第14話 王宮脱出(前編)

 

 お姫様が去って、ほどなくして。


『ふーん、ふんふんふーん♪』


 火縄銃のリィが、鼻歌を歌っている。

 美味いらしい。

 何が美味いかって、俺が“かるか”(銃口から銃弾を押し込むための長い棒)を使って挿入した魔法石の欠片がだ。

 一匁あたり銀貨数枚する貴重な鉱石を、こいつは遠慮なく食う。食わせないと能力が発揮できない。

 ついでに銃内に残っていた弾薬のカスを取るため、洗浄用の油を含ませた布を突っ込んで拭いてゆく。このメンテナンス作業も気持ちいいらしい。猫の毛づくろいをするような感じか。


「…………?」


 ふと……。

 嫌な感じがした。

 感じ、としか言いようがない。小金を持って街を歩き、ふと後ろを振り返ってみたら、追いはぎに尾行されていた。そんな感じだ。

 俺はリィを置き、天井を見上げ、次に地面を見下ろし、さらにしみったれたつくりのコテージの戸を見つめた。見た目での変化はない。

 床に這いつくばり、地面に耳をあてて音を探る。


 ――誰か、来る。


 足音が近づいている。複数だ。

 歩幅からすると全員男か。リズムが鈍い……プレートメイルか何かを着こんでるのか。右足と左足で音が違う。重心が偏ってるからだ。何がしかの武器を持ってる。


 音の感じから、敵意、害意の臭いがする。耳につく。

 一人や二人ではない。十人以上の集団の足音だった。おそらく、四町か五町(約百五十メートル)くらいの距離まで近づいている。


 銃口に早合カートリッジをセットし直し、鉛弾を詰めて奥まで装填する。

 周囲を確認。室内を見渡し、逃走経路を確認しつつ隠れられる場所を探す。


「リィ。暴れるぞ」

『いいのか?』

「ああ。俺を消しにきたんだろ」


 お姫様の暗殺を企てたという公爵とやらも、馬鹿でない限りは気づくはずだ。

 昨夜、クレアに連れられてお姫様の部屋に行った俺の姿は、たくさんの王宮の兵たちに見られている。


『それは許せんのう』


 びき、びき、と……。

 リィが、戦闘態勢に入る。

 火ばさみも、火皿も折れた火縄銃。銃口の側面に金具でナイフ固定されている。槍の代わりと言ってすぐに納得される、ちんけな武器。

 だがそれは、見た目だけの話だ。

 俺にとって、こいつ以上の相棒はいない。


「部屋に入ってきたらカウント頼む」

『うむ。五からいくぞ』


 以心伝心。俺とリィはそれだけで伝わる。これからやろうとしていること、互いの役割を。

 リィのくろがねの銃身が、室内の酸素を取り込む準備をする。

 銃床と底尾を織りなす木材が、波打ち、軋む音を立て、化学反応で実現可能な領域を超えた酸素を取り込む準備をする。びき、びき、と、リィの銃身から音が鳴る。


【火器と爆発物のスペシャリスト】


 傭兵としての実績を積むうちに、いつしか俺はそう呼ばれるようになった。

 魔砲グリグオリグの真価は、多数を相手にしたときに発揮される。


 ドンドンドンドンッ!


「王宮付きの騎士だ。尋問したいことがある。大人しく出てこい」


 荒々しいノックと共に、声がかけられた。

 俺は答えない。立ち上がり、手荷物を持つと部屋と台所との間にあるドアに身を寄せ、姿を隠した。だが、気配は伝わっているはずだ。


「入るぞ。抵抗すれば即刻殺すからな」


 どうやら、嫌な感じは大当たりらしい。


『五……、四……』


 リィが、数を告げてゆく。室内の空気を取り込み続けながら。

 ガチャガチャとプレートメイルをきしませ、重装の男たちが玄関から土足で入ってきた。

 物陰に隠れ、俺は目と耳とで状況を確認する。


『三……、二……』


 一、二、……五人。全員が抜刀済み。軍規格の刃渡り五十センチのサーベルだ。呼吸の音が外からも聞こえてくる。俺を逃がさないように家を取り囲んでいるのだろう。


「おい、いるのは分かっているんだ、出てこい!」

「すぐ出てくるなら手荒な真似はせんぞ!」

『一……』


 明りのない屋内をにらみ、男たちが口々に叫んだ。


『零』


 リィが、静かに告げた。

 五秒前から、俺は息を止めている。


「…………」


 ばたり、ばたり、ばたり、と。

 部屋に入って来た男たちが、倒れこんだ。

 即死だ。

 死因は酸素欠乏症。

 カウントを終えた瞬間に、リィが部屋の酸素を食らいつくしたのだ。

 人間の身体は実に繊細にできている。具体的に言えば、酸素濃度が六パーセントを下回る空気を肺に入れると呼吸が停止し、即死する。


『ふぃぃい……。もういいぞ。酸素を元に戻した』

「おう」


 耳の奥の鼓膜の感覚と、肌の感覚。部屋の大気の圧力が戻るのを確認してから、俺は呼吸を再開する。

 リィの酸素吸収能力は、タイミングを誤れば俺も死ぬ。

 俺の傭兵ランクが、最下級に甘んじている理由がこれだった。

 俺たちの戦い方は、ふとしたミスで敵どころか味方すら全滅させてしまう。集団で活動するのが基本の傭兵にとっては、使い勝手があまりに悪い。


 背に荷を担ぎ、銃剣を手にし、俺は小屋の外へと出た。

 囲まれている。一、三、五、合わせて六人。


 ドンッ!


 警告なく、ちゅうちょすらなく、俺は銃を撃つ。火ばさみも火皿も、火縄すらもない火縄銃をだ。俺なら撃てる。


「ぎゃぁっ!」


 魔力を込められた丸い鉛弾なまりだまが、金属製のプレートごと腕を貫通する。撃たれた男が叫んで地面に転がった。

 残りは五人。もちろん全員を相手にするつもりはない。


「しゃっ!」


 走り、距離をつめる。

 猿のように低い前傾姿勢で疾駆し、眼前の武装兵へ肉薄する。

 脚の位置を見るに、武装兵が剣を振りかぶったらしい。

 俺の姿勢は地面に顔を向けたまま。自分に向けられた武器など眼中にない。俺の方が速いからだ。間合いに入ると同時に足払いをくらわせる。


「がっ!?」


 叫びをあげ、兵が転がった。

 周囲の兵が色めき立つ。が、相手にしない。その横を全力疾走で駆けていく。

 重量にして六貫(約ニ十キログラム)以上もする鎧を着こんだ騎士と、長銃と荷物のみをかついだ軽装の男。どちらが速いかは自明だ。

 一度包囲を破れば、俺の脚の方が速い。


『ぺっ、ぺっ、ぺっ。火薬はいつもまじゅいのう……』


 余裕だなおめー。

 走りながら、俺はリィを振るって弾薬の残滓カスを払った。前装式の火縄銃の欠点は単発ごとしか撃てず、装填に時間がかかることだ。


 ピイイイイイィィィイ!!


 後方から、呼子笛の甲高い音が響き渡る。城内に不審者がいることを知らせるための合図だろう。


「くそっ!」

『焦っとるのう』


 当然だ。隠れられる場所がねえからな。


 王宮の離れにあるこの場所の、あたり一帯は開けた農耕地だ。雲隠れする場所がない。速やかに移動する必要がある。


 前方に数名の武装兵が見えた。援軍だろう。マスケット銃を持っている。

 横一列に並び、膝を地面につけ、こちらに銃口を向けてきた。


『馬鹿じゃのー。ハルの能力を知らんのじゃのう』

「ファイア!」


 起爆呪文を唱えた。


「ぐわっ!」


 兵が持っていた銃が爆発した。

 ただの暴発ではない。

 マスケット兵たちが構えていた銃が、全て同時に吹っ飛んだ。銃身が壊れ、破壊された金属が破片となって兵たちの身体をしたたかに傷つけた。


 その惨状を放置し、俺は横を走り去る。

 雑魚を相手にする暇などない。無理に殺す必要もない。

 こちらは一人で、援軍は期待できないのだ。城にいる兵の数は百や二百ではきかないだろう。逃げる以外に選択肢はない。

 囲まれて、遠巻きから弓や槍で狙われればひとたまりもないからだ。


 王城の広さは縦一里、横一里。中央の宮殿を囲うように高い壁があり、壁の外には二重の堀がある。現在自分がいた屋敷は二番目の堀の内側だ。南と北とに橋があり、橋を渡った先には大きな門がある。そこをくぐれば王城の敷地外、王都だ。


『脱出できそうかの?』

「門扉が閉められてなきゃな……」


 普段ならば城門は開かれている。城を行き来する貴族や軍人や商人が数多くいるので、出入りのたびにいちいち重い城門を閉ざしていては効率が悪いからだ。

 が、今はそれを期待はできない。呼子笛を鳴らされた時点で、城内は厳戒態勢になっていると考えた方がいい。


「最悪、門をぶち破るしかねえな」

『バンカーバスターを使うのか? 溜めに時間がかかるぞ。できるかのう』

「わからん」


 門の前に行かなければ、門の前の状況なんて分かるはずもない。

 バンカーバスターというのは、師匠から教わった特殊魔法。俺の切り札の一つだ。

 非常に貫通力の高い一撃を叩き込む術――未熟な俺でも、厚さ数メートルの壁をぶちぬくぐらいならできる。ただ、使うには数分の準備が要る。


 王城内に潜伏し、夜を待って闇にまぎれるという手もないではないが……。

 あいにくと、彼は狙撃手であって忍者じゃない。鼻の利く猟犬を使われれば容易に発見される。狩猟が盛んなこの時代、猟犬はちょっとした城なら何十匹もいる。


 走った。


 城の出口に近づくにつれ、通路が狭くなり、曲がり角が多くなり、周囲は迷路のように城壁が配置されている。

 壁には銃眼という三角形の穴がいくつもあけられていた。侵入者を狙撃するためのものだ。通路沿いに等間隔にあるそれは、内側にいる狙撃手からは撃ちやすく、外側にいる敵からは狙いづらい構造になっている。


 バン!

 ヒュゥゥゥン!


 銃の発射音がし、耳元を鉛弾がかすめた。

 近くの石畳に、弾丸が当たる音がした。

 周囲の壁を見渡すと、数え切れぬほどの銃眼のうちの一つから、黒色火薬が白い煙を立てるのが見えた。


「ファイア!」


 銃眼の奥にいる兵士へ視線を合わせ、俺は起爆呪文を唱える。


「ぎゃあっ!?」


 狙撃手が悲鳴をあげた。爆発の規模がでかいのは、近くに置いた火薬袋か弾薬にでも引火したせいだろう。


 俺のオリジナル魔法。

 遠く離れた場所にある火薬、爆薬を、自由自在に爆破させられる魔法。

 火ばさみも火縄もない銃で武装兵を撃てたのも、この魔法があればこそだ。

 俺の銃には、火種も引き金も、雷管すらも必要ない。

 敵の武器が銃ならば、俺は自在に暴発させられる。


 だが。

 銃眼の数は数え切れぬほどある。

 狙撃手もまた、一人や二人だけではなかった。


 走りながら、俺は何度も起爆呪文を唱える。

 狙撃手たちの弾薬が爆発し、次々に身体を吹き飛ばされた。

 マスケット銃が相手なら、俺の能力はほぼ無敵だ。遮蔽物があろうと無意味だ。魔法の射程距離内にいる限り、呪文を唱えるだけで引火させられる。

 一人、また一人と、狙撃手が抱えた銃ごと爆発してゆく。

 一方的な戦いだった。けれども、俺には余裕がない。


 もし、俺を狙ったのが銃ではなく弓矢だったら?

 答え、死んでいる。

 もし、狙撃手がこちらの呪文よりも早く銃を撃ち、その弾が身体のどこかに当たったら?

 答え、死んでいる。


 無傷と即死の境目はほんのわずかしかなく、返り討ちにした相手への優越感に浸る余裕などあるわけがない。そういう役目はリィの仕事だ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 走り続けるうちに、息が上がってきた。

 身体に怪我はないが、疲れはかなりのものだ。

 どうにか銃眼の並ぶ道を突破し、王城の外へ近づいた。


 そこには、さらなる絶望があった。


 城門が閉ざされている。

 閉ざされた城門の前で、数十名の武装した兵が待ち構えていた。

 抜けるのは難しそうだった。

 城門に続く木製の跳ね橋があがっており、堀は深い水に満たされている。


「は」


 笑えてきた。


『おーい、ハル』

「はははは」


 あまりにふざけた状況に。

 眼前には、閉ざされた門。跳ね橋が上げられた城の堀。多数の武装兵。

 背後からは、俺を追って殺到する武装兵。


『ハルー、聞こえとるかー』

「武器を捨てて投降しろ!」


 従えば、拷問の末に殺されるだろう。

 道中で、あまりに殺し過ぎた。

 おそらく、殺害人数は三十を超えている。殺した数などいちいち確認していないが、至近距離で火薬が爆発すれば普通の人間は致命傷を負う。たいていが死ぬ。そういえばしょっぱなから五人も殺したんだった。


『聞こえとらんか。修羅場か。笑うしかないくらいの絶望か』

「ははははははははは!」


 キレていた。

 銃剣リィを構え、俺は武装兵たちの中へ突っ込んだ。


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