第6話 死神と義理

 

「アンタも知ってるだろう。命がけの稼業だ。仕事のリスクをなめてりゃ死ぬ。俺が今まで生きてこられたのは、運が良かったからだ。即死する案件にぶち当たらなかったからだ。アンタの依頼は実行不可能すぎる。仮に引き受けたら、死人の数がお姫サンの一人に、俺を加えた二人に増えるだけだ。どんだけ金を積まれようが引き受けられん」

「そう、でしょうね」


 がっくりと、クレアは肩を落とした。


「そう、言うと、思っていました……」

『馬鹿じゃのー。分かった上で言うてるとか馬鹿じゃのー』

「それでも、貴方に頼まざるを得なかった……」

「…………」


 まさか。本当にいないのか?

 今回の依頼は、本当に、俺以外に引き受けられるあてはいないのか? 頼れる伝手つてが本当にないのか? 国内のギルドの利害を調整する統括局の長官様が。

 本当に伝手がないとして、ババアが働けない理由は何だろうか。

 魔王を辟易させたクレア。

 魔短剣イルミナリティの使い手にして、希代の暗殺者。

 死神の異名を持つ彼女の戦闘力は、近接戦闘なら俺ごときより遥かに高い。


「どうしてバアさんは動けないんだ? 俺よか向いてるだろ。裏切られる心配もない」


 クレアは首を振った。


「私は、コレミナールに送った傭兵たちへの支援をしなければなりませんので……」

「ああ、そうか。そうだろうな。アンタ、ギルド統括局の長官だったな」


 ギルド統括局のは、有事には兵站を担当する。

 つながりのある傭兵へ指示するだけではない。現地に向かわせた傭兵たちと情報をやりとりし、戦況を把握し、食料や燃料を提供して戦線を支える役目がある。


「貴方しかいないのです。頭が回り、単独で臨機応変な対応ができ、派遣地の地理と情勢に詳しく、任務に忠実で裏切らない人物は」

「ずいぶんと高く買ってくれたもんだな」

「できない、と、言いましたね。不可能だと」

「ああ。言った」

「それが証拠です。報酬に目をくれず、難易度を適切に見極める危機察知能力がある人にしか、この依頼は完遂できない。貴方には、その能力がある」

「…………」


 なるほど。


 クレアの依頼は、単身で旅慣れぬ少女を引き連れ、数百名の騎士に追われながら魔物の徘徊する危険区域を進む旅だ。その難しさを、俺は知っている。旅先は俺がよく知った故郷の近くだからだ。土地勘がある。

 だからこそ、どれだけ金を積まれても断るしかなかった。

 人間に可能な依頼とは思えない。何十人か、最低でも三人でやるならばわかる。一人では不可能だ。


「俺以外にいないのか? 依頼できる奴は」

「残念ながら……」


 ちらりと、師匠の顔が頭によぎった。

 クレアはさっき、行方不明と言っていた。あの人ならばできるだろう。


「なら、どうしようもないな。話は終わりだ。俺は新しい仕事を探す。ここで喋ったことは忘れる。誰にも言わん」


 交渉決裂とばかりに、俺は椅子から立ち上がった。


「待って。どうしてもアリシア様を助けたいの。世間知らずで少し頭がおかしいけど、とてもいい子なのよ」

「知らん」


 十五かそこらの小娘が殺されるのは可哀想だが、俺の手では救えない。

 救えたのならやったかもしれない。だが、不可能だ。俺も死ぬだけだ。ならば断わるしかない。


「話を聞いて。あの子は――」

「聞かん。知らん。何を言われても引き受けん。俺はまだ死にたくない。生きてやることがあるんでな」


 言いながらクレアに背を向け、歩くと、部屋の出口のドアノブを掴んだ。


「わかり、ました。なら」


 クレアの口調が変わった。雰囲気も。

 不穏な気配に、俺は振り向いた。振り向いた瞬間に、自分の油断を後悔した。


「口封じのために、貴方を殺すことになりますが……」


 ぞっとした。


 いつの間にか、クレアの手のひらにナイフが握られている。彼女の主装備、魔短剣イルミナリティ。

 昼ごろにお遊びで追いかけられた時とは雰囲気が、顔つきが違う。


 背筋が粟立った。


『ちぃぃぃい!』


 背中にかついだリィが臨戦態勢をとる。ばき、ばき、と音を立て、意志持つ火縄銃、魔砲グリグオリグが、近接戦闘に適した形態をとろうとする。


 やばい……!


「リィ……っ!!!」


 まだ動くな!

 冷えた汗が背中から流れる。

 やばい、やばいやばい!

 リィが仕掛ければ、クレアも依頼を断念して仕掛けるだろう。

 そうなれば、俺たちは殺される。

 魔短剣イルミナリティ。

 あの剣はやばい。魔王の呪いが付与された暗殺の剣。かすり傷どころか、近寄るだけでも致命傷になる。対処を誤れば確実に死ぬ。

 ゆらゆらと、陽炎かげろうが刃の周囲から立ち上っている。

 魔剣の瘴気だ。

 握りこぶしほどの大きさの黒い炎が、クレアに握られた短剣の刀身からゆらめいている。

 それは、人間も、獣も、魔物すらもぐずぐずに溶かす毒の空気。魔剣に選ばれた者を除き、致死率百パーセントを誇る代物だった。


「らしくねーな」


 俺は、あえてクレアと、そしてリィに聞こえるようにつぶやいた。

 打開策を考えるため、それに隙を産むための時間稼ぎ。背負った銃剣を構える間が欲しかった。腰を落とし膝を曲げた姿勢で短剣を持つクレアに対し、徒手空拳の状態は圧倒的に不利だ。

 変形したリィを両手に持ち、銃剣術の型をとっても互角以下だというのに。

 今、うかつに動けば殺される。

 呼吸すらも慎重にしなければならないほどに、空気が張り詰めている。


 このときの俺たちの間合いは、およそ三間(約五・五メートル)。


 致命の距離だ。

 銃剣を構え、撃つあるいは刺す動作よりも、ナイフの方がコンマ数秒速い。いや、それどころではない。今、下手に動けば、魔剣の毒が部屋じゅうに広がり、数秒ともたずに俺の身体は腐り落ちる。


「何がアンタを駆り立てる? 保身か? それとも国のためか?」

「アリシア様のためです」

「……困ったな」


 つぶやいた。


 詰んでやがる。


 この状況、この距離では死神には勝てない。

 俺は狙撃手。クレアは暗殺者。

 超長距離からの狙撃なら、俺の勝ち目もいくらかはあっただろう。

 だが、二歩を踏み出せば死ぬ距離だ。

 銃よりも、ナイフの方が速い距離だ。

 奪還作戦での共闘で、クレアの実力は把握している。その武器の特性も。

 この体勢、この距離で、今の自分が戦えば高確率で重傷を負う。無傷で勝つなど望むべくもない。よしんば勝てても、王国の重鎮を害した下手人として処刑される。仮に逃げれば指名手配されるわけで、ろくな末路になるとは到底思えない。ましてや今のクレアから逃げられるとは到底思えない。こと一対一の対人近接戦において、力量も武器の特性も彼女がはるかに上なのだ。


 選択肢は二つ。

 依頼を断って死ぬか、依頼を引き受けて死ぬか。


 引き受けたふりをして、逃げる手もないではないが――。

 傭兵にとって、契約の反故、不履行は死を意味する。


「アンタ、そんな行き当たりばったりな奴だったのか?」

「私は昔からこうです」

「わからんな……」


 わかったことがある。この時間稼ぎの会話の間に。

 クレアは、俺を殺す気がない。


「アンタの事がわからなくなった……」


 時間稼ぎの言葉のつもりだった。けれども、言ってから気づいた。それは偽りのない俺の本音だということに。


「ばーさんよ。まさかとは思うが、姫サンが死んだら自分も死ぬつもりなのか?」

「…………」


 答えはなかった。


「おい」


 悲壮な顔をした女がそこにいた。


「おい。ババア。何てツラしてやがる……」


 言ってから、自分の声に驚く。魂から絞り出すような、泣き出しそうな声だった。

 クレアの必死の想いにあてられたせいだろうか。俺らしくもない。情にほだされるなんて、俺らしくもない。


「らしくねえぞ、ババア」


 そんな言葉が出るほどに、クレアの顔は差し迫っていた。ギルド統括局の長官として長年君臨し、さまざまな艱難辛苦を乗り越えてきた五十を過ぎの婆さんが、泣きだしそうになっていた。

 嫌なババアだが、義理がある。

 六年前。竜の巣からお姫様を救出するための作戦で、パーティを組んで共に戦った義理がある。


「金貨千五百枚。すげえ大金だ。アンタの全財産か?」

「そうです」

「馬鹿なのか?」

「大きなお世話ですわ。ここで死ぬか、引き受けるか、返答をしなさい」

「死ぬのは嫌だ」


 ゆっくりと……。

 殺されないように、ゆっくりと……。

 俺はあえて隙だらけの動作で、肩口に手をやる。そこには火縄銃を背負うためのバンドがあった。俺は、バンドを固定している金具を外す。

 火縄銃が、支えを失った。


『ふぎゅっ!?』


 リィが情けない声をあげて絨毯の上に落ちた。すまん。

 戦う意志がないことを示さねえと、はずみで刺される恐れがあるんでな。


「俺の負けだ。物騒なモノをしまってくれ。受けるよ」

「本当ですか?」


 クレアの小シワのまぶされた顔が、喜色に輝いた。

 短剣から立ち上る瘴気が消えている。


「ぬるくなったもんだ……」


 思わず、俺はつぶやいていた。クレアに聞き取れないくらいの小声だったはずだ。


 受けたと言った瞬間の、クレアの油断。二秒ほどの隙。その気になれば殺すことができた。あるいはそれも、アリシアとかいう娘を助けたいがための気のゆるみか。もしも演技だとしたらたいしたものだ。俺はババアの演技力に負けたということになる。


「条件がある。姫サンの生死は努力目標にしてくれ。やれるだけのことはするが、できんものはできん。依頼内容が理不尽すぎる」

「妥当な落としどころですね。いいでしょう」


 ナイフを服の隠し収納に収めるクレア。


『おい、ハル。おい! わらわは道化か!?』

「悪かったよ」


 床に捨てたリィを拾い上げる。


『淑女は丁重に扱うもんじゃぞくそたわけが!』

「わりーが黙っててくれ。こっから先は商談だ」


 俺とクレアは、そろって椅子に座りなおした。


「半金を用意します」


 ビジネスの話になった。

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