第24話 アリシアの正体
一方的な虐殺だった。
よく熟れたスイカを、棒きれでぶっ叩いた時に出るのと同じ音。ぱん、というその音が響くたびに、一人分の命が失われていた。
どさ、どさ、どさ、と。
首からびゅうびゅうと血潮を吹き上げさせて、頭部を失った騎士たちの身体が崩れ落ちた。
ひどいもんだ、と吐き気をもよおす一方で、目の前の光景を冷静に観察している自分がいる。
死体が身に着けた防具をはぎ取って売ったらかなりの金になるだろうな、とか、下らんことを考えている俺がいる。鎧もそうだが、
まあ、それはひとまずさておこう。
何が起こった?
騎士が死んだ。それは分かる。俺が知りたいのは、どうやってやったかだ。ひいては、俺やお姫様が同じことを仕掛けられた場合、防ぐ方法はあるのか、ということだ。
一喝した後の魔王様の声には、膨大な魔力が上乗せされていた。魔力の塊が目視できるほどのすさまじい魔力密度だった。
そこまでは間違いない。
ここからが推測だが、魔力がこめられた声が騎士たちの耳の穴から侵入し、鼓膜を突き抜けて頭部へ入り込み、爆発的に膨張した。その結果、硬い頭蓋骨ごと頭部が吹っ飛ばされた。
そういう術ならば、耳と口と鼻を塞げば、とりあえずの即死は免れる可能性はある。
だが、不可解だ。
魔王様は、一部の騎士しか殺さなかった。
死んだのは、二十人かそこらだろう。騎士の数は五百騎と聞いていた。俺たちを包囲している大半の騎士は生きている。
殺せなかったのか、殺さなかったのか、どちらなのか?
「つくづくも、腐ったものだ……」
魔王様が言葉を紡ぐ。俺は思考を中断させ、次に起こることへ神経を集中させる。
生き残った騎士たちは、呆然と立ち尽くしている。
立ち尽くして、凍りついた顔で魔王様を見ている。
戦意はすでに、喪失しているのだろう。あまりの恐怖に、逃げることすらままならずにすくみ上っていた。
「あのフェルビナクが作った国の騎士たちがこれか。血統の純度を重んじるあまりに、まさかまさか、自分の国の王女を暗殺せしめようとするとはな」
エルフ語での言葉を、その場にいる騎士たちの何人が理解できたことだろうか。
「去れ。残った貴様らに用はない。死にたいなら別だがな」
魔王様の鉄仮面の下から、くぐもったエルフ語が響く。
騎士たちは、その場で脚を縛られたかのように動かない。戸惑った様子で、こちらをじっと見ている。
ああそうか、と得心して、俺は魔王様の言葉を翻訳した。
「この方はアリシア姫の婚約者の魔王サンだ! 魔王サンは、残った奴らは見逃してやるって言ってるぞ!」
俺の使うフェルビナク語はイントネーションがややおかしいらしいが、日常会話に支障はない。
「ああ、言葉の違いか。いいぞ。気が利くな」
お褒めの言葉を預かったが、恐怖が先に立ってさほど嬉しくはない。
ぱん、と魔王様が手を叩いた。
びくん、と、硬直していた騎士たちが、身体を一つすくませる。
それが合図になって、行動の自由を取り戻したらしい。
「わああああああああああああっ!!!」
蜘蛛の子を散らすように、屈強な騎士たちが逃げてゆく。
同僚の死体をその場に残し、生存本能が命じるままに、魔王から少しでも遠くに離れようと全力で走っていった。
ほどなくして――
数十の騎士たちの遺体が転がり、血の臭いが立ち込める森の中には、俺と、お姫様と、魔王様だけが残された。
「手短に説明しよう。私はある程度、他人の心が読める。今しがたやったのはな、アリシア姫を謀殺しようとした者だけを殺し、純粋に護衛の任務についた者は生かしたのさ」
「ああ、そういうことでしたか。なるほど」
そういうことなら、いましがたの一方的な虐殺の理由も分からんでもない。
ただそれでも、俺の知る魔王様は軽々しく人を殺すような方ではなかったと思っていたんだが……。
「十数年という歳月は、考え方が変わるのには十分な期間であろ?」
苦笑を帯びた声が俺にかけられる。
つくづくも、恐ろしい方だ。
俺が考えていることが筒抜けになっている。
おそらく、お姫様の考えていることも筒抜けだろう。うかつに不敬な妄想をしたら頭を吹っ飛ばされてしまいそうだ。
「アリシア姫の護衛の任務、ご苦労であった。確かに姫は受け取った」
「どうもっす」
魔王様の言葉、そして俺の返答により、依頼の達成基準が満たされた。
それに伴って、クレアばーさんによってかけられた契約魔法の縛りが解除される。
具体的に言えば、“契約違反をしたら俺の股間の紳士が吹っ飛ぶ”という、ふざけた条件付き爆破魔法が解呪されたわけだ。
さっき死にかけたものの、終わってみれば拍子抜けするほどに楽な仕事だった。
あとは、後日に口座に振り込まれる予定の金を受け取るだけなのだが――。
「あの……お姫様を引き取った後に、どうされるんですか? その後の処遇とかは」
もはや、俺には関係がない話なのだが。
このまま引き渡してさようなら、というのも気が引ける。
お姫様には命を救われた恩もあるし、目の前の魔王様はどこかが昔と変わっていて、いまいち信用しにくい。大丈夫だとは思うんだが。
俺の隣でひざまずいたまま、お姫様が魔王様を見上げている。
血の気を失い、身体が震えていた。
それはそうだろう。目の前にいる魔王が騎士を惨殺した現場に居合わせたのだ。
俺が目を手で覆ってむごい光景を見せないようにしたものの、新鮮な血の臭いはそこら中からただよっているし、死体も転がっている。
そんな相手に引き取られて、いったい何をされるのか……不安にならない方がおかしい。
「殺すよ」
えーと……。
聞き間違えたかな。
耳が腐ったかな、俺は。
『どうしてじゃ!?』
俺ではなく、お姫様ではなく、リィが叫んだ。
そうか。
俺の聞き間違いじゃないのか。
わけがわかんねえな。
「殺すよ。手遅れになってしまうからな。今すぐではない。あと一年くらいは生かしておいてもいい。二年はないな。ふびんだが、致し方あるまい」
「…………」
胸が、むかつく。
氷の塊を無理やり喉に突っ込み、飲みこまされるような不快さが、胃のあたりにうずまいている。
「ちょっと、言っている意味が分かりませんが」
半ばキレかけながら、俺が問う。
『ハル、やめろ。お前まで殺されてしまうぞ……!』
リィが俺を制止する。ああ、知ってるよ。分かってるよ。
それでもあるだろうが。言わざるを得ない状況ってもんがよ。
「殺すと言ったのだ」
どうしてだ?
殺すために、来るようにと言ったのか?
俺が命がけで請け負った仕事は、クレアばーさんが命がけで俺に託した仕事は、お姫様を生かすためではなく、魔王の手で殺すためにあったのか?
ならば何故、お姫様をあの騎士たちに殺させなかった?
ならば何故、お姫様を殺そうとした騎士たちを殺した?
これじゃあ魔王様も、同じ穴のむじなじゃないか……!
「殺すにもきちんとした手順を踏まねばならぬ。あの連中では駄目だ。もちろん、貴様でも駄目だ。自殺されるのも論外だ。私がやらねばならぬ」
お姫様が、俺の手をすがるように握る。
俺はその手を握り返す。おびえて震える手を、握り返す。
「アリシアを殺さなければフェルビナクは滅ぶ。他の国も滅ぶ。世界の半分ほどが滅ぶ。だから殺す」
「どうして、そういう話になるのでしょうか?」
分からん。
魔王様の言葉は思わせぶりだが、脈絡がない。
頭の悪い俺にはさっぱりわからん。
分かったとしても、納得できる話でもない。
「真の魔王が覚醒してしまうからだ」
「真の魔王……?」
おそるおそる、お姫様が魔王様にたずねた。
「か弱く無自覚な者よ。言葉通りの意味だ。……ああ、そうだ。
仮面の下のくぐもった声が、おごそかに告げた。
「“魔王の後継たるアリシア”」
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