第30話 アリシアと勇者ルナ

 

 オレンジ色の炎が、二人の身体を温かく照らしていた。

 魔王に寄生されたルナと、魔王の分身たるルナ。

 たき火を隔てて、両者はほどよい大きさの石に座っていた。

 アーヴァインの山の上。数分前まで、魔王城があった場所だ。

 ナパーム焼夷弾の集中投下により、周辺にいた数千の魔物ごと城が破砕され更地になっている。やったのは、分身のルナの方だ。


「順調に弱っているようだな」

「せやな」


 分身たるルナの言葉に、寄生されたルナがどこか投げやりな返事をする。

 混乱を避けるため、ここでは分身たるルナを本名であるフェルビナク、寄生されたルナを勇者ルナと表記してゆくことにする。

 鎧仮面の下から奏でられた勇者ルナの声は、くぐもった音がした。


「きついか?」

「きついね」


 主語も目的語も省いたフェルビナクの問いに、勇者ルナはなんのてらいもなく答える。


「鎧をつけてからの二百余年の中でも、この十数年がつとにきつい」

「アリシアか」


 フェルビナクの、問いかけるというよりは決めつけるような物言いに……


「…………」


 勇者ルナは沈黙で応えた。


 たき火の炎がゆらめく。勇者ルナの呪われた全身鎧の金属と、フェルビナクの改造された金属の肉体にその炎の光が反射する。


「アリシアを、を救ったのがとどめになったのだろう?」

「口が滑ったな」

「滑らせろよ。全部話せばいい」

「あえて、口にせねばならん話かね? フェルビナクにも察しがついているんだろう?」

「魔王を倒すためだ。お前の状態を正確に知っておきたい。言われた通り察しはつく。だが正確な情報ではない。推測と事実の差があるのかないのか、あるのならどれほどの差か、それを知っておかねばならん」

「くどいな。言い回しが」

「話したくないか」

「いいさ。話すよ。ご明察の通り、アリシア姫の件がとどめになった。今から十と……五年ほど昔の話だ――」



 ***



 この、二百と数十年。

 勇者ルナは、一年のうちのほとんどをアーヴァインの山に建てた魔王城の中で過ごしてきた。

 決して脱ぐことのできない魔王ワルプルギスナハトの鎧から漏れ出る瘴気が魔物を呼び寄せてしまい、結果、無辜の人々の生活を危うくさせてしまうからだ。

 魔王城にはルナが施した結界があり、結界内に侵入した魔物はわずか数分で全身の血が沸騰し、蒸発して死滅する。ルナが魔王城にいる限り、瘴気に呼び寄せられた魔物が人間に被害を及ぼすことはあまりない。魔王城の近辺に来る魔物だけは、数が多くなるたびに狩り取る必要があったが、それもアーヴァインの山の近郊までだ。

 そういうわけで、勇者ルナはわずかなエルフと共に魔王城で暮らしていた。

 十五年ほど前までは。


 そんなルナも、四年に一度ほどの頻度で魔王城を留守にする。

 墓参りのためだ。

 その墓はフェルビナク王国の王宮にある。

 墓標名は、アンナ・フェルビナク。

 アンナはフェルビナクの正妻であり、魔王討伐に赴く勇者ルナと賢者フェルビナクの冒険のために旅費を用立て、さまざまな恩恵を与えてくれた恩人であった。


 生前にアンナが好んだ花をくべ、墓に向かって手を合わせて祈る。

 彼女の安眠を祈り、今もなお生きている仲間であるフェルビナクの身を守ってくれるように祈る。

 だから十五年前のその日も、墓参りのためにフェルビナク王国の王宮へ出向いた。数分、せいぜい十分かそこらだけ短期間の滞在のつもりだった。


 だが、その日……。

 泣き声が聞こえた。赤ん坊の、耳にさわる泣き声が。

 鎧に響く、不愉快な音色だ。

 泣き声は、王宮の一角から聞こえてきた。ひどく耳に触る――というよりも、耐えがたいほどにそれは大きく、強く、不愉快な音色だった。


「ここか……?」


 王宮の中枢に入った。彼女には造作もないことだ。


「誰だっ!?」


 その部屋には多数の人間がいた。

 近衛兵らしき者たちがいた。医者らしき者がいた。看護師らしき者がいた。そして、出産を終えたばかりの半死半生の女と、血にまみれた赤ん坊がいた。

 死産だった。

 アリシアは、産まれた時に死んでいた。

 ゆえに泣き声を上げられるわけがない。事実、勇者ルナが耳にした泣き声は、その部屋の天井から聞こえていたた。

 見上げるとそこに、赤子の魂がたゆたっていた。


(ああ、そうか……)


 赤ん坊の泣き声が不愉快なのは、人間の本能を刺激するからだ。まだ人間である、勇者ルナの本能を刺激したからだ。

 あまりに幼いむき出しの魂は、自分が死んでいることに気づいていない。限りなく死に踏み込んだ状態で、現世にとどまろうとあがいている。

 その時。

 そこに赤子の魂があるのを認識できるのは魔術を極めた勇者ルナのみであった。

 ゆえに、その赤子を救えるのも勇者ルナのみであった。


(生きたいんだな、お前は)


「ワルプルギスナハト」


 誰何すいかに答え、名乗る。

 全身鎧をつけた異形の姿。

 勇者だ、などと名乗っても、信じられるはずもない。だから、ちまたで呼ばれている名前を使った。その方が話が早いと思ったからだ。

 あまり、人のいる場所に長居はできない。

 魔王の鎧の瘴気にあてられて、有力な魔物が来てしまう。


「魔王か!?」

「そう呼ばれることが多いな」


 赤子の魂が天に召されてしまうまで、時間の余裕はない。

 赤子の遺体へ、無造作に近寄ってゆく。

 途中、兵たちが抜刀して襲い掛かってきたが、フェルビナクの音速拳ですらものともしない魔王ワルプルギスナハトの鎧に、人間が太刀打ちできるわけがない。


「私はな、ただ静かに墓参りをしにきただけだったんだ」


 白い絹に包まれた、赤子の遺体を取り上げた。

 誰も、勇者ルナを止められる者などいなかった。


「今まで墓の前で立っていたが、声が聞こえた。耳障りな声だ。うなるような、なきわめくような、ひどく耳に響く声だ。そう遠くない場所から聞こえてくる。どこだ? ここからだ。ああ、忌々しい……!」


 偽らざる本心であり、口にした通りに忌々しかった。


 救わなければ、死んでしまう命がある。

 救う方法を知っている。そのために支払わなければならない代償の大きさも。

 もしも魔王に寄生されていなければ、他の手段があったかもしれない。

 けれども、その時の勇者ルナには他の手段は存在せず、他の手段がないという状況が、己の実力不足が忌々しかった。


「この赤子の名は?」

「え……?」

「名前を聞いている」

「あ、アリシア。アリシア・フェルビナク……です」


 近くにいた産婆らしき女が、震えながら答えた。


「アリシア。フェルビナクの血筋か」


 恩人の、アンナ・フェルビナクの墓参りに来ただけだった。そこで偶然、死産の現場に立ち会った。

 この偶然は、死せるアンナの差し金なのか、それともあくまで、ただの偶然だったのか。

 感傷がある。

 これがもし、何の関わりもない人間だったのならば、見捨てていたのだろうか?


 分からぬ。

 分からぬがしかし、その赤ん坊は泣いていた。うるさくて、不愉快で、とても放ってはおけないと思うほどに強く泣いていた。魂が泣く声を、勇者ルナは魔王の鎧ごしに聞いていた。


「生きたいか。生きたいよな。まだ何も為していないものな。気の合う仲間と出会えるかもしれぬ。生涯の伴侶と幸せな家庭を築くかもしれぬ。お前はまだ、生きることの苦しみも、幸せも、どちらも知らぬものな」


 肚は決まっていた。

 この赤子を救う。

 その結果、この娘に魔王の宿業を背負わせることになってしまっても。



 ***



「死産だった赤子のアリシアを救うため、私は反魂の術を使った」


 十五年前の、アリシア生誕の際の出来事を語るうち、日が暮れていた。

 標高二千メートルに及ぶ、アーヴァインの山頂近くだ。

 星が、手を伸ばせば掴めそうなほどに降っている。


「死者蘇生……神の領域だな。相応の代償が要るはずだ」


 短く、フェルビナクが答えた。

 フェルビナクも、同じくルナが見上げた空へと視線を上げる。

 二百と数十年前と変わらぬ、星の海がそこにあった。


「魂か?」

「理解が早いな」

「十五年前のその日を境に、お前は激しく衰弱した。その理由を推測すればすぐにわかる話だ」


 だろうな、と、再び勇者ルナはうなずいた。


「あの時、私は、魔王ワルプルギスナハトに汚染された己の魂の半分を削り、アリシアの魂を現世にとどめるために使った」

「その結果。お前は衰弱し、アリシアはその身に魔王の力を宿すことになった」


 魔術を極めた者にとって、魂とは概念ではない。

 魔力の源であり、生命力の源泉である。己の魂を変質させることで、一流の魔術師はこの世にさまざまな奇跡を引き起こすのだ。魔術とは極めれば、魂を扱う術となる。


「そういうことだ」


 言葉を切って、勇者ルナは大きく息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る