第12話 遺書と朝食と来訪者
翌朝――
“ミフユへ”
起きてすぐに、俺は手紙を書いていた。
ミフユとは、妹の名前だ。
“学費の件はカタがついた。ただ、悪いがもう会えないと思う。
俺は納得ずくで生ききった。お前は、俺が何を言おうが自分の道を進むだろうが、俺はお前がいたから救われた。今までありがとう“
――医者になる。
それが妹の夢で、俺はその夢に投資した。
ただ、それだけのことだ。
医者になるためには、資格がいる。資格を取るためには、しかるべき機関での教育がいる。その教育を受けられる高等学校という機関へ通うには、金が要る。莫大な金が。
だから、その金を俺が出した。
もちろん、手元に金があったわけじゃない。だから借りた。
師匠が顔を利かせてくれて、あちこちへ低利の融資をとりつけてくれた。
十三歳の冬だ。
その時から多額の借金を背負うことになったが、後悔はない。
妹の生き方に憧れた。
太陽のような善性と、夢に向かって努力する姿に憧れた。
俺は、ああいう風にはなれないと分かっていたから。
傭兵の仕事は俺の性に合っていた。ミフユが、医者という職業に
俺は闇。あいつは光。進む道が違う。
どれほど闇が光に憧れようとも、光になれるわけがない。
だからこそ、ミフユが夢をかなえた先の姿を見てみたかった。
『なんじゃい。朝っぱらから何しとるんじゃ?』
リィが尋ねてきた。こいつ、いつから起きたんだろう。
「手紙を書いてんだよ」
『珍しいのう。誰かさんへの恋文か?』
「似たようなもんだ」
茶々を入れる相方にどうとでも取れる返事をしながら、俺は別の相手への手紙を書き始める。手紙を書くのに使っている羊筆紙はかなり高い代物だが、もう金の心配はいらない。クレアからの依頼を達成できれば莫大な金が入るし、失敗すれば金が要らない死体が出来上がるだけだ。
どっちにしろ、後先のために取っておく理由がない。
かつて世話になった神出鬼没の師匠へ向けて一通。故郷の親に向けて一通。ミフユの学費の猶予をしてもらっている学園の校長に向けて一通。それぞれ文面を変えて手紙をしたためる。
『遺書か』
「さすがに気づいたか」
『気づかいでか、たわけが。なんじゃい。弱気になりおって』
「未練があると、とっさの時にごちゃごちゃ考えちまうからな。まだ死ぬ気はねえよ」
『誰がおぬしを死なせるものかよ……!』
「へーへー。頼りにしてるぜ」
発奮するリィをよそに、俺は朝食を作り始めた。
クレアが貸してくれたコテージの環境は最高だ。
鍋がある。窯もある。薪もある。つまり、煮炊きができる。
荷物袋から蕎麦粉を取り出し、水で溶いて蕎麦がきを作り、それを細い麺状に刻んで、茹で、ショウガと魚醤のタレをつけて食べる。痩せた土地でも育ち、そこそこの収穫量を見込める蕎麦はエルフ族の主食らしい。
俺にとっては故郷の味だ。
「うむ」
懐かしくも、美味かった。
明日から、生きては帰れない旅へ出る。
王都トライコアから魔の山アーヴァインまでの距離、実に二百里以上。
馬を使わず、比較的安全なルートを使って慎重に渡る場合、女の脚なら踏破に二か月はかかる。
道中の治安は最悪に悪い。盗賊が出没するならまだしも、アーヴァインの近辺は人肉を好んで食らう魔物があちこちに出没する。
「魔王サンが伏せられる前はあんな場所じゃなかったんだがな……」
『魔王城のふもとか。懐かしいのう。十数年前からどんどんと人が減っていって、代わりに魔物が増えていきおった……』
魔物を統率するのが魔王だと巷で言われているが、実は違う。
俺の故郷の近くに城を構えるあのお方は、定期的に魔物を駆逐していた。
やっていることは、勇者と呼ばれる者の偉業とさして変わりがない。
魔王などという悪評は、魔王サンの領地を狙う不届き物の情報操作と、魔物がたむろする場所を狙って駆除に出かける姿を誤解されたせいだろう。
「そういや、おめーが造られたのって百年以上も前か」
『ふふん。年長者じゃぞ。知恵と経験の塊じゃ。少しは敬う気になったか』
「ああ、えらいえらい」
『馬鹿にしちょるか!』
田舎の方言丸出しで言われてもなー。
「旅の準備で忙しいんだよ俺は」
なにしろ、五百騎からの騎士に追われながらの旅だ。
道中に補給個所を設けてくれとクレアに頼んだものの、指定地点に物資が置かれていることを過度に期待しない方がいいだろう。頼んだのが昨日だ。物資を調達する時間も、物資を運ぶ時間も人材も限られている。それに繰り返し言うが、治安が悪すぎる。完全武装の騎士団を編成して踏破できるかどうかといった場所だ。
脅されての結果だが、もう引き受けてしまった。契約を交わし、互いに誓約の呪いを受けた。今さら逃げられない。
死にたくもないし、好んで死ぬつもりもない。ただ、眼前にある作戦はありとあらゆる努力を行った上でもなお死ぬ可能性が非常に高い、それだけのことだ。だからこそ、必死になってあがかなければならない。
まだ、やりたいことがある。やれることもある。自分もお姫様も、まだ死ぬべき年齢ではない。若すぎる。生きていれば何かができる。美味い飯も食える。夢だって持てる。
「ああ、そうだ」
旅の初心者用の心得を記した本を、お姫様に渡そう。
今の自分にとっては無用の長物だが、旅は未経験の姫様にとっては知らない事が多い。そしていちいち口頭で説明するよりも手間が省ける。
もしも、護衛対象であるお姫様が、足手まといでなく自ら危険を察知できる冒険者に成長してくれれば――
「生還できる可能性が出てくる……」
不意に。
剣呑な気配を感じた。冷たく、鋭利な刃物を首筋に当てられたような悪寒。
俺は意識のスイッチを切り替える。火縄銃を手に取る。
『人殺しの顔になったのう』
俺に抱えられながら、リィが言う。
ああ、そうだろうなと、俺も思う。
カレナ曰く、スイッチが入った俺は眼光はギラギラと鋭く光り、まなこが細くなるらしい。
構える。
“かるか”を使い、
バヨネットラグに銃剣を装着する。
いつでも撃てる。いつでも刺せる。
周囲を見回し、コテージの外にある気配を探った。
誰もいない。気配は感じられない。
しかし、違和感がある。心臓が高鳴り、冷や汗が出る。どうしてか理由は分からんが、身体のどこもかしこもが異常だった。呼吸も浅く、早くなっている。
こういう感覚は貴重だ。勘や恐怖心によって生き永らえた体験は、今までに幾度もなくしてきた。その体験が言っている。ヤバいと。
何がヤバいのかわからない。けれども、警戒せざるを得ない。
玄関のドアを開けた。
光が差し込む隙間から、慎重に外を見る。やはり誰もいない。
外に出た。
頬に風が触れた。
まだ朝と言っていい時間。明るくなり始めた薄い青空。見上げると、月が太陽の一部を喰らっていた。
月食。
部分月食だ。
珍しい現象だが、初見ではない。視線を地平に戻すと、果たしてそこには誰もいなかった。
「あの……」
「っ!」
背後からの声に、俺は振り向かず横に飛んだ。
完全に不意打ちだった。近くに誰もいないと思った。しかしいた。
土の上を転がった後に、銃を構えて声をした方向に向けた。
「ひっ!」
「アンタ、は……」
女の悲鳴が上がる。立ちすくむその姿は、何の訓練もされていない一般人のものと同じだ。
俺はその女に向けた銃口を下ろした。
「姫サン、だよな?」
昨夜会った、お姫様がそこにいた。
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