第29話 魔の山にて
重要なことを聞き忘れていた。
わからん。なぜ俺は、真っ先にこれを聞かなかったのか。
病み上がりの寝起きの頭だったことに加えて、あまりに驚いたせいか。
「リィ――俺の相棒の火縄銃なんだが、いつからああなったんだ?」
ベッドの上に座り、左手で不器用にスープをすすりながら尋ねる。
スープは甘かった。かすかに塩が効いてる。カレナの味付けだろう。魚と、貝か何かの出汁だと思うが、臭みはない。甘みがするのは、カボチャか。
薄い味付けのスープだった。具もほとんど入っていない。
カラカラに乾いた身体に、沁みわたっていく。
俺は数日も寝込んで何も食ってないわけで、胃の負担を考えての料理だろう。
「どうした? なんか変な事を言ったか?」
食ってる間に返事がないので、顔を上げて再度尋ねた。
アリシアも、カレナも、不思議そうな顔で俺を見ている。
「ああなった、と言われても……?」
アリシアが、俺と、リィの方と、それにカレナの顔を順番に見た。
「意味が分からないんだけど。ハルの相棒がどうかしたの?」
カレナに尋ね返された。
「いや、寝て起きたらごつくなってたんだが。ほれ。見てみ――」
スプーンを皿の上に置いて、リィの方を見て、
「え、ええ……」
俺は再度、絶句した。
『なんじゃい。すっとんきょうな声をあげおってからに』
「戻ってるぞ、おめー」
『ん? んんんんん??』
「元の火縄銃に戻ってる。いつの間に戻ったんだ」
『んんんんん……本当のようじゃ。わらわにもわけが分からん』
「こっちの台詞だぜ……」
俺は白昼夢でも見ていたのか。
いや。ないはずだ。これが白昼夢だったら、リィに”自分がごついナリになっていた”という認識があるわけがない。
「お二人とも、何かあったんですか?」
アリシアが聞く。二人ってのは俺とリィの一人と一丁のことだろう。
『今さっきまでのー、わらわの身体が大きく、強く、ものすごくなっておったんじゃ』
「寝て起きたらリィが俺の背丈くらいまであるいつもより二回りはごつい銃になってたんだ。二人とも知らねえか?」
「いえ。ハルさんが眠っている間、リィさんはいつものリィさんでした」
「あんた変な夢でも見て……あ」
「どうしたカレナ?」
「あの火縄銃の形が変わったってこと?」
「そうだ」
「…………」
「意味深に黙るなよ」
「うっさい、思い出してたんよ。ルナさんから聞いたことがあるわさ。魔砲グリグオリグと魔玉ニュークリア。この二つは、他の魔王の武器とは違うって」
***
一方、そのころ。
ルナは、魔の山アーヴァインを臨む空にいた。
アーヴァインは、標高二千メートルほどの山だ。
瘴気という名の、黒い霧に魔王城を含む山の一帯が覆われている。
瘴気は、魔王から漏れ出た魔力から生み出される。魔物にとっては甘露であり、魔力の補給源として働く。そのために、瘴気が発生した場所には有象無象の魔物たちが集まってくる。
かつて――、二、三十年ほど昔のアーヴァインは、人が夢に描く理想郷そのままだった。豊かな森があり、整備された庭園があり、無数の家畜が放し飼いされていた。エルフの里が点在しており、彼女らの主食である蕎麦が植えられた畑があちこちに見ることができた。清涼な湧水が流れ、用水路が整備されていた。
しかし今は違う。平和だった空中庭園は、もはや見る影もない。異形の魔物たちが這いずり回り、里は荒廃し、畑は幾度とない戦災によって消滅した。魔王城のある山アーヴァインはもう、人が住める場所ではなくなっていた。
「ち」
空から魔王城を見下ろして、ルナは舌打ちした。
ひどいありさまだ。
前に魔王城へ来てから、一か月ほどしか経っていないのにもかからわずだ。
「ナパームであらかた焼き払ったんだがな……」
魔物を、である。
魔の山にいる魔物を、数十発のナパーム焼夷弾を使って焼き払った。
その数、大小合わせておよそ四千匹。魔王を除き、魔の山にいる魔物をあらかた虐殺しつくしたのを確認してから、ルナはアーヴァインを後にしたのだ。
ところが……。
わずか一か月で、魔物たちが復活し、山を埋め尽くしている。
キ。
キィィィ……。
人の顔を持った巨大な蛇――全長は二十メートル以上もある――ナーガが、とぐろを巻いてこちらを見上げた。顎まで裂けた口から毒液の管が通る犬歯を露出させ、ルナを見る目つきは餌に相対する捕食者のものだ。
二尾に分かれた舌をチロチロと動かし、酸を帯びた毒液が滴り落ちる。
そこにいるナーガの数は、一匹や二匹どころではない。数十匹が群れを為して、他の魔物との壮絶な共食いをしていた。そんな中で、一匹のナーガがルナを見上げたのだ。
当然、他のナーガたちも、空にいるルナに気づく。
気づくと同時に、キィキィと笑って舌なめずりをはじめた。
「ふん。身のほど知らずどもめ」
重量五百キログラムの体躯で空に立ち――魔術で固めた空気を踏みしめ――ルナが吐き捨てた。
見下ろすルナと、見上げるナーガ。
目が合った。
ナーガの鱗に覆われた体躯がしなり、縮み、蛇皮の下にある筋肉が弾力と共に波打った。こちらを見上げ、力を貯め……ルナが観察している間に、身体を鞭のようにしならせ、一匹が跳んだ。
ドン、という跳躍音。
それが耳に届く間に、ルナとナーガとの距離が縮まっている。
家よりも大きな体躯。巨大なナーガが跳びかかると同時に広げた上あごと下あごとの間にできた隙間は、長身のルナの身体を丸ごと飲み込めるほどもある。
「シャーッ!?」
上空、山の斜面から百メートルほどの高さに立つルナの身体を、ナーガの牙がとらえた……と、思った瞬間、その蛇の体躯が爆散する。
ルナが、左腕を前に突き出していた。
突き出した拳が、蛇を爆散させていた。
別の蛇が、また飛ぶ。
爆散する。
飛ぶ。
爆散。
飛、
爆、
飛、爆、飛、爆、飛、爆飛爆飛爆飛爆飛爆飛爆飛爆……。
「ふん」
ナーガたちが全滅した。
左腕――利き腕ではない方の拳を、ルナが軽く振った。
ナーガの牙が、当たる瞬間。
空中に立ち、ルナは己の義体、二百五十を超える関節部を直列駆動。
くるぶし、膝、脚、骨盤、頸椎、肩、腕、肘、手首の部位を順番に加速させ、拳へと上乗せする。
手の甲の最終加速点にて放たれた一撃は、相手の肉体内部で破壊的な衝撃波を産み出す。
マッハ三を超える速度で放たれた、ただの左ストレートだ。
左ストレートなので、荷電粒子砲と違い、砲身を冷却することなく何発でも撃てる。
「面倒くさいが、また焼いておくか」
アーヴァインにいる魔物は、ナーガだけではない。
山を埋め尽くす数千匹の魔物を眼下にして、ルナは嘆息した。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・。
数十分後。
「何度目かな……?」
全身鎧を着た魔王が、憮然とした態度で両腕を組んで、ルナと向かい合っていた。
「魔王城を更地にされるのは、これが何度目かな?」
魔王ワルプルギスナハトが、ルナを咎める。
ルナが、ハニカムチタン装甲製の肩をすくめる。
「文句なら性懲りもなく湧いてくる魔物に言ってくれ。だいたい、お前が駆除をサボってるのが悪い」
互いの態度は、ハルやアリシアがいた時とは違う。ルナの顔に浮かぶ緊張感が違う。殺意も敵意もない、長年来の友が再会したのと同じ気安さだ。
「ごもっともだが、もはや今の私は正気を保てる時間があまりにも少ない」
「…………。魔物を駆除する時間すらとれぬほどにか」
魔王ワルプルギスナハト、いや、先代勇者ルナ・パーシヴァルが、申し訳なさげに頭を下げる。
先代の魔王討伐に成功しかけ、しかし最後のとどめを刺せなかったことが、彼女の人生を狂わせた。彼女が討伐した先代魔王はただの傀儡、影武者であり、真の魔王は別にいた。
それが、鎧だった。
魔王のつけていた鎧こそが、魔王の本体であった。
討伐に失敗した二百数十年前から今まで、ルナ・パーシヴァルという元勇者は鎧を脱ぐことができず、死ぬことすらもできず、発狂しそうになる己と戦っている。
狂えば、魔王に身体のすべてを乗っ取られてしまう。
ルナには、戦友がいた。
共に死線をくぐり、背中を預け合い、共に魔王と対峙した仲間が。
その戦友は親を知らぬ戦災孤児であり、それゆえに苗字はなく、フェルビナクという名だけがあった。
フェルビナク王国、初代国王。
仲間の犠牲を乗り越えて魔王討伐を成し遂げ、国家を興した男、と記録にある。
フェルビナク王国第一王女、アリシア・フェルビナクの遠い先祖である。
戦友を救うために、国を捨てた。
戦友を救うために、己の肉体を機械に置き換えた。
戦友を救うために、二百と数十年の月日を費やした。
今、フェルビナクは、己のことをこう名乗っている。
魔術師ルナ。
ルナ・パーシヴァル。
二つ名は、魔王の分身たるルナ。
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