第19話 魔弓アルトロン
「~~~!」
激痛。
叫び声を、俺は必死に押し殺した。
痛みの中心部に視線を送る。脚だ。闇でうまく見えない。手で触る。矢が、足から生えていた。違う。刺さっていた。矢じりが肉を貫通し、シャフトが深く脚にうずまっている。
弓音が聞こえなかった。
射かけられたことに、気づけなかった。
相当な距離からの射撃だ。
『ハル!?』
「たぶん、王宮で会った奴だ……」
『生きとるか。なら大丈夫じゃのう』
「こっちはすげー痛いんだけどな……」
普通の矢ではありえなかった。鋼の筋肉をまとった今の俺に深い傷をつけたのだから。そしてちょうど一人、普通でない矢を使う奴に心当たりがある。
王宮からの脱出劇のいざこざの際、俺はヒグマのような大男と、弓矢を持った小男に殺されかけた。そのうちの小男の方だろう。名は、確かアルフレッドと呼ばれていたか。
口を噛みしめた。
矢じりを折り、シャフトを引き抜く。痛い。悲鳴が出そうになるが、喉の奥に飲み込む。叫べば、矢が当たったことも、自分の正確な位置も敵に知らせることになってしまう。
ちくしょうめ!
我慢だ、我慢。我慢しろ俺。
血が流れたが、傷はすぐにふさがる。月光の中で発動する肉体強化の呪文は、周囲から窒素を取り込みたんぱく質を精製する。幸いにして矢は骨をそれていた。ならば傷は数秒で再生できる。
だが、ここにいるのは危険だ。
弓で狙われている。放たれた矢は、恐ろしく貫通力が高い。
満月の夜に変態した俺の肉体は、鋼鉄の強度を誇る。ナイフの刃を通さず、長銃の鉛弾をはじき返す。その身体に、穴を空けたのだ。
「姫サン。立てるか? わ、わりいが長居できねえ」
声が震えた。あぶら汗が額からだらだらと流れている。
『おー、がんばれがんばれ。頑張って耐えろ』
うるせえ。痛いんだよ……!
いつもなら聞き流せるリィの茶々が、めちゃくちゃ腹がたつ。
痛みのせいだ。こむら返りの数十倍の痛みが俺の脚を襲っているからだ。人体の限界を超えた超高速で再生する際、身体は筆舌に尽くしがたいくらいに痛む。穴を塞ぐ際に筋肉や骨に相当の負荷がかかるのだ。しかも神経が太くなっているおかげで、どんな激痛であろうとも気絶はできない。
「は、はい」
お姫様は返事をし、立ち上がった。少しふらついている。しかし意識は戻っているらしい。
「今、姫サンの目の前でしゃがんでる。俺の右肩の上に腹を載せて体重を預けてくれ。アンタを抱えてここから離れる」
「わかりました」
お姫様が、俺の言われた通りに腹ばいになる。
『本当に素直な子じゃのう』
まったくだ。
この状況、これだけの説明で指示に従ってくれる顧客はそうはいない。過去にかかわった横暴なアホどもときたら――いや、今はその話をするときではない。
鼻孔を、甘い匂いがくすぐった。
お姫様の香水の匂いだ。身体に、柔らかい大きな胸があたっている。歳を考えたらまだ発育途上のくせに、ボリュームがカレナとは大違いだ。
『役得じゃのう』
「…………。うるさい」
『沈黙がすべてを物語っとるわ』
リィにはそろそろ、お仕置きが必要かもしれん。
そう思うくらいには余裕がでてきた。脚の傷が完全にふさがったからだ。
もう、痛みもない。
『男はみんなすけべじゃ』
「あのな……」
言っておくが、おらあまだ二十二だぞ。
めちゃくちゃ美人の女の柔らかいふくらみが身体に当たったら、たぎるモノがあるのは当然だろう。
『こいつ、開き直りおった』
「あ、あの、ハルさん、どうかしましたか?」
ひそひそ声での俺らのやりとりに、担がれたお姫様が不思議そうに尋ねてきた。俺の身体におっぱいを押しつけたままの体勢で。……なんかもう、色々とすまん。
「ああ、悪い。なんでも――」
「敵襲! 敵襲!! 化け物がアリシア様を襲ってるぞ!!」
「ち」
彼方から怒号がする。騎士たちに気づかれた。
リィの軽口は無視すべきだった。俺の相方は少しも空気を読んでくれない。
「姫サン、苦しくないか?」
きゃしゃな身体が落ちないよう、俺は腕を彼女の背中に回した。
「は、はい。大丈夫です」
「よし。行くぞ」
やりとりの間、五回ほど風切り音がしていた。矢がいかけられた回数だ。しかしこの暗闇。どれほどの距離から放っているのかわからぬが、そうそう当たるものではない。
膝を曲げ、腰を落とす。姿勢を低くしたのは、矢をよけるためではない。
強化された太い脚の筋肉が、さらに太く膨らんだ。大地を踏みしめ、力む。
「ふっ」
呼気と共に、力を開放する。膨らんだ脚の筋肉が収縮し、凝縮された力がひざを伝達して大地を蹴った。
化け物が、お姫様を抱えて満月の闇を飛んだ。
***
「いったい、どうやったら人間をこんな風にできるのだ……」
激しく損壊した副長の遺体を前に、騎士たちは戦慄していた。
首がひしゃげ、ねじ切られている。
刀や斧で切断されたのではない。力づくでやったという感じだ。人間のしわざとはとても思えない。
「六度……」
小さな男――アルフレッドが、静かにつぶやく。
その場にいた騎士たちの視線が、彼に集中した。
「魔弓アルトロンであの化け物を射かけた」
王宮で魔砲グリグオリグに一矢を食らわせ、先ほど化け物となったハルの脚を射抜いたのがこの男であった。
「最初の一発は当たったが、次からの五発は外された。俺の弓は必中の能力を持った魔王の武器だ。にもかかわらず、外れた。何故だ? 決まっている」
一呼吸を置き、周りの騎士たちに告げる。
「あの化け物も魔王の武器を持っているからだ。超絶の力を持つ魔王の武器も、同じく魔王の力を持った武器でならある程度は防ぐことができる」
「魔王の使いか?」
騎士団を預かる隊長の男が、アルフレッドに尋ねた。
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。だが、アリシアを殺さずにさらっていった」
「まずいな……」
隊長が顔をしかめた。アリシアの暗殺が、彼らの仕事だからだ。
領民の目につかない場所で……、と、これまで殺害を延ばしていたのが裏目に出ていた。
「問題ない」
「どこがだ!?」
激昂し、隊長がアルフレッドをにらみつける。尋常な眼光ではない。数百騎の騎士を預かる隊長の刺すような視線であり、怒声だった。
周囲の騎士たちが首をすくめ、隊長を見つめる。
にらみつけられたアルフレッドは、平然としてにやついた。
「あの化け物は、明日の昼までに死ぬからだ」
糸のように細い瞳に笑みの色をたたえ、自信たっぷりに言う。
「何故だ?」
「最初の一発が当たったと言っただろう。それで十分だ。俺の矢は、どんな魔物でも死ぬ猛毒が塗られている」
アルフレッドいわく――
百発百中の矢を放つ魔弓アルトロンの真価は、その致死率にある。百発百中で放たれる矢は毒性を帯び、毛ほどの矢傷をつければ、神経に作用して呼吸を停止させるという。
「化け物の居場所もわかる。毒の臭いを追跡するだけでいい」
「どうやって追跡するのだ。猟犬を連れているならともかく」
「俺の鼻ならばわかる」
魔弓の持ち主にしか分からぬ魔法毒の臭いが、風に乗ってただよってくる。五里(一里:四キロメートル)や十里、いや百里を離れようとも、この臭いがある限り彼は追跡を失敗しない。
「もって明日の昼までだ。夜明けを待ってから追跡しても十分に間に合うさ」
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