第21話  毒

 

「ぐあああっ」


 胃が焼ける。口から苦い胃液を吐きだす。あぶら汗が目に入り、涙とともに不快なかゆみを頬に残す。が、時間差で襲ってきた脚の痛みが、その全てをどうでもいいものにさせる。


「ああああああああああああああっ!!!」


 灼熱。

 炎で脚をあぶられ、炭化しながらもなお燃え続けるよう錯覚。


「ハルさん、脚が!」


 お姫様の悲鳴がした。そういえば、そばにいたんだった。


「どーなってる!?」

「き、傷痕らしい場所が赤紫色になっていて、とても腫れてます。血は出ていません」

『大変じゃあ。イルミナリティと似たような力を感じるんじゃあ……!』


 リィが恐ろしいことを言いやがった。


「魔王の武器の毒か。くそ、くそ、くそ……!」


 激痛と、怒りに、身をよじる。

 腹が立つ。弓を射かけた不届き者に対してではない。油断しきって回避できなかった自分に対して。


 痛い。吐き気もする。だが、意識はある。考えることもどうにかできる。吐き出した胃液が口周りと服にべっとりとついて気持ち悪い。

 口をぬぐい、歯を食いしばった。

 片足に力が入らない。立てない。だが、できることはある。


「今から腫れた場所をナイフで切る。悪いが姫サン、火のついた薪をとってくれ」


 傷口の周りの血を抜き、焼いて消毒と止血をするしかない。今の痛みよりもさらにキツい痛みが待っているが、何もしなければ死ぬだけだ。


「あ、あの、毒なら吸出しすればいいのでは? 私やります!」


 お姫様が何でそんなことを知ってる?

 ああ、俺が渡した冒険指南書をきちんと読んだからか。


「やめとけ。蛇の毒じゃねえ。……ぐぅっ……毒の種類によっては姫サンも死にかねん」

「私は別に――」

「口答えするな死にてえのか!」

「すみませんっ!」

「ぐ、うぅ……」


 うめきながら、半身を起こす。矢傷を受けた脚の患部を切り裂くために。傍らに置いた銃剣の銃口にある金具のピンを外し、ナイフを取る。


「これでいいですか?」

「上等だ」


 お姫様から薪を受け取る。木の先端が燃えていて、ばちりと火が爆ぜた。

 ナイフの切っ先を火であぶる。


「姫サン、見るな。トラウマになるぞ」

『ハル、死ぬなよ、ハルぅ……』

「情けねえ声だすんじゃねえよ。いつもみたいにあおってろ」


 泣きそうなリィの声に、自分の命がやばいことが嫌でもわかる。

 かすんだ目で患部を見る。脚のひざから下、ふくらはぎが燃えるように痛む。紫色の血が溜まってぶよぶよに腫れあがった中心に、引きつれた矢傷の痕があった。

 また、吐き気がする。矢を射かけられてから三刻は過ぎた。毒がどれほど身体に回っているのか、どういう毒なのかもよくわからない。


「姫サン……、どっかそこらに薪をまとめてた紐があるはずだ。とってくれ。止血に使う」


 呼吸が荒くなってきた。頭も重い。


「はいっ!」

「く、う……」


 視界が危うくなってきた。お姫様の姿がかすんで写る。

 紐が渡される。すぐに、膝のあたりを縛る。力はまだ入るようだ。脚に至る血管が圧迫され、血流が止まる感覚がした。

 ナイフを持つ手が震える。心臓の鼓動が速い。かなり毒が回ってきている。迷っている余裕はない。傷口に、ナイフの切っ先を突き立てた。


「ぐあちっ」


 熱い。

 意識が遠のきかける。

 焼きながら切り裂く鋭い痛みが、失いかける俺の意識をギリギリで繋ぎ止めている。


「ぐ、あ、あ、あ……」


 とても、処置をするどころではない。

 強烈な吐き気。血の気が急激に失せる。力が入らず、ナイフが手から滑り落ちた。

 紫色に変色した血が、膨れ上がった患部からしみだしている。切った範囲は小さい。だが、毒が身体じゅうに急激に回り始めた。おそらく、応急処置をしたら発動するようなトラップ、呪いのたぐいが仕掛けられていたんだろう。なにせ、魔王の武器による毒だ。


 ああ、駄目だ……。


 死ぬ。


 座った姿勢すら維持できず、上半身を投げ出して地面に横たわる。


「ハルさんっ!?」


 お姫様の声が聞こえる。肩が揺すられる。


「わりい。ちょっと休むわ。もし死んだら姫サンだけでも逃げてくれ。俺の荷物袋に金貨と銀貨が何枚かある……好きに使ってくれ」

「そんなっ!」

「あと、手紙を頼む……。遺書を書いといて正解だったな……」


 く、く……、と。

 死んだ後のことを心配する自分に、不意におかしくなる。すぐ油断するくせに、こういう時の準備だけはいいところがどうにもおかしかった。


『ハル、おい、ハル!!』


 リィの声が、やかましく頭に響く。

 俺の意識は、記憶は、そこで途絶えていた。



 ***



――アリシアside――



「ハルさん!!」

『おい、ハル、ハル!』


 ハルが毒に倒れ、意識を混濁させた。

 アリシアと、喋る魔王の武器グリグオリグに声をかけられても、応答がない。


「ああ、もう!」


 アリシアがハルの肩から手を離した。衣服が泥と血で汚れるのも構わず、すね毛の生えた男の脚をかかえる。


『お嬢ちゃん、何をするんじゃ、ぬしまで死ぬぞ!』


 うるさい。

 悩む時間なんてない。自分を助けてくれた人が、こんな馬鹿みたいなところで死んでいいわけがない。

 ハルの傷口に口をつける。


「んっ、んぅ……ぺっ、ぺっ」


 必死だった。

 口をすぼめて吸った血は、じゅくりとして生暖かい。ひどい味がした。苦くてえぐくて、そしてさび付いた鉄の味。すぐ、近くの土の上に吐き出す。一刻を争うのだ。四の五ののたまう時間はない。たとえその結果、自分が一緒に死ぬことになったとしても。


「んっ、んっ……」


 毒の吸出しを数往復こなした後、手首をとって脈を確認。ある。けれども弱弱しい。

 ハルから貰った冒険指南書の内容を思い出す。毒蛇に噛まれた場合の処置。毒草や毒キノコを食べた時の処置。


 患部から毒抜きをした後の処置は――。


 ハルの衣服の胸元をくつろげさせる。ついでに身体を横向きにし、呼吸をしやすい態勢にする。それから。

 あたりを見回す。大きな葉っぱのついた草が目に入った。消毒の効果がある薬草だ。葉を何枚かちぎって、脚の傷に密着させる。その上から、ハルが止血のために足に巻いた紐の残りを使って患部をぐるぐる巻きにする。


 それから。それから――。


 ハルの顔から血の気が引き、身体が冷たくなっていった。全身が小刻みに痙攣している。荷物袋の上にあった外套マントをとり、ハルの上にかけた。


 それでも、震えが止まらない。触れた腕が、頬が、首筋が冷たい。


 火のついた薪に、残りの薪をかざす。駄目だ。たぶん火力が足りない。吹きさらしの屋外、しかも肌寒い朝だ。これでは身体のうちの、火に当たる面だけしか温まらない。


 ハルの顔から、血の気が失せていく……。


 何度も何度もハルを呼ぶリィの声が、絶望にまみれてゆく。


 他に何かないのか。男の人の身体を温める方法は、何か――。


 あった。


 意を決して、アリシアは自分の衣服を脱いだ。


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