第26話 魔王vs人類最強

 人間は空を飛ばない。

 飛べない。


 鳥は飛ぶ。飛べる。

 翼があるからだ。

 一部の虫も飛ぶ。羽根があるからだ。

 竜も飛ぶ。ハーピーと呼ばれる有翼種も飛ぶ。翼があるからだ。


 人間は空を飛ばない。

 人間には翼がない。


 俺の師匠、ルナ・パーシヴァルは空を飛ぶ。

 翼はない。

 羽根もない。

 けれども師匠は、空を飛ぶ。


『細工があるのさ』


 細工?

 どうやっているんだ?

 魔術を極めたらできるのか?

 俺も、同じように飛べるのか?


『身体をいじっているのよ』


 弟子入りした頃のことだ。

 立て続けに尋ねる俺に、師匠はこたえた。


『勘違いするなよ。才能がどうこうという話ではない。単純に、身体のつくりの話だ』


 足の裏に、秘密があるという。足と、靴だ。足から靴の裏にかけてだ。

 口の裏に無数の小さな穴があり、その穴から力場を放出しているという。

 力場ってなんだ?

 魔力のようなものか?


『まあ、似たようなものだ』


 科学、という体系に属するらしい。魔術ではなく。

 力場を使って、足の下にある空気を固めているという。

 厳密に言えば、飛んでいるわけではない。

 フォースフィールド。

 力場の名前だ。

 乗っているのだ。力場で固めた空気の上に。石の硬度まで固めた空気の上に固めた空気の上に。


 師匠は背が高い。普通の人間よりも重い。

 身長百九十センチ。

 体重五百キロ。

 センチもキロも、エルフ族が好んで使う単位だ。寸尺や貫目を使うフェルビナクとは違う。


『サイボーグという』

『サイボーグ?』

『身体のほとんどを、機械と取り替えている者をそういうのよ』

『機械に?』


 どうやって?


『悪魔さ。悪魔に身体を売ったのよ。対価がこの身体だ』


 悪魔について、それ以上は教えてくれなかった。


 ウラニウムという物質を精製して、身体を動かすための燃料にしているという。

 身体は、ハニカム装甲チタンで出来ているという。


 荷電粒子砲を使うらしい。

 戦術核を使うらしい。

 らしいというのは、伝聞だからだ。

 使うと言っても、めったに使わない。

 使う必要がないからだ。

 使ったところを見たことがないので、荷電粒子砲や戦術核がどういうものか俺は知らない。


 ただ、強い。

 俺よりも。竜よりも。死神クレアや、勇者ライオネルよりも。

 桁違いに強い。

 だから、奥の手を使う必要がない。


 魔王よりも?


 それはわからない。


 ルナ・パーシヴァル。

 二つ名は、魔王の分身たるルナ。

 俺の師匠だ。


 銃。

 爆薬。

 魔術。

 魔砲グリグオリグの扱い方。


 すべて、この人から教わった。


 ***


「何の用だ?」


 アリシアを追いかけていた魔王が、止まっていた。

 空を見上げ、師匠へ問いかける。

 と――。

 師匠が口を開く前に、魔王が続けた。


「そこにいろ。それ以上は近寄るな。私も動かん。アリシア、ハル、動くな。貴様らが動けば戦いが始まる。始まれば巻き添えで殺してしまう」


 ああ。

 わかるよ。


 人類最強の魔術師ルナ。

 魔王ワルプルギスナハト。


 二人の間を取り巻く空気が、凍っている。

 張りつめ、殺気だち、互いに視線をはずせないでいる。

 どちらも、知り合いらしい。

 知り合いといっても、仲間ではないらしい。

 隙を見せれば、殺し合いに発展する。

 そういう間柄らしい。


『刺激せん方がいいぞ。陛下は本気じゃ』


 リィが警告する。こいつが茶化さずに言うのだから、相当にやばい事態だ。


 俺はアリシアの手を握って、アイコンタクトをした。

 アリシアがうなずく。

 もう俺は戦えない。

 全身の筋肉痛と、枯渇した魔力。利き腕も失った。そして、実力差。

 気力はまだ残っているが、戦うだけの力がない。


「用件か。用件を言わねば伝わらんか?」


 師匠が、空から尋ねる。


「貴様の思考は読みづらい」


 魔王が、地上から答える。


 わずかな会話をしているだけなのに、周辺へ濃密な魔力が渦巻いている。その気に当てられて、俺の血の気がすぅぅと引いていく。

 動いてはいないが、動くのがしんどい。身体が重い。吐き気がする。


「その二人を引き取りたい」

「理由は?」

「ハルは俺の弟子だ。アリシアは俺の末裔だ。貴様に殺されるわけにはいかん」


 師匠は、自分のことをよく”俺”と言う。外見は女なんだが。


「ふん。嘘つきはどちらだ」

「俺が嘘をついていると?」

「別の理由からだろう」

「別の理由?」

「余にアリシアを連れ去られては困るからだろう」

「ああ。困るな。確かにそれは困る」

「どうして困る?」

「承知しているくせに」

「貴様の口からはっきりと聞きたい」

「魔王ワルプルギスナハト。お前を殺すのが難しくなる」

「く」


 く。

 く。

 く、く、く、く……と。

 魔王が笑う。

 すさまじい笑いだ。何日も飲まず食わずで飢えた後に、手ごろな獲物を口にしたときの獣のような。


「まだ、勝てると思っているのか。この二百余年、幾度となく返り討ちにしたのもかかわらず。まだ、勝てると思っているのか」

「勝ちたいんじゃない。殺したいんだ」

「どちらでも同じことだ。貴様では無理だ」

「だが、俺は生きている」

「余の気まぐれでな」

「ふ。そこは嘘だろう。なあ。ルナ・パーシヴァル」


 師匠が、自分の名前をフルネームで告げる。その会話の流れが不自然だった。


「…………」


 何だろう?

 魔王が動揺した気がする。

 日常会話だけで周囲にまき散らされる濃密な魔力。俺の呼吸を乱し、俺の胃をむかつかせ、俺の肌を刺すような不快な刺激が、師匠の言葉によって揺らいだ気がする。


「今までの俺にはお前は殺せなかった。そこは認める。間違いがない。だがなワルプルギスナハト。お前も本気で俺を殺そうとしたが、殺しきれんかったのだろう。なあ。ルナ・パーシヴァル」

「やめろ」

「俺が彼方から近づいている間に、ハルたちとのやりとりはだいたい傍受させてもらった。ハルの覚悟を見て、ハルの一撃を食らって、起きかけているんだろう? なあ。ルナ・パーシヴァル」

「やめろ」

「退け。今、俺たちが戦えばハルもアリシアも死ぬ。ハルはともかく、アリシアが今死ぬのはお前にとっても不都合だろう」

「…………。見返りは?」

「この場にいる四名の無事では足りぬのか?」

「仮に貴様がアリシアを保護するものとする。貴様ならばともかく、貴様が契約した悪魔にアリシアを引き渡されては流石におもしろくない」 


 どうやら魔王は、師匠が契約している悪魔のことを知っているらしい。


「ふん。やらんよ。悪魔と取引をするのは俺だけだ」

「貴様が、これまでしてきた行動を列挙しようか?」

「あん?」

「名を捨てて寿命を得た。身体を捨てて力を得た。国を捨てて自由を得た。貴様は貴様が持つ大切なものを捨てて、悪魔に切り売りした。違うか?」

「違いはないな」

「そうだろう。ならばこそ。次に捨てるのは、貴様の弟子や、貴様の末裔でない保証がどこにある?」

「やらんよ。それをすれば大義を失う。大義を失えば、俺が俺でなくなってしまう」

「信じられぬ。信じる要素がない」

「ならどうする? 今のこの状態では、アリシアに死んで欲しくない。その点において、俺たちの利害は一致しているはずだ」

「アリシア」


 魔王の視線が、こちらへ向けられる。

 俺の隣で、二人を刺激しないように静かにいきさつを見守っていたアリシアに向けて。

 魔王の右手が、肩口の高さまで上げられた。手のひらを軽く広げた状態にして、こちらへ向けられている。


「しゅっ!!」

「しゃぁッ!!!!」


 その隙を、師匠は逃さない。

 同時に、魔王が気を吐いた。


 ぼ。


 何かが、二人の間を通り抜けたらしい。

 いや。

 師匠が撃って、魔王がはじいた……のだと思う。

 推測だ。

 俺の目は、動体視力は、音速の四倍で撃たれた弾丸までならどうにか見える。

 だが、今のやりとりは全く見えなかった。

 俺たちと、師匠と、魔王から遠く離れた地点の森が、燃えている。

 一キロ以上も向こうにある森の、何百本もある木々が、燃えている。


「荷電粒子の光速を見切るか」


 師匠の左の手首が、二つに折れていた。

 外傷からではない。そういう造りになっているらしい。

 腕の中に、大砲を仕込んでいるのか……。

 折れた手首の中央は空洞で、手首の端っこでギリギリつながったままの手が垂れ下がっている。血は出ていない。

 手首の空洞から、白い煙が上がっていた。


「何度も喰らったからな。はじくくらいはできる」


 手から煙が上がっているのは、魔王も同じだ。

 魔王の左腕の手甲が赤くなり、そこから煙が昇っている。

 相当な熱を帯びているのだろう。普通の鉄の場合、熱していくとだいたい千℃以上で赤くなる。赤熱という現象だ。魔王の手甲は、鉄が赤熱して溶ける寸前に近い色合いだった。


「いったい、何が……?」

「わからん」


 アリシアに聞かれ、俺が短く答える。

 推測は出来る。だが、俺なんぞのレベルでは見ることも防ぐこともできない攻防があったらしい。



 師匠が荷電粒子砲を撃ち、魔王がそれを弾いた――おそらく、それで間違いがないのだろう。



 そして、俺とアリシアの危機はまだ続いている。

 魔王がかかげた右手は、俺たちに向けられたままだからだ。


「アリシア。今から一ヶ月以内に魔の山へ来い。来なければ、隣にいるお前の想い人が悲惨な死に方をすることになる」

「え……?」


 アリシアが、俺を見る。


「ぐ」


 おっさんの声がした。聞きなれた声だ。

 アリシアの声とは違うし、師匠のものでもない。ましてや鉄仮面をつけた魔王のものでもない。

 俺の声だ。

 そう気づいた頃には、意識が薄れかけている。


「ぐ、が……」


 苦しい。俺の首を、何かが締めつけている。

 首輪か。ロープか。とにかく何かが俺の首の周りにある。輪のような何かが、俺の首を圧迫している。


絞首の呪縛ネック・ギアス


 圧迫感が弱くなった。

 けれども、うなじから喉ぼとけに至る首の周り全体への嫌な感じが残っている。首回りに手をやるが、ロープのたぐいがかけられているわけではない。ただ、何かの魔力を感じる。硬く、強く、つまりはおそろしく密度の高い魔力だ。俺の力では外せそうにない。


 この、嫌な感じ。


 表現するなら絞首刑のロープを首に乗せられた状態に近い。今のところ呼吸はできるが、目に見えないその輪が締まれば、俺はたやすく死んでしまうだろう。


「一か月だ。明日から三十日後の日没まで待つ。魔の山アーヴァインにある我が居城まで来い。来なければ、その男の首が飛ぶ」


 マジか。

 俺が人質になる流れなのか。


「お前、そこまで堕ちたのか」


 師匠が、俺の想いを代弁した。


「下手な挑発をするな」

「ぐ」


 また、首の圧迫感が強まる。ヤバい奴だ。頸動脈が締められる奴だ。


「希望通りこの場は退いてやろう。私が退くまで動くな。動けばその男を確実に殺してしまう」

「ち」


 師匠が、舌打ちしたらしい。

 俺はそれどころではない。魔王の脅しは本気のものなのだろう。首に掛けられた魔力の輪がかなり締まっている。動脈が圧迫されている。

 ああ、駄目だ。

 気持ちよくなってきた。

 血の気が引く。身体から力が抜ける。


「ぐ……」


 本日、何度目だろうか。

 俺は意識を失っていた。

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