第4話 一生が買える

 

 魔王サンに拝謁したとき、俺は十歳足らずのガキだった。

 とあるきっかけでグリグオリグを手にした際に、王城へ招待されたのだ。

 膝をつく俺に陛下が近寄り、温かな祝福の言葉をかけられた際にはっきりわかった。

 魔王サンは、女なのだと。

 彼女はいつも全身鎧に包まれているので、顔を見たこともないし、体型も分からない。

 だが、歩き方で分かる。

 どんな者でも、歩く際には脚を動かす。その動きは、男と女で微妙に違う。骨盤の位置が違うからだ。女は出産に適応するために恥骨と仙骨が広く、腸骨翼ちょうこつよくの傾きが垂直に近い。そういう身体の作りをしている。

 そのために、男と女では、歩く際の重心のかけ方が異なってくる。

 陛下の歩き方は、つまりは骨盤の形状は、男ではありえない。女のものだった。


「そもそも、どうして魔王サンと十五歳のお姫様を結婚させようって話になってるんだ。そこからが解せないんだが。国王はどうして許可したんだ。お互いに恋愛感情があるってわけでもないだろうに」

「陛下は魔王に姫を差し出すこと自体は賛成です。差し迫った事情がありますので。バックスの反対も表立っては抑え込まれました」


 心なしか疲れを感じさせる声とともに、黒色の液体がカップに注がれた。

 差し迫った事情とやらも気になるが。


「そのバックスってのは、いやな奴なのか?」


 クレアが肩をすくめた。


「良くも悪くも正義の人です。戦闘指揮官としては有能ではありますが」


 どうぞ、とカップが渡された。中身は暗黒色の液体が入っている。


「統治者としてはいささか、思い込みが激し過ぎて――」


 疲れてるな、と思いつつ。

 俺はコーヒーという飲み物を一口すすってみた。


「なん、だ、こりゃ」


 苦い。吐き気がする。実に苦い。

 俺は顔を盛大にしかめた。リィの笑い声が頭に響く。相当に変な顔をしているらしい。


「苦すぎるぞ」

「慣れると病みつきになりますよ」

「薬みたいな味だ。こんなん飲むとか正気なのか?」

「話の続きをしていいかしら」

「ああ。わりぃ」

「ここからヘクセンナハトの住む山アーヴァインまではおよそ二百五十里、貴方の足なら一か月ほどの行程でしょう。道中の警護はバックス配下の黒翼騎士が五百騎ほどつくことになっています。おそらく姫は、国境を越えたあたりで人知れず殺害されます。他ならぬ、警護についた騎士団の手で」

「おそらく、ね。おそらく。つまりアンタのお、おく……ああ、思い出した、おくそくだ。憶測ってことだろ?」

「ええ。公爵がそうしようと考えているという証拠はありません。姫様の暗殺計画がないのならそれで結構。私の取り越し苦労というだけですみますわ」

「取り越し苦労、か」


 天井を仰ぎ、俺は大げさにため息をついた。


「なん、だか、なあ……」


 ゆっくりと顔を下げてゆき、クレアへ向けなおす。コーヒーの味の余韻が残っていて、口の中はまだ苦かった。


「証拠はないが、確信はしてるんだろ」

「ええ。残念ながら」

「確認だが――」


 問題は、お姫様や魔王サンがどうのこうのという話ではない。クレアが俺に何をさせようとしているか、だ。そして、俺が断れる話かどうかだ。


「依頼内容は魔王サンの暗殺か? それともバックスとかいう奴の暗殺か? どっちにしろ時間的にも難易度的にも厳しいんじゃねーか? あと、どっちでも俺は受けねえぞ。魔王サンも国も、敵に回せるかよ」

「いえ。頼みたいのは護衛です。姫様の護衛。暗殺の阻止」

「おいおい」


 ちびりと、再び俺はコーヒーに口をつけた。また苦さに顔をしかめる。


『懲りずに飲むのか』


 リィが突っ込む。口をつけたのはなんとなくだ。このコーヒーとかいう飲み物、吐き出したくなるくらいに苦いが、妙な後味が舌に尾を引く。


「つまり、五百人からの騎士に囲まれて旅をする姫サンを、道中で殺(や)られる前に攫(さら)って安全なところへ送り届けろ、と。さらに平たく言えば、国家の正規軍を敵に回せと?」

「そうです。補足しますと、アリシア様の身柄を確保した後、ヘクセンナハトの下へ送り届けていただきたいのです」

「不可能だ。話にならねえ」

「報酬はリーブル金貨で千五百枚。それに道中の旅費として別に百枚を用意します」

「…………」

『聞いたこともない額じゃな。って、おい、ハル。起きとるか?』


 起きとるわ。言葉が出んだけで。


「もちろん貴方の総取りです」

「せん? ご、ひゃく?」

『目の色が変わったのぅ』


 そらそうなるわ。金貨一枚だけでも、俺一人なら一か月は食いつなげるんだぞ。


「よく聞こえなかったな。報酬が、せ、せん……? リーブル金貨で? 何枚だって?」

「千五百枚です」

「……」


 ごくりと、喉がなった。


「は、はは、破格だな。銀貨じゃなくて金貨だよな? リーブル金貨でいいんだよな?」


 声が震えているのが、自分でもわかる。ちなみに身体も震えている。膝ががくがくする。

 金貨千五百枚。ちょっとした貴族の身代金にも相当する金額だ。庶民の暮らしなら、一家五人が百年は遊んで暮らせる。一か月という拘束時間を考慮しても、俺が普段受ける仕事の報酬の百倍はある。


「もちろん金貨です。引き受けてもらえますね?」

「あー、えと、ちょっと待て。詐欺じゃねえよなこれ」


 声が上ずっている。

 金は欲しい。

 とても欲しい。


 俺は、多額の借金を抱えている。


 期末支払いを前に何度も眠れない夜を過ごし、債権者や友人知人に土下座して支払いの猶予を取り付けたことも一度や二度の屈辱ではない。金策に困り、あこぎな商売人に手を貸したこともある。

 名が売れた今でこそ多少の余裕はあるのだが、しかしいまだ金に不自由している。


 金貨千五百枚。


 一生が買える額だ。


 借金を完済するどころではない。辺境ならそこそこの広さの畑が買えるし、街なら商業ギルドから屋号を買って商売をするのもできる。傭兵稼業をいつ引退してもいい状態になれる。仕事を終えた後、国を捨てて逃亡することになったとしてもワリが合う話だ。

 夢が広がる。


「いくつか確認したい。俺以外のメンツは?」

「おりません」

「…………」


 その一言で、興奮が冷めた。


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