄。は。ははははは。こいつはいい。ははははははははは」


 魔王ワルプルギスナハトの哄笑が、人を不快にさせる歪んだ笑い声が、アーヴァイン山の夜空に響き渡る。


「正気を取り戻せ、勇者ルナ・パーシヴァル!」

「……っ!」


 ぐらりと、魔王の鎧がよろめく。未だたき火を前に座した身体が傾き、地面に片膝をついた。


「すまぬ、フェルビナク」

「動くな。正気を保つことだけに集中しろ。今のそのていでは、いつ魔王に切り替わるかわからん。分からん以上、動けば撃つしかなくなる」


 フェルビナクの機械仕掛けの右腕がひじの半ばから折れ、荷電粒子砲の砲口が魔王の鎧に寄生された勇者ルナに向けられていた。


 勇者ルナ。

 賢者フェルビナク。

 魔王ワルプルギスナハト。


 三名とも、常人が到達できるレベルをはるかに超えている。

 山をも砕く、荷電粒子砲を撃つレベルだ。

 ノーモーションで撃たれた荷電粒子砲を、とっさに弾くレベルだ。

 彼女達の戦いは、コンマ一秒の油断、コンマゼロ一秒の戸惑いが致命傷につながる。そういう反射速度を持った者たちのレベルだ。


「伝えることがある」

「手短にしろ」

「魔王は、ワルプルギスナハトは、焦っている……っ、く……すっこんでろ!」


 がん、がんと、勇者ルナが手甲に覆われた拳で己の鉄仮面を叩く。


「アリシアへ魂を分割して与えたことで、私は弱った。だが、私に寄生するワルプルギスナハトも同時に弱っている。今が絶好の機会なのだ。アリシアは絶対に殺すな。殺さず、守って、私がほどこした封印を強化しろ」

「封印?」

「反魂の術をかけた時、アリシアが産まれたときに、当時の全力を注いでかけた……魔王の力を封じ込める術だ……お前なら、術を解析して、っく、かけなおせる……。十五年の歳月が過ぎた今、封印が、綻びかけているはずだ……」

「分かった。やってみよう」

「本当は、私がかけなおしたかったが……」


 陸上に打ち上げられた海老のように、ワルプルギスナハトの鎧が痙攣した。

 たき火が燃え尽きかけ、煙をあげる。


「ち……」


 魔王が、舌打ちした。

 舌打ちして、立ち上がった。


「腐っても勇者か。余計なことを喋りやがって」

「ワルプルギスナハトか」

「いかにも」


 目の前にいるフェルビナク――魔王の分身たるルナ――を、なめきった態度だった。


「アリシアを殺せ。お前にとっても悪い話ではないはずだ。アリシアを殺し、反魂の術を無効化すれば、勇者ルナの力は大幅に回復する。意識の主導権も余から勇者ルナに移り変わるゆえ、正気を保てる時間も長くなる。どうだ?」

「話にならん。友との誓いに従い、俺は貴様を破壊する」

「は。ははは」


 歪んだ笑いだった。

 虚勢ではなく、心から他人を愚弄した笑いだ。

 フェルビナクを、あらゆる人間を下に見ている者の邪悪な笑いだ。


「勇者ルナの力を取り込んだこの完全剛体には、銃弾も、爆薬も、核も通じぬ。魔王の武器と称して作った兵器類も、さしたる傷は残せなかった。イルミナリティ。バルバネッサ。リュカオン。テルミットノヴァ。アルトロン。えとせとら、えとせとら……。

 貴様が余を壊すために作った特殊兵器は、ことごとく敗北を教え込んで余の支配下に置いた。あとはグリグオリグ、それに攻撃能力のないニュークリアを残すのみだ……!」

「ち」


 痛いところを突かれたのだろう。

 不快げに、フェルビナクが舌打ちした。


「余を破壊する? 余が弱った今なら勝てる? それが無理なのは誰よりも分かっているだろう。余を殺すために悪魔に魂を売った、愚かで無力なフェルビナクよ」

「一か月以内だ」

「あぁん……?」

「貴様がハルにかけた呪いが発動する前に、俺の持てる総戦力を動員する。次の戦いは出し惜しみなしだ。首を洗って待っていろ」

「く。ははは。やってみろ。だがな、気をつけろよ」

「気をつける? 貴様を破壊した後のことをか」

「お前が、楽に死ねるかどうかをだ……!」


 突風が吹いた。

 アーヴァインの山を薙ぐ突風が。

 たき火の炎がかき消され、星の光のみが対峙する二人を照らしていた。


「これまでは勇者ルナに邪魔されてきた。勇者ルナが真に拒絶する行動をとることはできなかった。お前を殺すこととかなあ。だが、これからは違うぞ。先日この身体を使って、何十もの無抵抗の人間を殺すことに成功したのだからな!」


 アリシア暗殺の特命を受けた、騎士たちのことだ。

 あの時、ルナは自分たちを包囲した騎士たちの心を読んだ。そして、彼らの目的がアリシアの護衛、救出ではなく殺害にあることを見抜き、心の底から嫌悪し軽蔑した。

 その心理、隙を、寄生したワルプルギスナハトに利用された。

 結果、勇者ルナは産まれて初めて無抵抗の人間を何十人も殺害することになった。魔王ワルプルギスナハトに操られてのことだ。


「一か月以内か。楽しみだなあ。余に負けたお前の身体を八つ裂きにしてやるのがさ。お願いですからもう殺してくださいと哀願するお前の顔を拝むのがなぁ……!」

「クズめ」

「ぐ、ぁっ!」


 うめき、苦しげに魔王の身体がよろめいた。

 フェルビナクは何もしていない。ただ、唾棄の言葉を口にしただけだ。

 変化の原因は、魔王の鎧の内側からだった。


「フェルビナク、すまん!」


 魔王の鎧がアーヴァイン山の斜面に両手をつく。両ひざもついた。土下座の姿勢。と思いきや、右の拳を振り上げた。


「今から墓穴をつくる! 埋めろ!」


 言葉と同時だった。

 アーヴァインの山に、勇者ルナが全力で拳を撃ち込んだ。

 力を込め、握った拳の周囲に目視でわかるほどの濃密な魔力を上乗せした一撃を。


 大陸貫通拳グラウンド・バスター


 ハルが使った切り札、岩盤貫通拳バンカー・バスターの上位版。

 最盛期の勇者ルナは、この技であまたの地下迷宮ダンジョンを破砕し、魔物ごと生き埋めにした。

 地面が、連鎖的に液状化する。

 拳の衝撃の直線状にある岩盤も泥も土も残らずぶち抜いて、噴火とみまがうほどの盛大な土砂を巻き上げた。

 衰弱し、半死半生の勇者ルナが放ったその一撃は、標高二千メートルのアーヴァインの山に巨大な穴をあけ、その穴は海抜マイナス千メートルを超える深度となっていた。


 その穴へ、何のためらいもなく勇者ルナは身を投げ、落下してゆく。

 フェルビナクは空中に退避し、足元の空気を固めて空に立つ。その手には、小さく黒いガラス製の板があった。


「悪魔へ。こちらフェルビナク。プライム会員ナンバー0533367182。速乾性コンクリートを使える状態で満載したミキサー車、および注入設備一式をこれから指定する座標へ即時配送してもらいたい。支払いはいつものカードにてリボ払いで行う」


 それは、特殊な召喚呪文。

 魔力ではなく金銭を消費することで、自分が欲しいものをすぐに手に入れる堕落の呪文。

 人間の世界の外、宇宙に跋扈ばっこする悪魔と契約した者のみが使える魔法だ。


 呪文の際に消費する金銭の量、対価は欲しいものの量、配送コスト、それに材料費に比例する。フェルビナクはこの魔法を使うため、悪魔へ労働力を提供するという契約を交わしていた。

 リボ払いとは、死ぬまで悪魔に搾取され続けるという悲惨な契約方式だ。

 人間であるフェルビナクの手持ちの金銭では、悪魔が欲する支払いができなかった。だから、悪魔からの搾取を受け入れることでしか、悪魔に対価を支払う方法がなかった。


 ひゅぅぅぅぅぅうん……!


 空から、パラシュートをつけた巨大なミキサー車が落下してきた。

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