第5話 戦乱の影、魔王との同盟

 

『厳しいのう。気でも違えたかと思える無茶苦茶ぶりじゃ』


 依頼内容を一緒に聞いていたリィが、冷静につっこんだ。

 相方の意見に、俺は同意しかない。

 一人でやれだと……?


 騎士団からお姫様を拉致し、お姫様を連れて国境を超え、都市国家群を超え、魔物がうじゃうじゃとたむろする魔の山アーヴァインを登り、魔王さんの居城へ送り届けるだと?


 これまで色々と危険な依頼を引き受けさせられたが、今回のように論外すぎる条件は初めてだ。

 報酬の額が高いのは、死人には支払う必要がないからか、と。うがった考えを抱いてしまう。

 俺はクレアを見て、クレアは俺を見返す。


「…………」

「…………」


 視線を絡め合うやりとりが数巡した。

 部屋の空気が、時間の流れが重苦しい。

 長い長いその沈黙は、金に目がくらんだ俺のゆだった頭から熱を奪った。正気に戻るには十分な時間だ。


「もう一度聞かせてくれ。俺以外のメンツは?」

「おりません」

「長期間にわたる要人警護の仕事だよな? 最低でも物資調達役と護衛役と交代用予備役の三人一組スリーマンセルを用意するのが基本のキだよな? それともクレアさんは、二百五十里(千キロメートル)の道のりで、おおよそ一か月かかる旅の間、俺がまったく眠らずに過ごせると思っているのか? ああ、国境からアーヴァインまでだと百数十里になるか。ふざけんな、死ぬわ」


 依頼の大前提である“五百人の騎士に護衛された姫をさらう”だけなら、どうにかできなくはない。月夜の晩にやるという条件ならば、どうにかなる。


 だが、問題はその先だ。


 お姫様を拉致したとなれば、当然ながら騎士団は死に物狂いで捜索をしてくる。

 アリシアという若干十五歳の少女がどれほど旅慣れているか知らないが、一般的な冒険者のレベルからすれば足手まといと考えていいだろう。一匹のゴブリンすら撃退できず、凌辱されるような足手まといだと。


 その足手まといを連れて、旅をする。

 フェルビナク王国の正規騎士団、数百騎から逃げながら。


 それだけではない。

 今の魔の山は、俺が暮らしていた頃と比べて格段に危険な地域になっている。

 魔王が衰え、支配力が弱まっているからだ。

 魔王の城に近づけば近づくほどに、人肉を好物とする危険な魔物に遭遇する確率が高まる。現在の魔の山アーヴァインの近隣は、魔物の巣だ。魔王サンが健在なりし昔とはあまりに状況が違う。


「必要な物資はできる限り用意します。他の人員については探している最中です。十分な能力がある者を確保でき次第合流してもらいます」

「おいおい。つまりは行き当たりばったりってことだろ」

「手はつくします」

「らしくねーな。口先だけだろ」


 クレアが憮然とする。

 俺も引き下がるつもりは無い。依頼を受ける、受けない、どちらの選択肢をとるにせよ、天秤の片側にくべられているのは俺の命だ。俺は死にたくない。


「そもそもだ。国中にあるギルド間の利害調整をする役職のトップが、なんで俺みたいなごろつき一人にすがらざるを得ないくらい追い込まれているんだ?」


 分からないことだらけだ。

 頼めるのが俺しかいないと言いながら、クレアが俺を見つけたのも行き当たりばったりだった。俺は呼ばれて王宮に来たわけじゃない。他の街で仕事をしていたのなら、クレアは仕事の依頼をできず、アリシアというお姫様の命は詰んでいただろう。


「貴方がおっしゃる通り、依頼内容は王命を受けた騎士団から姫様を拉致し移送することですもの。国家反逆罪になりますわ。王国兵はもちろん、正規の騎士団への依頼や傭兵ギルドに公募することはできません。かといって身元が怪しい人間にも依頼できません。ことがオズワルド陛下やバックス公爵に知られればその時点で終わりです」


 早口で語るクレア。

 声にも表情にも余裕があるようには見えない。だが、演技かもしれない。

 一流の暗殺者は、人をだます手練手管も一流だからだ。


「口が堅く、数百人からの騎士を相手に立ち回れる技量があり、魔王の住む山アーヴァインまでの地理に詳しく、しかも身元がしっかりしていて任務を放棄したり敵に寝返る心配がない。そういう人材が今のところあなた以外にはいないのです。そして幸運なことに手遅れになる前に来てくれました」

「雑すぎる」


 俺は一言で切り捨てた。無理なものは無理だ。死んでしまう。


「承知の上です」

「つるし上げたいわけじゃねーよ。理屈に合わない点を確認したいだけだ。自分の国の姫様が暗殺されかけてるって話だよな。しかもそれは前々から予想できる話だったはずだ。なら、なんで姫サンを救うって条件を満たせる口の堅い精鋭をあらかじめ用意ストックしてねーんだ?

 つじつまがあわねえぞ。アンタってそんな無能だったのか?」

「…………」


 答えないクレア。俺も喋らない。クレアも喋らない。


「…………」

「…………」


 また、沈黙が流れた。


『なんじゃい。交渉が決裂したなら帰ればいいじゃろがい』


 のんきに言うなよ、リィ。

 お前、この状況が、クレアばーさんがどんな奴か分かっとらんのか。


「答えられねえなら引き受けられねえ」

「単純な人手不足、人材不足です」

「ほお」


 それは嘘じゃねえな。

 だが、事実の全てを話してるわけでもねえ。


『どうして分かるんじゃ?』

「なんとなく、だ。勘だよ。わりと当たるんだ。こういう時の俺の勘は」

『なんとも薄弱な根拠じゃのう……。占星術師の方がマシではないか』


 うるさい。


「さっき、ライオネルさんには別の任務を頼んでいると言ったな。それに魔王サンがこの国が滅ぶって予言したわけだ。いったい何が起こっているんだ?」


 クレアがコーヒーを一口飲んだ。


「東の蛮族の噂はどこまでご存知かしら?」


 問われ、俺は少し記憶の糸をたどった。争いごとを飯の種に、旅から旅を続ける稼業だ。必然、傭兵仲間や付き合いのある商人から、色々な情報をやりとりすることになる。


「コレミナールが攻略されてるらしいな。今はリーマスが援軍を送ってるんだったか」


 コレミナールは隣国にあるリーマスの東に位置し、このフェルビナク王国からは四百五十里の距離にある。早馬を乗り継いでもおよそ二か月はかかる道のりだ。


 戦争が近い、という噂があった。


 相手は、はるか東に住む蛮族だ。


「ええ。リーマス近郊でどうにか侵攻を食い止めている状態です。ライオネル、それに私が確保していた名のある傭兵は蛮族を食い止める任務に当たってもらっています。侵略速度があまりに早すぎて……、切り札を温存しておく余裕がとてもありません」

「ふうん……。仮に温存していたらどうなっていた?」

「リーマスの戦線が崩壊しています。今頃はこの国フェルビナクが攻め込まれていたでしょう」

「に、しては……」


 口端に親指をつけ、考える。しばし自分が知り得た噂話を思い返していた。フリーの傭兵として国のあちこちを飛び回っていれば、戦争の情報はいくつも入ってくる。


「騎士団の動きが鈍すぎる。戦況が最悪なら普通、あちこちの騎士団が俺ら傭兵を募って数をかき集めるもんだが。それに物価も大して上がってねえ。小麦やじゃがいもの先物価格も値上がりしてるはしてるんだが、大きな戦争前にしては上げ幅が小さくねえか」


  各国・各地域で発行される様々な銀貨、金貨の交換レートの変動によるリスクを緩和するための為替先物取引は、ちょうど俺が傭兵になったくらいの頃から広まっていった。農作物の買取権を売買する商品先物取引もだ。大商人や荘園領主といった資産家向けのサービスであるが、俺のようなごろつきでも両替商へ行って情報料を払えば先物の交換レートを知ることくらいはできる。


「それは――」


 言いかけ、言いよどみ、数秒にわたる躊躇ちゅうちょの末に。


「――」


 クレアは詳細な状況を語った。


「…………。カスだな」

『おうおう、どいつもこいつもこの国のお偉いさんがたは呆れたもんじゃのう』


 吐き捨てた俺の言葉に、リィもまた呆れながら同意する。


「なるほど、どいつもこいつもアホばっかだ。国が滅んでも自業自得じゃねーか」

「人は自分の信じたいものを信じようとする生き物ですから」

状況はなしは分かった」

「では」

「断る」


 きっぱりと、俺は言い放った。

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