第27話 鎧の王ワルプルギスナハト(その2)
まぶたを開けているはずなのに、視界が開けなかった。
目をこらせども暗闇の中にいる。それでいて、恐怖はない。むしろ落ち着いている。
ぬるい湯の中でぷかぷかと浮かんでいるような、不思議な安心感すらあった。
ただ、ここがどこなのかわからない。
いよいよ、俺は死んだのだろうか……?
分からん。
分からんし、確認しようもないが、どうしようもなくそう考えてしまう。
傭兵稼業もそれなりに長くやってきた。命の危機にさらされ、走馬燈がよぎったこともある。さっきもよぎった。だから思う。自分はもう、死んでしまったのではないかと。
魔王に呪いの首輪をつけられた。
その首輪が締まって、首が落ちた。
いや。
本当に落ちたのか……?
曖昧で、中途半端だ。釈然としない。果たして自分は生きているのか、死んでいるのか。だが、これが現実の続きであるはずがない。
失くしたはずの右腕が、無傷の状態でくっついているからだ。
「手荒な真似をしてすまなかった」
澄んだ声がした。
女の声。何の嫌みもへりくだりもない、綺麗な声。
ああ、そうか……。
声のした方向へ目をやると、暗闇の中にろうそくの光が灯ったかのようにそこだけ明るくなった。
女がいた。長身の美女だ。
胸元が大きくはだけて見えるキトーン(一枚の布を折って腰紐のみで身体に巻き付けたもの)姿。しかもその布は薄く、肌の色が透けて見えてしまう。
師匠であるルナと、顔がうり二つだった。
けれども、ルナとは違う。別人だ。師匠ならば、身体のあちこちが金属でできている。
「そうか。俺は死んだのか……」
「はい?」
「こういう状況で、美人が風邪を引きそうな格好で出てくるってことは――」
「ことは?」
「あんた、異世界転生の女神だろ?」
「女神」
「俺に、何か知らんが便利なスキルをくれるんだろ?」
「スキル」
「で、どっかのわけわからん世界で、第二の人生を歩ませてくれるんだろ?」
「セカンドライフ」
「空飛ぶスパゲティモンスター教のグルからそう教わったんだ。俺みたいに小麦よりも蕎麦が好物の信徒にも恩恵があるとは思わんかったが」
「空飛ぶ、スパゲティ……?」
「女神のくせにとぼけるのか。知ってるんだぜ」
俺が言うと、師匠とうり二つの顔をしてスケスケの衣装を着ている女神のねーちゃんは、片手で自分の頭をくしゃくしゃとさせた。
動揺しているらしい。
「えーとだな。待て。待ちたまえ。ハル君」
しかしまあ、胸のきわどい場所まで見えてしまって目に毒だ。
四、五年前の俺なら喜んで凝視してたんだろうが、所帯を持った身分なだけにどうしても妻への貞操が頭にちらつく。
って、ああ、カレナとはもう別れたんだったな。忘れていた。
「俺の名前を知ってるのか。まあ、女神なら知ってておかしかねえか」
「名前を知ってるのはそうだがね。あまりに突っ込みどころがだな……」
「あー、予定外に死んだとかそういうパターンか?」
「待て待て。私は女神ではないぞ。ともあれ話を聞いてくれ。君はいろいろと大きく勘違いしすぎだ」
「なんだ。スキルはくれねえってことか」
「あのな。君はまだ死んでない」
「嘘つけ。俺が生きてるなら腕をなくしているはずだ」
そう。
今の俺には、
普通の人間は、腕が切断されたらそれっきりだ。
俺は月の力と自分の魔力を組み合わせれば腕を再生させることもできるが、それにしたって半年はかかる。トカゲが自切したしっぽを再生させるのと似たような原理だが、さすがにトカゲほど早くはいかない。
ましてや今は、魔王に一撃くれてから何時間も経ってないはずだ。
「ハル。いいかね。私は女神ではない。人間だ。そして今、君の無意識、平たく言えば心の中に直接語りかけているのだ。君に腕があるのはそのせいだ。無意識の中のイメージによって、君は五体満足な姿となっているわけだ。君が起きれば右腕のない現実が待っている」
「ふうん。だとしたら……」
「だとしたら?」
「悪趣味だな。知り合いに瓜二つのツラで裸に近い格好を見せられるのは、嫌な気分だ。美人なだけになおさらな。誰だか知らんしどうでもいいが、俺の師匠を侮辱せんでくれ」
「お、おう。紳士だな。これは失礼した。まだ誤解はあるが、君の考えはもっともだ。あの子供がずいぶんと立派に育ってくれて実に嬉しい」
言いつつ、師匠と同じ顔をした得体の知れない女神(?)の服が一瞬で変わった。
脱いで着替えたわけじゃない。俺が見ている前で、薄手の絹の透けるようなきわどい格好から、社交場で貴族が着るようなドレス姿へと変わっていた。胸元が開いているのは相変わらずだが、さっきと違ってあちこち見えていない健全な姿だ。
「悪いが、もう少しだけ魔力を貰ったぞ。服を実体化するためにな」
「誰だアンタ? いや、誰でも構わんが、俺に何の用がある?」
「私の名前はルナ・パーシヴァル」
「それは俺の師匠の名前だ」
「そこが誤解だ。いや、怒るな。本当にそうなんだ」
「同姓同名ってことか」
「そうだが、それも少し違う。私の本名はルナ・パーシヴァル。先代の魔王を討伐した元勇者だ」
「はあ……そっすか」
確かにこの女、只者ではないとは思う。両足に重心を置く立ち方ひとつとっても、普通の人間のそれではない。
脚。ひざ。腰。背骨。腕。肩。鎖骨。首。頭部。
俺が目指し、理想としてきた重心のかけ方だ。あらゆる動作、あらゆる静止が自在にこなせるよう、立ちながらにして予備動作が完了している。現にこうして、喋っている最中にも一切の隙がない。死神のクレアですら、この女に比べればまだまだ無駄な動きがあるだろう。
それでいて、この女には殺気があるわけでもない。
自然体だ。
人間が何十年も修行して到達できる領域、達人といったレベルすらをも超えていた。
でなければ、女神だなどと錯覚するはずもない。
「先代の魔王を討伐した後に、君の師匠が私の名前を名乗ったのだ」
「…………」
その言葉を信じる理由はないが、嘘だと決めつける理由もなかった。
俺には関係ないからだ。
目の前にいる初対面の女の名前が、ルナであろうが、アリシアであろうが、カレナであろうが、ハルであろうが、知った事ではないからだ。
「ちょっと待て。私と君とは初対面ではないぞ」
「アンタと初対面だって、口にした覚えはないんだが」
「すまぬ。つい思考を読んでしまった」
「読めるのか?」
「ああ、読める。かすかにだが」
「アンタ、いや、ルナさんだったか。名前はそれでいいとして、何者なんだ? 俺を知っているみたいな口ぶりだが」
「十数年前に会ったではないか。魔の山アーヴァインの魔王城で。ワルプルギスナハトの鎧ごしに」
「…………」
どくん、と、心臓が一つ跳ね上がった。
「魔王、陛下か……?」
「なった覚えはないが、今ではそう言われることが多い」
「うかつな」
俺のことだ。
どうして言われるまで気づけなかったのか。
この持って回ったような言い回し。
自分が悪いと思ったら、どんな奴が相手だろうがすぐに謝る率直さ。
俺がガキの頃に謁見した魔王陛下、そのままじゃねえか。
「つまり、どういうことで?」
「つまり、寄生だ」
わけが分からず尋ねる俺に、陛下は一言で要約した。
要約しすぎだ。
わけがわからん。
「き、せ、い?」
「parasite」
聞き間違いようのない、見事なエルフ語だった。
「寄生っすか」
「そうだ。今からだいたい二百と……何十年か昔になるか。私は勇者だった。若かりし頃のお前の師匠とつるんで、先代の魔王を討伐した。ところが――」
「ところが……?」
「討伐したはずの魔王に寄生された」
「寄生」
「魔王ワルプルギスナハトの本体は、その鎧の内にはなかった。中身は寄生されただけの人間で、本体は別にあった」
ルナと名乗る女の、魔王陛下らしい女の説明を聞きながら、俺は陛下の姿を思い返す。
魔王ワルプルギスナハト。
常に全身鎧を身にまとい、その顔は誰も見たことがないという。
魔王城で、魔王陛下に仕えてメイドとして何十年も働いてきた俺のひい婆さんも、鎧を脱いだ魔王の姿を見たことはないと言っていた。
「まさか」
「理解してくれたかね?」
「アンタが……いや、陛下が、あの鎧の中身なのか?」
「そうだ」
「あの
「そうだ」
陛下は、その美しく整った唇を悔しげにゆがめながら、苦く笑った。
「ワルプルギスナハトに寄生されてからの二百と数十年、私は死ぬこともできず、鎧を脱ぐこともできずにいるのだ」
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