第1話:食い詰め傭兵と魔王の武器


 長銃をかついだ二十そこそこの男――つまり俺――が一人、王都に続く道をてくてくと歩いている。俺はフリーランスの傭兵で、村を襲う魔物を狩ったり、行商人や旅人の道中警護をして糊口をしのいで暮らしているのだが……。



 金がない。


 仕事もない。


「もって半月か……」


 手持ちの路銀でしのげる期間だ。

 次の仕事にありつけなければ、野垂れ死んでしまう。

 まあ、装備のに手を付ければ話は別なんだが。それは最終手段だ。“相方”が怒るのが目に見えている。


 風が、俺の頬を打つ。

 快晴だった。

 そして、臭い。

 まだ冬の寒さが残る空気には、馬糞の臭いが混じっている。視線を下げればそこかしこに糞が落ちていて、注意して歩かないと踏んづけてしまう。

 街から街へと続く道はたいがいがこれだ。

 人や馬の往来が盛んな場所は、汚れもひどい。これが農園に近いのならば、農家の人間が転がる糞尿をかき集めて堆肥にするだろうが、ここはそういう場所じゃない。

 道の右手側は崖であり、その下にはあちこちが伐採された剥げ野原が広がっている。左手側の荒野は、塩害によって見捨てられた畑の成れの果て。

 交通の要所だが、農業には適さないし、工業にも適さない。


 くたびれた外套を着て、馬糞を避けるために地面を見ながらとぼとぼ歩く俺のていたらくと、今進んでいる道のありさまがぴったりと重なっている。


『どうしてそうなっとるんじゃ』


 くだらないことを考えていると、頭に声が響いた。

 金がない、ということについてだろう。


「てめーのせい」


 背中にかついだ相方に、俺が答える。

 相方というのは、時代遅れのぽんこつの火縄銃だ。

 この野郎、魔砲グリグオリグなんて大層な名前を自称している。愛称はリィ。

 口もないのに、喋る。御大層な魔法の術式によって、魂やら意識やらが俺の意識と繋がっているらしい。よくわからんが。


『わらわのせいと申すか。ほう。ええ度胸じゃのう』

「整備代」

『む』

「“たまには分解点検せぬか”と言ったのがお前」

『むむ……』

「いいか、リィ。銃と魔法の両方に精通した技師はレアなんだ。工賃を払うだけでカツカツになるわ」


 整備費も高くついたが、技師を確保する都合上、スケージュールに仕事の予定を入れることが出来なかった。


『酔狂だね』というのが技師の言葉だ。


 火打石を使うフリントロック式が全盛の今、マッチロックなんぞを使ってる傭兵は俺くらいなものだろう。ましてやこいつは、火ばさみと火皿が根元からぽっきりと折れてなくなっている。今もだ。火縄銃のナリをしてるくせに火縄を装着できないていたらくだ。


『なんじゃい。かつては勇者パーティの一員だった奴が落ちぶれたもんじゃの』

「ありゃ師匠のコネがあったからだ」


 分不相応だったのだ。あの時のあの冒険は。

 勇者ライオネルと組み、巨大な竜と渡り合ったのは六年以上も昔のことだ。そのパーティも一時的なもので、すぐに解散した。

 いい仕事だった。難易度相応に、報酬も破格だった。

 何より、あの時は師匠がいた。

 駆け出しだった頃の自分がパーティに参加できたのはそのおかげだ。依頼は完遂し、名も売れたが、代わりに死神に目をつけられたのだから差し引きでいえばマイナスだろう。

 でなきゃ今頃、食うや食わずの生活なんぞしていない。


『ハル……』

「なんだよ」

『口が過ぎた、すまぬ』

「ふ」


 相方の、リィのこういうところのせいだろう。他の武器に代える気が起きないのは。

 要するに、愛着だ。

 傭兵は自分が持つ武器に命を預ける。命を預けるには理由がいる。理屈だけじゃない。感情も満たす理由だ。

 もちろん、武器として使えることは大前提だ。愛着だけで現実を無視していたら、とっくに俺は死んでいる。だが、今のところは生きている。

 魔王の武器は、使い手を選ぶ。


『どこへ向かっておるんじゃ?』

「さすがに気になるか」

『この先に行けば王都に着いてしまうぞ』

「ああ。王都に向かってるからな」


 王都には、でかい傭兵ギルドがある。

 俺とリィの能力は一点豪華主義というか、使い勝手が悪い。依頼内容が合えば無類の強さを誇るが、そんな仕事はそうそうない。あっても、しかるべきコネがなければまず請けられない。だが、色々な依頼が舞い込む王都なら多少は働ける仕事もあるだろう。


『珍しいな。王都には死神がおるんじゃろ』

「そうだが、素寒貧すかんぴんで野垂れ死ぬよりましだろ」

『死神に会ったらどうする?』

「そりゃ、そんときの状況に応じて考えるしかねえだろ」


 運がよければ、会ったとしても素通りされるだけかもしれない。


『間違っても戦うなよ。死神の魔剣は面倒くさい。今のわしらではまだ勝てん』

「分かってる。仮に勝っても詰むしな」


 昼になる前に王都についた。



 ***



 王都は堅牢な壁に覆われており、東西南北に重厚な門がある。

 門には関所があり、武装した衛兵たちが警護している。魔物への対策のためだ。人肉を求めて襲撃してくる魔物は、さほど珍しくはない。


「ハル・ベルナデッド。最下級ブロンズの傭兵だ」


 俺は名前を告げて、傭兵ギルド発行の身分証を提示する。

 二人の衛兵が見守る中、テーブルに設置された箱に金を入れる。

 財布から取り出した一枚の銅貨が、じゃっ……と音を立てた。

 王都に入るのには、許可と金がいる。昔からそういうルールだった。


「ずいぶんと年季の入った銃を背負ってるな」


 衛兵が言う。確かに、軍人なら誰でもそう思うだろう。見た目はただの年代物の火縄銃だ。銃口の横に銃剣のアタッチメントをつけてあるのが唯一の工夫だった。


「槍の代わりさ。これから傭兵ギルドに行くんだ」

「なるほど。通っていいぞ」


 入るのに許可と金がいると言っても、さほどの手間ではない。

 身分証を提示し、チップ一枚分の通行料を払うだけだ。

 この時代、気の利いた都市は魔物除けの高い壁に囲まれていて、俺のような傭兵ごろつきは門を守る兵隊にいちいち金を支払う必要がある。まあ、支払う金高は水の一杯や芋の一切れを買うのと同じ程度だ。大して痛くはない。

 国の立場としても、欲しいのははした金ではない。


 情報だ。


 いつ頃、誰が王都へ入ったかという記録だ。

 魔物の中には、人間にとりつく奴や、人間になりすます奴がいる。そういう奴が侵入すれば死人が出るため、どこの都市でも相応の注意がされている。


「坊や、いや、お嬢ちゃんか。名前は?」


 じゃっ、と、木箱に金を入れる音。それに、衛兵の戸惑った声が続いた。

 振り向くと、小さな子供が困った顔で衛兵を見上げていた。


「名前だよ、名前。お嬢ちゃん、どこから来た?」


 子供の、女か。

 衛兵が尋ねるが、少女は言葉を理解できないらしい。腰のベルトにくくりつけた袋に手をやって、また金を出そうとした。


「いや、金はもういいんだ。名前を教えてくれ。分かるか? な、ま、え」


 歳は十歳にも満たないだろう。背丈は俺の腰くらいしかない。

 親とはぐれた難民か、あるいは魔物にでも襲われて命からがら逃げてきたのか。

 衣服のあちこちがぼろぼろで、身体のそこかしこに傷痕がある。誰かに殴られた、というよりも、必死に逃げて手足を擦りむいた時にできる傷だった。顔も痛々しいくらいに汚れている。髪は何日も手入れされていないのだろう。ぼさぼさで埃がついていた。


「参ったな。身分証を持ってないか? おじさん達なあ、子供であろうと素性の知れん奴を入れるわけにはいかんのよ」

「…………」


 女の子が、困った顔で首を振る。

 俺は黙って、衛兵と少女のやりとりを見る。


「喋れないのか?」

「ぁ……、ぁ……」


 声を出そうとして、女の子は顔に涙をたたえた。傷だらけの身体を震わせて、汚れた手で涙をぬぐおうとする。


『ハル、スライム食いたい』

「やめろ。人目が多い」


 相方がとぼけた要求を告げる。

 誰にも聞こえないように、小さな声で、俺は返事をした。


『めちゃくちゃ美味そうなんじゃが』

「あとで魔法石買ってやるから」

『そりゃ嬉しいが、懐具合に余裕ができた時でよいわさ』

「よし。契約だぞ」


「あー、もう、どうするよこれ?」


 衛兵が、困った顔で同僚の衛兵に顔を向ける。


「とりあえず監視所に置いて親を探すしかねえんじゃないか?」

「名前が分からん状態でいつ見つかるか分からんぞ。魔物にやられてるかもしれんしな」

「いうてもこのままってわけにもいかんだろ」

「確かに」


 門の前で、王都に入ろうとする人々が列をつくって並んでいる。無言で、衛兵たちに早くしろと視線で訴えている。日に数百人が往来する都だ。一人の子供に何十分も手間をかけるわけにもいかない。


「とりあえず王都に入れてやるから、ついて来てくれ」

「馬鹿が……」


 衛兵の間の抜けた声に、俺は反射的につぶやいていた。


 無意識に、ため息が出ていた。

 目立つのは嫌だが、やるしかない。

 相手がいたいけでか弱く見える小さな子供なだけに、見過ごせばあとあとの寝覚めが悪くなる。


「ちょいと失礼」


 衛兵に声をかけながら、俺は腰帯にくくった鞘からナイフを抜いた。

 有無を言わせない。言わせる時間を与えない。あえて先に声をかけたのは、これから俺がすることを衛兵に、そして周りにいる群衆たちにきっちりと見てもらうためだ。

 しゃがむ。少女の首にナイフを当てて、すっと横に引く。


「ぎゃっ!」


 少女が叫ぶ。

 が、周囲に飛び散る。少女が倒れた。

 周囲にいる連中の瞳が、俺と倒れた少女に集中するのが分かる。うざい。だからやりたくなかった。だが、関わった以上は仕方がない。


「貴様ッ!!」

「人殺しだあ! 子供を殺したぞっ!」


 一瞬の間の後に、衛兵が、群衆が叫んだ。


「よく見ろっ!」


 衛兵が武器を向ける前に、俺は思い切り大声を張り上げた。


「緑色の血を出す人間がいるかっ!」


 怒声で周囲の喧騒を上書きする。たった今使ったナイフを高らかにかざし、首を斬った少女の方を指し示す。


「俺が殺ったのはスライムだ!」


 声を出すタイミングと声のでかさ、どちらをしくじっても俺はリンチにかけられていただろう。正気を失った群衆ほど恐ろしいものはそうそうない。

 少女は生きていた。


「スライムがこの子供に寄生して、王都に侵入するところだったんだぜ。首に取りついてた。衛兵サンがた、なんですぐに気づかねえんだよ!」

「えっ?」


 俺を取り押さえようとした衛兵が、驚きの声をたてた。

 倒れた少女は両手を使って身体を起こし、ぱちくりと何度もまばたきして周りを見ていた。足元には、俺がナイフで斬った緑色の体液をぐじゅずぷと吐き出す物体が、びくびくと気味悪い動きでもがいている。


 スライムというのは、魔物の一種だ。ゴブリン――猿のような姿の醜い人肉種――と同じく、討伐の難易度は最下級に位置している。


 ゴムのような身体はぶよぶよしていて、動きが鈍く、おまけに力も弱い。ナイフや石程度の道具があれば子供でも殺せる。しかし、厄介なことに繁殖力が高い。

 水がある場所ではすぐに湧いてくる上に、眠っている子供に寄生して身体を操ってくる。支配力が弱いために大人に寄生することはまれだが、一度寄生に成功したら宿主の身体を動かして人の多い場所へ移動しようとする習性がある。

 危険な魔物だ。

 雑魚だが危険なのだ。いったん子供への寄生に成功すれば、宿主の養分を吸い取りつつ凄まじいスピードで仲間を増やしてゆく。油断をすれば何百人かの衰弱死体ができる。

 ちなみに、相方の大好物でもあった。

 ぷるぷるしていて食感が大変に美味らしい。


「本当だ。こいつはスライムだ。図鑑で見た通りだ」

「実物は初めて見たぜ」


 衛兵どもの間の抜けた言葉に、俺は一気に力が抜けた。

 マジか。

 そんな実戦経験すらない奴らが門番やってるのか。今の王都は。


「あれ? ここ、どこ? おかーさんは……?」


 スライムの支配から解放され、少女が起き上がった。

 一連の事件を凝視していた群衆が、少女の無事を知って口々に歓声を上げる。


「兄ちゃん、すげーなあ」

「大したもんだ!」


 賞賛が面はゆい。観衆の視線が、俺と少女とスライムの死骸に注がれている。なんとも居心地が悪い。


『相変わらずハルは面倒くさい性格じゃのう』

「黙ってろ」

「あ、あの、ここは?」

「おめえ、スライムに取りつかれてたんだよ」

「お兄さん、誰?」

「ハル。下っ端の傭兵だ」

「そう。あたし、クレアっていうの」


 少女が名乗る。

 名乗って、にぃぃと、歯を見せながら笑う。


『…………』

「…………」


 背筋のあたりが、ゾワっとした。俺も、リィも、固まった。


『ハル、逃げろ』


 分かってる。

 右足を引く。靴先で地面の感触を確かめる。同時に重心を右足に置き、身体の向きを反転させる。


「フルネームは、クレア・マーベル」


 逃げた。

 嫌でも耳に聞こえる少女の、いや、“そいつ”の自己紹介を言い切る前に。

 クレア? ああ、クレアか。知ってる。

 死神だ。

 やばい。逃げないとヤバい。

 

 厄介ごとはもうたくさんだ。俺はそこそこの危険度の仕事を請けてそこそこの報酬があればいいんだ。ヤバい筋からのヤバい仕事はもうこりごりだ。


「ほほほほほほ、抜き打ちの注意力テストの次は体力テストですわー!」


 全力で走る俺に、さっきまで半死半生だったはずの少女が、世にも恐ろしい笑い声をかきたてながら追いかけてきた。


 俺はハル。

 ハル・ベルナデッド。

 銃剣をつけた火縄銃を相方に、傭兵をやっている。

 仕事にありつくために、王都へ来た。

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