第3話 死神の依頼はわけがわからん


「まさかハル、アリシア様を知らないのですか?」

「知らん。有名人なのか?」

「このフェルビナク王国の第一王女にあらせられます」

「へえ。王女様か。それが命を狙われている、と」

「そういうことです」


 誰から……と、問いかけそうになって、俺は口をつぐんだ。危ないところだった。

 王女暗殺の容疑者の名前なんぞを聞いてしまったら、そこから先は依頼を受けるか口封じに殺されるかの二択になる。王族がらみのいざこざはそういうものだ。情報の秘匿のために、理不尽な殺人もためらわない連中が世の中にはいる。目の前にいるババアもそういう奴だ。


「で、何で俺なんだ?」

「もちろん、適任だからです」


 嘘をつくな。


「俺よりも師匠マスターやライオネルさんやあねさんの方が経験も実績も能力も上だろ。そっちに頼まん理由は何だ?」

「ルナは三年前に失踪して行方不明。ライオネルは別の重要な任務を頼んでいまして、レベッカは結婚して妊娠中ですわ。そろそろ六か月目。カレナは――」

「あいつのことはどうでもいい」

「いい子ですのに」

「だからこそだ」

「まあ、色々とありましたものね」

「姐さんは妊娠したのか」

『あからさまな話題の切り替えじゃの……まあ、カレナ嬢とは色々あったからのう』


 リィ。黙ってろ。


「ええ。待望の第一子ですわ」

「めでてえな」


 言葉と共に、俺は腰帯(こしおび)にくくりつけた革袋から、油を塗って防水仕様にした財布を取り出す。

 金貨を二枚、テーブルの上に置いた。俺の生活費からじゃない。相方のリィの魔力を維持するための食費、つまりは傭兵としての活動費からだ。


「渡しておいてくれねえか。俺からの志(こころざし)だ」


 重さ五もんめ(一匁は三・七五グラム)のリーブル金貨が二枚。真鍮しんちゅうや鉛などの混ぜ物がほとんどない正品のそれは、一般的な庶民の月収一か月分にも相当する額になる。


「あら。そんなに出して大丈夫なの?」

『そうじゃそうじゃ。わしの食費じゃぞ』

「ああ。昔ほど食うには困ってねえ」

「そうですか」

『嘘をつくな。ええかっこしいめ』


 うるさい、リィ。反論できんツッコミをいれやがって。


「姐さんには世話になったからな。命の恩人なんだよ。少しくらいは出さんとバチがあたるわ」

「大した出世ですね。少し会わないうちに」


 いやみのない、感慨のこもった顔だった。

 俺は金貨を出すと財布をしまった。

 クレアはベルトに吊るしたポシェットから懐紙を取り出すと、差し出された金貨を丁寧にくるむ。


「確かに渡しておきます」

「頼む」

「話を戻しても?」

「聞くだけならな」

「けっこう。先ほど申し上げた通り、アリシア様の命が狙われています」

「ふうん。それで?」

「ですので、姫を魔王と結婚させたいのです。ここから二百と五十里先にある魔王ヘクセンナハトの居城までアリシア様を送り届けていただきたい」

「意味がわからん」

「分かりませんか」

「一から十まであるうちの一と十だけ聞かされてわかるかよ。途中をもう少し詳しく説明してくれ」

「でしょうね。さて、どういえばいいものやら」


 口を閉ざし、天井を見上げて少し考えるしぐさをして、クレアはまた唇を開いた。


「アリシア様が産まれた際、つまり十五年前にヘクセンナハトが王宮に現れました」


 ヘクセンナハト。

 俺の故郷では魔王陛下、もしくは魔女の夜ワルプルギスナハト様と呼ばれている。伝説が正しいのならば、二百年以上も昔から生存する化け物だ。

 手が二つ、脚も二つ。胴体の上に首があり、首の上に頭がある。外見は人間のなり形をしているが、常に全身鎧コンバットスーツを着込んでおり、顔は仮面で隠されているため、その真の姿を知る者は魔王サン本人だけだ。


『おかしいのう。あの陛下がこんな場所に来るものかのう』


 魔王サンの手で造られた兵器が、疑問を呈する。

 その疑問はもっともだと、俺も思う。


「どうして魔王サンが?」

「彼は要求しました。アリシア様に花嫁修業をさせ、十六歳になるまでに魔の山アーヴァインに住む自分の下へ届けろと。同時に予言を残しました。あと二十年ほどでこの国フェルビナクが滅ぶ。それを防げるのは自分だけだ、と」

「彼が、か。ふうん。信じられんな……」

『間違いなく嘘じゃろうなあ』


 脳内会議では俺とリィの意見が一致しているのだが、クレアは疑われたのが不愉快らしい。顔をしかめ、視線はこちらをとがめる色を帯びている。


「事実です」

「魔王サンはな、尺貫法が嫌いなんだ」

「?」


 俺の発言の意味を理解できなかったらしい。クレアが目をぱちくりとさせて首をかしげた。そりゃそうだろう。魔王サンに直接会った者にしか分からん話だ。


「だからさ、魔王サンは尺貫法が嫌いなんだよ。あの方の統治下の地域は全部、SI単位系のメートル法で重さはグラムとキログラム、たまにトンだ。フェルビナクみてーな一里、二里とか一貫、二貫っていう非効率な単位を採用している国なんぞ反吐が出るから行くつもりはないって吐き捨てたのをガキの頃に聞いたことがある。何でそうまで嫌うのかはよく分からんけどな。ついでに言うとヤード・ポンド法はもっと嫌いらしい」

「よくわかりませんが」

「ああ、俺もよくわからん」

「つまり、私が嘘をついているとお言いですか?」

『そういうことじゃろ。大嘘じゃろ』


 リィ。俺も同意見だ。だから少し黙ってくれ。


「いや。怒るなよ。少し情報を整理させてくれ。クレアばーさんにだって話を捏造する動機がない。アンタがそういうんなら、本当にそういう情報があるんだろう」

「言い回しが気になりますが」

「そりゃあな。あの魔王サンがフェルビナクくんだりまで来て、赤ん坊でしかも女相手に求愛なんて聞かされたらな。そんなむちゃくちゃな話があるのかって誰でも思うぞ」

「彼のことを知っているような口ぶりですね」

「ガキの頃に拝謁したことがある。そもそも俺の故郷のロコイド村はアーヴァインのふもとに近い。魔王サンの統治下だ。俺のひい婆さんは魔王サンの城で働いてるしな。さすがにもうくたばってるとは思うが」

「まあ、それでは貴方がますますうってつけですわ」


 驚くていを装った、クレアの反応がとても芝居臭かった。

 というか、俺も馬鹿だ。

 魔王サンが関わる案件と聞いた時点で、気づくべきだったのだ。クレアが俺を適任だと指名した理由に。


「あらかじめ下調べしてて、全部分かった上で言ってるだろアンタ」

「先日、陛下は魔王の下へアリシア様を輿入こしいれさせることを決めました」


 俺の問いをあからさまに無視したのが、分かり易い答えだった。


「ふうん……。王女様を、よりにもよって魔王サンの下へねぇ」

『わらわにはどーにもこうにも話がよく分からんのじゃ。何であの陛下が、人間の女なんぞに結婚を申しでるんじゃ……?』


 リィが俺の脳内で言う。俺もそう思う。

 疑問はそれだけじゃあない。


「それが何で姫サンが殺されるって話になるんだ? 魔王サンが姫サンを殺るわけがない。あの方は一度殺すと決めたらまどろっこしい手は絶対に使わねえ。殺ると決めたらすぐに殺る」

「アリシア様を殺そうとしているのは魔王ではありません」

「そらそうだろうな。誰だよ」


 しまった。

 話の流れで、つい聞いてしまった。

 クレアの口角が、にぃぃと笑う形に吊り上がった。おのれ。

 罠に獲物が飛び込んだ時の猟師の顔だ。


「バックス公爵――アリシア様の叔父で、国王陛下の弟です」


 やべー奴の名前が出てきた。

 完全に権力闘争の話だ。法律が通用しない案件だ。聞いた以上、依頼を受けなければ口封じに殺されかねない仕事だ。


「殺そうとする理由は?」


 もはや、やけくそだった。

 容疑者の名前を聞いてしまった今となっては、中途半端に知らないという状態が一番怖い。


「王族同士の利害対立です。アリシア姫の王位継承権は第三位。こたびの輿入れの後、魔王との間に子供ができれば、その子にも王位継承権があります。

 いえ、仮に子供ができずとも、アリシア様の夫たる者には王位継承権があると言い張ることは十分に考えられます」

「そりゃあまあ、夫婦の関係になるのならそうなるだろうな」

「魔物に王位を継がせるわけにはいきません。それがたとえ姫の血を引いていても。ヘクセンナハトを殺すことは不可能ですが、アリシア様ならばいつでも殺害できます。婚姻は、死人との間には成立しませんから」

「うーん、この……」

「どうしたのですか、頭を抱えて」

「呆れたもんだ。あんたらはそんな馬鹿なことを考えてるのか」

「ええ。本当に。馬鹿なことですわ。アリシア様には何の罪もないのに」


 クレアがため息をついた。

 俺が呆れているのはそういうことじゃないんだが。


『のう、ハルよ』

「ん?」

『女同士で子供はできるのか?』


 そうだよな。リィもそう思うよな。俺もそう思う。

 魔王サンは女なのだ。

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