第16話 旅の開始 / ハルとカレナ

 

 ハルが、王宮で多数の衛兵を殺害してから五日後――

 アリシアは、船の上にいた。騎士団に守られ、広い川の上を移動しているのだ。


(お、の、れ……!)


 うずまく胸のむかつきに、内心で毒づく。


「うぷ……おぇええええええ」


 耐えきれず、本日の朝食を吐き出す。

 船べりに手をかけ、甲板を汚さないように川にゲロをするさまは姫の気品からはほど遠い。

 船酔いをしていた。

 しかし、胸を焼くむかつきはそれだけではない。

 まともな人生を歩んできた乙女ならば誰しも感じたことがあるだろう、人をぶち殺したくて、でも殺せないので悶々とする時のあのむかつき。

 十五年の生涯で産まれて初めて、アリシアはそのむかつきを感じていた。


(叔父様め……!)


 彼女の叔父、バックス公爵は自分の恩人に王族誘拐未遂の濡れ衣を着せた。


 ハルは王宮に侵入した工作員という扱いとなり、手配書が配られて金貨二十枚もの懸賞金がかけられている。


 許せない。

 彼女の恩人を罪人に仕立て上げた、叔父様の仕打ちが許せない。

 叔父様は十数名の兵士が殺傷されたというが、あの人が意味もなく人を殺すとは思えなかった。

 クレアもクレアだ。全ての罪をハルに被せて、知らぬ存ぜぬを押し通した。


だが、いちばん許せないのは自分だ。自分自身のうかつさだ。

あの朝、部屋を抜け出してハルに会いに行かなければ、濡れ衣を着せる名目など作らせはしなかった。


(私に力があればよかったのに)


 できれば叔父様を殺したいし、クレアを思いっきりぶん殴りたいのだが、実力的にも物理的にも不可能なので煮えたぎる怒りを抱えたまま悶々とするしかない。やれたのは自分の頬をしこたま叩いたことくらいだ。


 幸いにして、ハルは王城から逃げおおせられた。いや、ひょっとしたら堀の底で息絶えているかもしれないが、遺体が上がったとは聞いていない。だから生きている……と、信じたい。


 ハルと一緒に旅をしたかった。


 その願いは叶わずに、警護の騎士に囲まれての旅をしている。目指すは魔王の住む山、アーヴァイン。たどり着いた後には魔王との結婚式が待っている。


『国境を抜けたあたりで暗殺されるかと思います』


 出立の直前に、クレアからそう警告されていた。



 ***



 一方、その頃――。

 河を見下ろせる小高い丘に登り、俺は遠見の眼鏡で船上の様子を観察していた。


「ち」


 俺は舌打ちをした。

 国境を超えたあたりから、周囲を行きかう船がほとんどなくなった。場所は都市国家群の外れ、周囲数里にまばらに住人がいる程度だ。

 こっそりと、お姫様を殺すのには最適な状況だった。かなりまずい。


「準備金を受け取り損ねたし火薬も湿気って使えん。街じゃ俺の人相書きが配られてる。分かるか? 最悪だ。おめえ、何でついてきたんだ。俺と一緒にいたらおめえまで犯罪者扱いされるぞ」

「…………」


 ちんちくりん。

 俺より頭一つ分低い身長の女が彼の後ろにいた。ソバカスがついている。目つきは細く、鋭く、顔立ちは野生のキツネのようだった。厚い布地の丈夫なワンピースに白いエプロン、頭にはホワイトブリム。どこからどう見てもメイドさんの衣装だ。

 俺より二歳年上だから、今年で二十四歳になるはずだ。

 出会った頃のあどけなさが抜けて、大人の女になっていた。


 名はカレナ。

 発破技師にして測量士の俊英。

 爆薬も毒ガスも使うヤバい奴。

 一時期は、カレナ・ベルナデッドというフルネームだった。

 俺の、妻だった女だ。


「何か言え」


 俺が言うと、カレナは嫌そうに瞳を細めて俺を見返し、


「何か」


 冷笑を浮かべながら言った。


「つまらん」

「理不尽な奴……」

「おめーに言われたかねえよ」

「…………」


 五日前の、王宮でのことだ。

 王城の出口にある橋のたもとで包囲された俺は、この女に助けられた。


「まただんまりか」

「会話は最低限にしたい」


 事務的な口調でカレナが言う。

 数年前に別れた相手だ。色々と含むところがあるんだろう。俺もある。


『貴様ら、いい加減に仲良くできんのかのぅ……』

「無理だな。世の中にはできることとできんことがあるんだ」


 夫婦間で起こるいざこざに、若い俺たちは耐えられなかった。哀しいことだが、割れた器は元には戻せないし、今さら蒸し返す話でもない。俺もカレナも、そのくらいの分別はわきまえている。


「状況わかってんだろ。おらぁ賞金首だぞ。何でついてきたんだよ。おめえまでとばっちり食らうぞ」

「知ってるよ。目がくらむような大金で無茶な仕事を請けたんだろ。手伝う代わりに金貨百枚くれ。破格だろう?」


 破格どころではない。暴利だ。

 一流どころの傭兵が、一年かけてようやく稼げるかどうかという金高だ。


「それが狙いか」

「他の何だと思ったのか?」

「さあな。まあ、分かり易くていい。だが今の俺には金がねえ。報酬が入るのは仕事を完遂してからだ。この作戦の途中で死んだら払えんぞ。意味はわかるな?」

「後払いって意味だろ。回りくどいなあ」

「それもあるが、途中で逃げるなって意味だ」

「ああ。そういうハルの方こそどうなんよ」

「ないわ。あのババア、契約に違反したら俺の股間の紳士が吹っ飛ぶ罰則を組みやがった」


 カレナが、目をぱちくりとさせた。


「こかん……? 紳士?」

「ち〇こだ。俺のち〇ち〇が跡形もなく爆破される」


 口をおさえて、カレナが爆笑した。

 俺は憮然とする。

 地面にうずくまり、カレナが必死に声をおさえながら笑う。打ち上げられた魚のようにびちびちと身体を跳ねさせていた。


「あのな……」

「ま、待って、死ぬ。おかくて死ぬ。わらいじぬ。あは、あははははは」

「あのなあ……」


 むかついたが、しょうがないので放置する。考えるのはカレナの申し出のことだ。


 金貨百枚。


 相場からかけ離れた暴利だが、総額千五百枚という報奨金を考えれば大した金額ではない。カレナの能力や性格は知っている。仕事に関しては信頼できる女だ。彼女を雇えば、これからの旅での生還率が上がる。是非もない。


「いつまで笑ってるんだ」

「わり、ちょっと息整える……」


 三分後。


「すまなかったわ。もう大丈夫」

「さっきの話、値引きは」

「受けつけない。雇うの? 雇わんの? 五秒以内に決めろ」


 口調は軽いが、眼光は鋭かった。金ずくで仕事を完遂するプロの顔だ。


「分かった。契約する」


 カレナに向かい、俺は自分の手のひらを差し出した。


「罰則は?」

「好きに決めろ。おめえが裏切らんのは知ってる」

「じゃあお互いの小指の爪で」

「軽すぎねえか」

「ハルが裏切らんのは知ってる」

「ふん……」


 カレナも自分の手のひらを出し、俺の手のひらに合わせた。


「姫の護衛の仕事を手伝ってもらう報酬として契約者カレナに金貨を百枚支払う。ただし俺が死んだ場合は支払いを無効とする。契約に背いた場合、代償として俺の小指の爪を差し出す」

「姫の護衛の仕事を手伝い、報酬として金貨百枚を貰う。ただし契約者ハルが死んだ場合は支払いを無効とすることに同意する。契約に背いた場合、代償として私の小指の爪を差し出す」

契約コントラクト


 俺が言い、


締結サインド


 カレナが応じた。

 淡い光が、二人の手のひらの周囲にきらめいて消えた。

 傭兵がギルドに登録する際、最初に覚えさせられる契約の呪文。これで彼らは、互いに交わした約束を破った際には身体の一部を失うことになる。俺は報酬金を支払わなければならず、カレナは俺の仕事を手伝わなければならない。

 契約をたがえれば、ひと月以内に小指の爪が剥がれ落ちる。


「ふに落ちんことがある」


 俺の指摘に、カレナは視線だけで続きを促した。


「俺がババアから仕事を受けた時、メンツは俺一人だけだと言われた。つまりおめーはババアから所在を把握されてなかったってことだ。なのに何でこのヤマの話を知っていて、都合のいいタイミングで俺を助けられた?」

「偶然だわさ」

「奇跡的な偶然だな。起こる確率が低すぎるわ」


 俺の視線を真正面から数秒受け止めたあと、カレナは小さく息を吐いた。


「ルナさんからお姫様の暗殺の話と、クレアさんがハルを探してるって噂を聞いた」


 魔王の分身たるルナ。

 俺の師匠だ。


師匠マスターから?」

「これ以上は言えない。会った時に直接聞きな」

「言わない、じゃなくて言えない、か。口止めの契約でもしたのか?」

「馬鹿のくせに耳ざといなー」

「馬鹿で悪かったな」


 カレナは俺なんぞより頭が回るので、大して腹も立たない。


「言えることはここまで。これからどうする?」

「決まってるだろう。殺られる前に姫サンの身柄を確保する」

「それは分かる。それで。具体的な手段は?」

「今夜は満月だ」

「ああ、アレを使うのか」


 魔王の武器使いにとって、満月の夜は特別な意味を持つ。

 太陽が月を照り返す時、その光には特殊な魔力が含まれる。満月の夜に魔力の波は最も強くなり、魔王の恩恵を受けた能力者は様々な特殊呪文を扱えるようになる。


 〈窒素固定ニトリフィックス


 肉体強化呪文。

 遠隔爆破呪文と同様に、俺の持つ切り札の一つだ。


「そういうこった。あそこに突入してアリシアを抱えて逃げるから、お前は先行して食糧と姫さんの代えの衣服の調達をしておいてくれ。俺と姫サンは四日後までにはモダフィニルに入るように移動する。街の門から入って東方向へ道なりに十一町(一・二キロメートル)くらい進むと、三日月亭っていうハーフエルフが経営する酒場がある。俺の名前を出せば店主は分かるはずだ。そこで落ち合おう」

「了解」


 事務的な口調でカレナはうなずき、きびすを返そうとする。


「ああ……、それと。これは……すげー言いづらいんだが」

「うん?」

「金を貸してくれ。クレアばーさんから支度金を受け取り損ねた。姫サンと一緒に旅をするには手持ちがちいと心もとない」

「相変わらず、情けない奴……」


 ものすごく嫌そうな顔をして、カレナはメイド服のポケットから財布を出した。

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