番外編

第1回 魔王軍幹部・七賢者会(招集編)

 もう日も暮れるだろうという、午後四時ごろ。クラマ・マクハリ改め、ペリアンドロスの名をもらった彼は、魔王軍幹部・七賢者の第二席、タレスより魔王城への招集を受けていた。


 魔王城への道のりは長い。最速の馬で向かったとしても、大体ここから20時間ほど掛かるだろう。招集は今かかっているのだ。そんな悠長な手段を取っていられない。

 そこで彼は、城内に魔王城とマクハリ城を繋ぐ、転移紋を築くことにした。




 転移紋とは、いわばどこでもドアだ。しかし彼の秘密道具アイテムのような利便性は持ち合わせておらず、事前に入口と出口に、転移紋と呼ばれる式紋を描かなくてはならない。

 では、式紋しきもんとは何か。別段、難しいことはない。わかりやすい名で言えば『魔法陣』だ。術式と呼ばれる、正確には魔法とは別ものである術式それを用いることにより構築する特殊技法スキル。余談だが、正確には技法スキルですらない。秘伝奥義……とでも呼べばよいだろうか。




 早速、彼は転移紋を描き始めた――けれど……。


「ダメだ。我には転移紋は描けん」


 転移師、と呼ばれる専門家が存在するくらいなのだ。誰にでもできるようなら、そんな仕事はとっくに廃れているだろう。

 諦めて彼は、使用人である男子ボーイ女子メイドの中から、最も器用度の高い者に転移紋を描かせることにする。……尤も、その子ですら転移紋を描けるとは限らないが。




 招集から、既に1時間が経過した。先ほど、同じく魔王軍幹部・七賢者の一人であるキロンより、何事かあったのか? という連絡を黒伝鷲くろでんわし経由でもらった。転移紋を築いている旨と、魔王城側にも同じものを描いてほしい事を伝えると、黒伝鷲は音速を超えるスピードでマクハリ城から去って行く。


 催促されている。

 彼――ペリアンドロスにとってこの招集は、魔王軍幹部になって以来、初めての仕事だった。仕事……と呼べるかどうかはわからない。けれど、こうしてまともに他の幹部と顔を合わせるというのは、今回が初めてのことだった。


 少しばかり身に、緊張感を覚える。

 他の幹部は、一体どれくらいの実力があるのだろうか。それだけが彼にとっての唯一の悩みだった。

 別に、死を恐れているわけではない。また彼らに後れを取っていると、思っているわけでもない。


 彼の幼少期を語るのに、相応しい二文字の言葉が存在する。

『神童』

 生まれたその日に《着火魔法》を発動し、その火で実母と複数の助産師を焼き殺した。普通、《着火魔法》はトーチに火を点すぐらいの効力しかない。だが彼は、火を灯す程度の《 》で、生まれたに、複数の人間をのだ。これがどれほどなことであるか、語るまでもないだろう。


 そんな子供時代を過ごした彼にとって、他者より自分が劣っているという考えは、持ち合わせたことがなかった。

 ……だったのだが、つい最近、幹部へ昇進したその日、アリーナたちがマクハリ城に侵入してきたその日、一瞬だけ彼は、『もしかしたら、自分はこの世の一番ではないのかもしれない』という、疑念を抱いた。

 不自然を抱いた、と言っても違いないだろう。

 それはいわばアハ体験。未知との遭遇。あの日を新しいスタートと感じたのは、何もアリーナだけに留まらなかった。クラマ――ペリアンドロスにとっても、あの日は新しい物語のスタートだったのだ。


 ……では、なぜそんな幼少期を過ごした彼が、今、他の魔王軍幹部との対面を前に、緊張しているのだろうか。

 その答えを、彼は何となく察していた。


「ははは……、楽しみだ」


 そう、彼は楽しみだったのだ。自身より格上かもしれない者との遭遇。自身より上回っているかもしれない者との対話。あの魔王に選ばれた者たちだ。さぞ、選りすぐりの者たちが揃っているのだろう。

 興奮冷めやまぬ、まるで旅行前の子供のような彼は、期待に打ち震える身体を何とか制し、転移紋構築を急かした。




 さらに1時間が経過した。痺れを切らした彼は、転移紋構築中の転移室(予定)へと足を運ぶ。


「まだ出来ないのか?」


 柄にもなく怒鳴り散らすと、転移紋を描いていた女子メイドは、頭を90°まで下げて謝罪した。


「申し訳ございません。私にはこの大役、務め上げることが出来ないと思われます」


 見ると、床には何度も転移紋を書き直した跡がある。決してサボっていた(彼に服従している彼女メイドがサボることなどありえない)わけではないことを悟ると、怒りの矛先を失った彼は、代わりに大きな溜め息を吐いた。


 その様子を見ていたのだろう、ボーイのカケルが、彼にある提案をする。


「オツキに描かせてみてはいかがでしょうか?」

「オツキだと?」

「はい」


 彼がカケルにその意味を問うと、カケルは説明を開始する。


「私の記憶が正しければ、オツキは町一番に手先が器用な子供でした。確かにペリアンドロス様が危惧されていますよう、オツキのレベルは未だLv.15と心もとないですが、転移紋程度ならば、彼女には描き上げられるほどの実力があると思われます」


 彼は熟考する。果たして、Lv.15のオツキにはそれほどの実力があるのだろうかと……。

「……わかった。カケルの考えを試してみよう。オツキを呼んできなさい」




「――わたしが、これを描くのですか?」

「そうだ。これは命令だ」


 “命令”という言葉に反応して、オツキを縛る《服従魔法》がその効力を増幅させる。否も応もなく、彼女は転移紋を描き始めた。

 ――それから、十分と経たなかった。


「完成しました。ペリアンドロス様」

 そう言って彼の寝室に現れたオツキの顔に、疲労感はない。洗濯や掃除といった日々の仕事タスクと変わりなく、ただ業務を熟しただけといった印象だ。


 少しだけ疑心の表情を浮かべるペリアンドロス。それもそうだ。先のメイドがあれだけ苦労していた作業を、こんなにも早くに終わらせてしまったことに、未だ半信半疑なのだ。

 恐る恐る、その描かれた転移紋に近づく彼。

 彼にとって、オツキは少しだけ気がかりだった。希薄でも大賢人・シンラと繋がりのあった人物。可能性はミジンコほどにも小さいが、すでに術を解き、ペリアンドロスを倒すために画策しているとも限らない。


(……何を考えているんだ、我は)


 ハッとした。まさか自身に、恐れているものがあるとは。

 思えば、大賢人・シンラの放った魔法に身震いしていたのはどこのどいつであったか。恐れるものは何もない、とか宣っておきながら、シンラの知人であるというだけでたったLv.15の幼気な少女に恐れを成しているのは、どこのどいつであるか。

 改めて彼は、自分を律した。彼は自分に言い聞かせる。


「哀れな奴だ、ペリアンドロスよ。クラマ・マクハリであった頃の方が、威勢がよかったぞ?」


 彼は転移紋の上に立った。


「飛ばしてくれ、オツキよ」

「畏まりました、ペリアンドロス様」


 オツキは両手を伸ばすと、転移紋に力を込めるように「術式発動」と唱えた。

 転移紋の円周上から、天井に向かって青白い光が照射される。中にいるペリアンドロスを包み込むように輝くそれは、まるで光のカーテンだ。光越しにかろうじて見てとれる転移室内の様子が、次第に別の様式の部屋へと移り変わっていく。

 しばらくその時間が続いた。

 そして最後に煌々とこれまで以上に輝くと、弾けるようにして視界がパッと晴れる。

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