第20話 お姫様との食事

 白いもやが、彼方を照らしている。それは徐々に大きく広がり、広がってゆくとともに視界を覆う闇が晴れていった。


 夜明けだ。


「わあ」


 朝日に照らされて、世界がいろどりを帯びる。

 暗闇のヴェールが剥がれ、大地が光に満たされてゆく。

 感嘆の声は、お姫様が発したものだ。元気になったらしい。


「降ろすぜ」

「あ、はい」


 担がれていたアリシアが、地面に両足で立つ。


「ふぅ……」

『お疲れ様じゃのー』


 変身を解く俺へ、かついだ火縄銃のリィがねぎらいをかける。


「ぬぅぅぅん」


 月の魔力を受けて窒素合成する肉体強化の魔法。その術の解除は、めちゃくちゃ痛い上にとても疲れる。

 びき、びき、と……。

 熊のように膨らんでいた筋肉の鎧が無数のミミズのようにのたうつ。人間の倍ほどもある体躯が、みるみるうちにしぼんでいった。


「ぐぅぅぅぅん」


 肩幅が狭くなり、身長が縮み、アリシアより頭一つほど高いところまで小さくなったところで変化が止まる。

 熊ほどの大きさだった俺の身体が、普通の人間サイズになっていく。


『相変わらず笑える声じゃのう』

「やってる方はめちゃくちゃしんどいんだけどな……」


 リィをぶん殴りって痛みのおすそ分けをしたくなるくらいにな。やらんが。一応女だし。


 俺は、アリシアを抱えて数刻ほどの時間を疾駆していた。

 周囲に、人の気配はない。

 俺はアリシアを降ろした。そこは雑木林が自生し、小さなせせらぎが池へと注ぎ込む場所だ。虫の鳴く声や、獣のいななきがどこかから聞こえてくる。


「はわわわ」


 妙な声をあげて、お姫様が顔をそむけた。


「?」

『服を着ろ、たわけめ』

「ああ、そうか」


 今の俺の装備は腰巻とリィだけだ。化け物の姿はガタイがでかい上に力が強すぎるんで、普通の服なんぞ着てたら布地が裂けて使い物にならなくなる。普段担いでいる荷物袋は、ロープでまとめて腰にくくりつけていた。


「いいぞ、服を着た。うぷ……」


 荷物袋から、替えのズボンと上着を取り出して着込んだ。

 それにしても。

 身体が重いし吐き気がする。久しぶりに強化魔法を使ったせいか。筋肉痛はいつものことだが、夜に射貫かれた脚の傷跡もじんじんと痛む。


「ど、どうもすみません。あっ……!」

「うお……っ」


 お姫様がこちらを見て、俺も見返す。そこで俺たちは気づいた。


「はわわわわわわ!?」


 ドレスが破れてる……!

 いやさ、理由は分かる。肉体を強化して化け物状態になった俺の肩にかつがれて、森の中を数時間も移動したからだ。服のあちこちが擦り切れるのは仕方がない。枝にも引っかかる。

 そこはいい。

 問題は破れた箇所だ。

 こともあろうに、お姫様のでかい胸を覆う布地の部分が破れてぱっくりと中身がこぼれだしていた。腰も細いし歳のわりにあまりにでかいんで詰め物でもしてるのかと疑っていたんだが、あのたわわの全部が本物だったとは。


「はううううう……」


 胸を隠し、俺に背を向けて、お姫様はうめいた。背中ごしに見えるうなじや耳たぶまで赤い。


「すみません、お見苦しいものを」


 俺に背中を向けたまま、座った姿勢でお姫様が言う。

 見苦しいなんてとんでもないんだが、下手に褒めたら逆効果だろうなこれ。


『おぼこか。初々しいのう』

「まだ十五のご令嬢ならそんなもんだろ」

『はぁん……?』

「なんだよ」

『貴様は平静を取りつくろうのが上手くなってまあ。可愛げがなくなったのう。もっとこう、カレナ嬢の裸を始めて見た時のような初々しさをじゃな』

「埋めるぞ」


 リィとくだらん会話をしている間に、俺は傭兵としての仕事をしている。

 川に近い森の中、一か所だけ不自然に植物の生えてない場所がある。

 荷物袋から小さなスコップを取り出し、その地面を掘る。いや、掘り返す。もちろんリィを埋めるためじゃない。


「何をされているんですか?」

「宝探し」


 お姫様の質問に、短く返答をする俺。

 土を掘り返す。

 ひたいから、汗がにじむ。

 息もあがってきた。筋肉痛の身体が痛い。疲れているせいか、吐き気もさらに強くなってきた。


「よし……!」


 真新しい袋が見つかった。ガラスの瓶も、靴もある。薪もあった。


「姫サン、着替えだ。靴もヒールじゃ動きづらいだろ。変えてくれ。俺はあっちを向いてる」

「助かります」


 服と靴の入った袋を投げよこすと、お姫様は胸元を手で覆ったまま、もう片方の手で自分の下へたぐりよせた。

 着替えの邪魔なので俺はそっぽを向く。


「先発隊を派遣してもらって、いくつかのポイントに補給物資を置くように手配したのさ。つっても準備期間が三、四日しかねえんであるかどうかは賭けだったけどな」


 物資があるという確証はなかった。

 だからこそ、駄目だった時のためにカレナに衣服の調達を頼んでいたわけだ。


「着火」


 お姫様に背を向けたまま、俺は魔法を使って薪に火をつける。

 遠隔爆破が得意な俺にとって、火種なしで薪を燃やすなんぞ造作もない。

 袋の中には、チーズも、干し肉も、飲める水もある。金もあった。最高だ。


「着替え終わりました。もうこちらを見ても大丈夫です」


 お姫様の声に、俺は振り向く。長袖に、くるぶしまで隠れる長いズボン。革製の靴。王族の教育役が見れば卒倒しそうな格好だろう。

 胸周りが苦しそうなのは申し訳ないが、特注にあつらえた服でないのでどうしようもない。ドレスよりかは格段に動きやすくなったはずだ。


「腹減っただろ。飯にしよう。口に合うかどうかわからんが」

「はいっ」


 着替えたお姫様に声をかける。お姫様が、嬉しそうに答えた。



 ***



「むっ……!」


 俺から受け取ったチーズを口元に寄せると、お姫様は少しうめいた。

 王宮暮らしにはキツいかもしれない。羊乳のチーズは酢のような発酵臭がするからな。


「もぐ」


 意を決したらしい。ひとかけを口に入れた。


「はわぁ……!」


 気に入ったらしい。パァァァと、顔がほころんだかと思うと、二口、三口とぱくついた。なんかこう、見ていて微笑ましくなるな。


「美味しい。塩辛くて硬くてちょっと甘いのに濃厚というか」

「ほう」


 いいとこの身分のくせに分かってるじゃねえか。


「炭酸水で流すとさらにイケるんだこれが。今は煮沸したのしかねえけどな……うぷ」


 水の入った瓶を渡す。

 俺も食いたいが、不思議と食欲がない。


「あ。すみません。……コップは?」

「ない。瓶に口つけてラッパ飲みしてくれ」

「なんと……!」


 お姫様が瞳を大きく開ける。育ちがいいこった。


「そんなお行儀の悪いことをしても怒られないんですね!」


 嬉しそうだな。

 と、思う間に瓶に口をつけた。適応力の高いこった。


「ん、美味しい!」

『このお嬢さん、何をしても優雅じゃのう……』

「スライムをむさぼり食う奴とは大違いだな」

『なんじゃい。同じじゃろがい。スライム馬鹿にするな。めちゃくちゃ美味いんじゃぞ』

「スライム……?」

「ああ、すまん、こっちの話だ」

「そういえば、昨夜から気になっていたんですけれども」

「うん?」

「ハルさんが喋っている女性の声は、どこから聞こえてくるのでしょうか」

『なぬ?』

「姫サン、聞こえてるのか?」


 にわかには信じがたい。

 リィの声を聞ける奴は、俺を含めてこの世に三人しか知らない。その全員が、魔王ゆかりの者だ。


『聞こえとるのか。わらわの声が』

「はい。聞こえてます。どこから喋っているのですか? 腹話術でも?」

「驚いたな。これまででリィの声を聞いた奴は、俺と魔王サンと、あと師匠だけなんだが」


 師匠の二つ名は、“魔王の分身たるルナ”だ。


 俺は火縄銃を固定するためのベルトを外し、両手でリィを抱えてお姫様に見せた。


「喋っているのはこいつだ」

『魔砲グリグオリグ、略してリィじゃ。陛下が手づからお造りになられたすんごい高貴な兵器なんじゃぞ。口を利けることをありがたく思え』


 偉そうにリィが言う。

 お姫様は軽く目を見張った後、リィに向かって丁寧に頭を下げた。


「ご丁寧な挨拶ありがとうございます。お会いできて光栄です、リィ様」

『ハルー』

「なんだよ」

『この娘、めちゃくちゃいい娘じゃあ……』

「よかったな」


 話し相手が増えてよかった。リィはわりと寂しがりやだから。

 しかし、何故リィの声が聞こえるのか。こいつは喋る時に音を出さない。口がないからだ。

 魔王サンが花嫁にしたいと申し出たことと、何か関係があるんだろうか。


「…………」


 どうしてだろう。

 吐き気がひどい。呼吸もしづらい。


「ハルさん……?」

『おい、おい、ハル。どうした!?』

「?」


 言われてから、ようやく気づいた。

 バランスを失って、俺はその場にぶっ倒れたことに。

 昨夜、矢を射かけられ、傷ついた脚の感覚がなくなっていた。


「うぐ……ぐああああっ!」


 耐えがたい吐き気がこみ上げて、俺の胃から喉を炎のようにあぶった。


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