Lv.15 そして俺は旅に出る。(後編)

 気が付くと俺は馬車に揺られていた。寝惚け眼を擦って窓の外を眺めると、どうやら町まで戻って来ているようだった。


 既に外の様子は暗い。あの時に夕方過ぎだったことを鑑みると、今は大体夜の8時前後といったところだろうか。城と町の距離はかなり遠かったはずだ。この馬車のペースならそれくらいが妥当だろう。


「どこに向かっているんですか?」


 俺の記憶の最後、俺を雁字搦めにしていた屈強な男子メイドの一人が馬車を操縦していた。もう一人はこちらに向かい合わせで座っている。そのメイドに俺は訊いた。


「町の教会です。そこで勇者様には身支度を整えてもらい、その後、勇者様を“この町の勇者”として首都にお送りいたします」


 丁寧な物言いだった。さっきまでの俺を縛り付けていた敵対すべきペリアンドロスの配下、という印象とは打って変わっている。


 馬車はゆっくりと速度を落としていった。どうやら教会に到着したらしい。


「時間は三十分です。それ以上経つと今日中に首都の検問所を通過することができなくなります。最悪、勇者様を検問の前に一人きりで野宿させることになりますので悪しからず」




 なんだか久々に教会に戻ってきたような気がする。それだけ今日はいろんな出来事が同時に起きた。オツキが連れ去られ、クラマが魔人で、魔王が現れて……。そして、ジジイが死んだ。

 ……死んだ。

 確証はない、というのは違うな。生きている保障はない、と言った方が正しいだろう。


 とりあえず俺は旅の身支度を開始した。まずはジジイの言っていた“金庫”とやらを探してみよう。そしたら何か方針が定まるかもしれない。


 金庫は存外わかりやすいところにあった。ジジイの書斎の本棚の中。言われた通り、俺は金庫に『0801』の暗証番号を打ち込む。鍵は開いた。よかった、今度は忘れていなかったらしい。

 中には一冊の本と大量の金貨が入っていた。そういえば、俺は一度もジジイから報酬らしい報酬、つまりこの世界のお金を受け取ったことがない。いい加減な男だ。俺をこの教会でただ働きさせやがって……。

 本の表紙を見ると、そこには聞き馴染みのある三文字の文字が、題名は『転生録』。なるほど、ジジイはこれを俺に受け取ってほしかったのか。ジジイの軌跡。これは俺を導く良い指針になるだろう。

 旅の荷物は何に纏めておこうと考えて、俺はジジイの書斎を回し見た。ハリポタに出てきた、中に沢山の荷物が入れられるようなカバンとかは無いだろうか? あったらそれを使いたいのだが……、とりあえずこの部屋にはないらしい。


 俺は続いて、自室の屋根裏部屋へとやって来た。こうして見直してみると懐かしい。結局、ここで過ごしたのはたったの一か月ちょっとだったが……そうか、その月日と同じくらい、この部屋にはリンが寝泊まりしていたんだったな。

 ふと思い立って、俺はベッドに身を投げた。


「ああ――そうだ。俺がこの世界で最初に見た世界は、こんな感じだったな……」


 視界に映るのは屋根裏の焦茶色。唯一この部屋の内部を照らす月明りは、俺が最初にこの町の全貌を確認した小さな採光窓だけだ。

 もう今はほこりなんて舞っていない。そりゃそうだ。ここはもうただの物置部屋ではなかったのだから。……物置部屋?


 俺は辺りを見回した。――そうだこの部屋には……。俺はかつてほこりが被っていた――今はほこりの被っていないハンガーラックに目を向けた。


「知らなかった……」

 ハンガーラックには、上質な魔法使いのローブが掛けられている。


「そうか……そうだったのか……。最初から、お前はここにいたんだな……」

 ローブの内ポケには、そのローブの持ち主の名が書かれていた。名前は『森羅積和』。そしてその内ポケの中には一枚の手紙が差し込まれていた。


『偉大なる大賢人・シンラ様へ

 勝手ながら、あなた様が愛用していたとされる伝説のローブにほこりが被っておられましたので、キレイにしておきました。

 リン・ヒノツカ』


 俺は涙が溢れて止まらなかった。今は帰らぬ二人が残していったもの。そういえばリンは、どうやらジジイの正体を知っているようなことを言っていた。


『《代理詠唱魔法》は、あの神父様レベルだったら必要ないけどね』


 あれはそういうことだったのか……。

 なんというか、知っていたのなら教えておいてくれればいいものを……。みんな当然そんなことは知っているだろ? みたいな口ぶりで会話するなよ……。俺はただでさえコミュ障なのに……。


 俺は鼻水を啜ると、ローブを身に羽織ってみた。

 丈の長さは問題なさそうだった。見るとローブの足先が焼け切れている。歴戦の跡を垣間見た気がした。でもちょうどいい。これでも裾を引き摺るくらいなのだ。これ以上長かったら流石に格好がつかない。これくらい……いつかちゃんと着こなせるように、と思えるくらいの長さでなければ。


 一瞬だけ、本当に着て行ってよいだろうかと考えて、いやジジイは『オレの弟子だ』と言ったんだ! と思い、俺はこれを師匠からの譲りものとして着て行くことを決める。


「これからも俺を見守っていてくれよ」


 ハンガーラックの足元には、旅にちょうどよさそうなバッグが転がっていた。望んだ効果は付いてなさそうだったが、これで我慢しよう。俺は木箱の中の、ジジイが書いた教科書を手あたり次第に放り込んでいく。


 屋根裏部屋と別れを告げた俺は、もう一度だけジジイの書斎にやって来た。金貨とジジイの転生録をバッグにしまうと、もう他に持っていけそうなものはその部屋には存在していなかった。

 俺は教会の外を見て回った。やはりここには何もない。あるのは掃除をサボった思い出だけだ。もういいかなと決心すると、俺は、俺を待つ馬車のもとへと歩みを進めた。




 途中、俺は馬車の中からオツキのお母さんを見つけた。今も何かを探しているようだった。当たり前か、俺とジジイはオツキのお母さんに頼まれて領主の城へと向かったのだから。なんと言おうか迷うが、ここは素直に頭を下げることにしよう。俺はメイドさんに無理言って、一度馬車を止めてもらった。


「あら、勇者様ではありませんか」


 先に声を掛けてきたのはオツキのお母さんの方だった。俺はうっとする。この様子じゃあ……


「すみません。俺たち……オツキを連れ戻すことができませんでした」


 俺は頭を下げる。今はもう俺いないが、助けに行ったのは俺だ。すると言われたお母さんは、「はて?」というとぼけた顔をした。どうにも心当たりが無いらしい。俺は話を切り替える。


「……何か探しているようですが……、何をお探しになっていたんですか?」

「さあ……私もそれがわからなくて……」


《催眠魔法》……、その効力はちゃんと現れているらしい。

 知らなかった。こんな風に直に言われるとこんなにも辛いなんて……。まるで俺だけ異世界に飛ばされてしまったみたいだ。


 俺はもう一度だけ頭を下げると、「行ってきます」とだけ伝えた。オツキのお母さんは言った。

「行ってらっしゃいませ、勇者様」




 馬車は町を出た。


「ねえメイドさん、首都まではどのくらい掛かりますか?」

 俺はそんな造作もない質問をする。


「大体5時間ほどで到着します」


 5時間というと、大体到着するのは深夜1時頃だろう、となると……

仕舞しまった、これじゃあ野宿決定だ!」


「ご心配には及びません。先ほどペリアンドロス様の御意向により、今日だけは真夜中でも検問所を開いて頂けるという御達しを頂きました」


 そんなに早く出て行って欲しいのか? 俺はちょっとだけ、自分はペリアンドロスにとって脅威なんじゃね? なんてことを考えてみる。


「それと、どうぞ自分のことはボーイと、そうお呼びください」


 どうやらメイドではなかったらしい。そうだよな、違和感あったもん。


 ボーイは言うことを言い終えると、またすっと置物みたいに動かなくなってしまう。そんなに畏まらないで欲しい。俺はそんなに偉くない。


 俺は居た堪れなくなって、窓の外を見た。真っ暗で何も見えない。こんな真夜中の道を進むとは、この馬車の馬は大した根性の持ち主らしい。案外、これを牽引しているのは馬ではないかもしれないが……。だとしても、先行き見えない道を進む勇気を、俺は持ち合わせていない。

 不意にどうでも良くなった。寝てしまおう。今日は疲れた。




 町の方から鐘の音が聞こえた。俺はびっくりして目が覚める。

 何事かと辺りを見回すも、今はなおも馬車の中。ただ、視界に奇妙なが出現していた。俺はそれを確認する。


「へえー……これが噂の……」


 俺の視界に映る“表”とは、俺のステータスを表示するステータステーブル。

 どうやら先ほどの鐘は、住人のレベルアップを知らせる鐘であったらしい。そしてそのレベルアップした人物とは、


「おめでとうございます、勇者様。これで晴れて“Lv.15成人”ですね」

 ボーイは俺を拍手で湛えた。


 成人。昔懐かしいような響きだ。オツキが成人した時には、この突然現れたテーブルに驚いていたっけ。でもすぐに気を取り直して、野原を飛び回って喜んでいた。


「へえー……そっか……」


 思わず口が緩む。このテーブルは、リンの言っていた『能力値視認技能』によるものだ。なんというか、俺はようやく、スタートに立ったんだなと、そう感じた。ようやくオツキと並びたてて、ようやく……冒険者として旅立てる。


「なんだよ……、まだ、スタートにすら立ててなかったなんて……」


 俺は今までの自分の態度が、急に滑稽に思えて仕方なかった。

 魔王相手に『ジジイを助け出す!』とか、去って行くオツキ相手に『必ず連れ戻して見せる!』とか威勢よく発しておいて、まるで何も知らない子供みたいじゃないか。


 俺は恥ずかしくなって、顔を埋める。でも同時に嬉しくなって、心臓がバクバクと唸って、興奮が冷めやまない。


「ようやく……、ようやくだ……」


 俺の今までの異世界転生生活は、ただの序章。


 ようやく、俺の物語が始まるのだ。


「くふふっ……くふふふ……」

 奇怪な笑いが、俺の口から零れて止まらない。そんな俺の様子を心配してか、ボーイが俺に声を掛ける。


「大丈夫ですか? なんだか悪いことでも考えているかのような顔ですが」

「ふふふ……へっ? 俺そんな顔してますか」


 ボーイが笑う。「ええ、とっても愉快そうですよ」


 言われて、俺は窓を鏡の代わりにして自分の表情を確認してみた。確かに悪い顔だ。笑いを堪えようとして閉じた口が、逆に口角を意地悪く歪めている。

 俺は努めて平静を装う。けれどボーイは再度笑う。どうにもその表情が可笑しかったらしい。


「あなたは喜怒哀楽の激しい方だ。お気づきですか? 先ほどまではあんなに……今にも泣きだしそうな顔をしていたんですよ」

 まるでかつてのオツキの様だ、とボーイは笑う。


「それならボーイさんも可笑しいですよ。さっきまであんなに丁寧口調だったのに……、今は俺のことを“勇者”とは呼ばないんですか?」


「呼ばれたいんですか? ならそう呼びますが……。私にとっての勇者はシュンだけですよ」


 ボーイは脚を組み、外を眺める。


 なんだなんだ? ボーイの態度が急変したぞ??


 俺の困惑した表情が伝わったのか、ボーイは俺に語り出す。


「だいぶ町から離れましたからね、《服従魔法》が弱まったんですよ。まあ、私とシュンのように、かつて爺さんから手解きを受けたことがある者しか、このようなことは起こりませんがね」

 そう言って、ボーイは馬車を操縦するボーイに親指を向ける。

「彼は私のようにはなっていないと思います」


「かつてって、ボーイさんもジジイから魔法を教わったことがあるんですか?」

「ええ、少しだけ。と言っても、遊び相手になってもらっていただけですが」


 ボーイは、昔のことを馴染むように腕を組む。


「シュンは……、死にましたか」


 俺は唾を飲み込む。「そうです」と、言えなかった。


「残念です。彼は私にとって、一番の親友でしたのに……」


 俺はボーイに顔を合わせられない。


「本当に残念だ。《服従魔法》は、私に親友を失くした悲しみを、感じる心すら奪ってしまうみたいです。こんなことを言っていますが、本当は何にも感じていないんですよ」

 だから顔を上げてください、とボーイは俺にそう言った。


「しんみりさせて申し訳ない。話を切り替えます。話せるうちに、あなたが知っておくべきことを伝えておきましょう」


「知っておくべきこと?」


「はい。いつかは我々を助けに戻ってきてくれるのでしょう? なら、私の知っているペリアンドロス様についてと、魔王について話しておきます。……それと、爺さんの能力について」


「ジジイの……能力?」


「はい。……あなたは、爺さんが魔王になんと呼ばれていたかご存じですか?」


 俺は戦いの記憶を思い出す。たしか……

「《コレクション》……」


「その通りです。爺さん――大賢人・シンラは、《万象網羅ばんしょうもうら:Collection》の超常能力者です」


「超常……なんて?」

 ちょっと情報量が増え始めたぞ……。


「たしか“チート”と、爺さんは自身の能力について言っていたと思います。『この世の森羅万象を知り尽くすことができる能力』。魔王は爺さんの超常能力チートをそう語っていました」


 チート。この異世界には存在していないと思っていたが……、まさか本当に存在していたとは。そしてそのチート持ちがジジイだったとは!


 そういえばジジイは言っていた。

『さあな。オレも何を知っているのか、知り過ぎてよくわからん』

 妙な言い回しだとは思っていたが、あれはそういうことだったのか。


「そして、魔王は過去にこんなことも言っています。

『僕と同じ、僕に対抗できる超常能力者は、僕を含めてこの世に7人。みんなそれぞれ別々の超常能力を持っていて、魔王と対等の力をもつ彼らは、言わば“勇者”』」


「そんなこといつ言ったんだ?」

「約1900年前です」

「この世界が出来てたったの100年の頃じゃないか!」

「ええ全く。それだけ、勇者が魔王を倒しに来るのを待っているのですよ」


 随分と気の短い魔王だな。……でも、これでようやくあの時の表情の意味がわかった。


「ずっと探していたんですね、勇者を。……特に、あなたを」


「……俺を?」


「ええ。……だって、勇者はあの爺さんでも良かったわけじゃないですか。でも、魔王は自らの手であの爺さんを殺しました」


 確かにその通りだ。……勇者は、超常能力者のことじゃないのか?


「私は先ほど、魔王に訊いたんです。『この子……アリーナの本名は何と言うんですか?』と。そしたら魔王は言いました。


『Top of the worst』


 どういう意味ですかと問うと、


『Top of the worldの僕と相対するってことさ』


 と言いました」


「トップオブザワースト」


「つまりですね。あなたはこの2000年間、魔王が待ちに待ちわびた“勇者”だってことです」


「……でも、俺にはチートなんて備わってないよ?」


「確かに、ペリアンドロス様もそう仰っていましたね。

 ……でも、もしかしたらあるんじゃないですか? あの魔王自らがあなたのことを“勇者”と呼んだんです。今はまだわからないだけで、きっとわかる日が来ると思いますよ」


 俺は能力値視認技能で、俺自身のステータスを確認してみた。

 Lv.15で、ステータスもオール15。これだけ見ても何もわからない。もしあるとしたら、“”ということだろうか。


「流石にそれは違う気がしますね」ボーイも困ったように微笑んだ。


「焦る必要はないですよ。

 ……助けを乞う側なのに申し訳ないですが、ずっと待っていますから。シュンはどうやら“勇者”ではなかったようですが、シュンには我々を助け出すことは出来なかったみたいですが……。本当の“勇者”であるあなたならば、きっと我々を、オツキのことも助け出せると思います」


 熱を持ったその視線を、俺はなんとか受け止めた。とても荷が重いとは、言えなかった。


「よろしくお願いしますね」




 それから俺は、魔王軍について、魔王の能力について。ペリアンドロスの過去や、得意な魔法について。ボーイであるかつてのシュンの親友から、さまざまな話を聞いた。特にジジイの残した伝説はすごいらしく、ここで語るには俺の語彙力が足らなそうだ。


 夜明けが近い。随分と話し込んでしまったみたいだ。

 俺は馬車を降りると、シュンの親友に言った。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃいませ、勇者様」




 そして俺は旅を始める。魔王討伐と言う目標を掲げて。


 もう迷わない。もう止まらない。諦めないし、逃げることもしない。


 俺は一人になった。独りになった。


 でも、俺がここに至るまでに沢山の人に救ってもらったし、助けてもらった。


 だから次は俺の番だ。


 もう迷わない、もう止まらない。諦めないし、もう逃げない。


 絶対に御月オツキを助け出して見せるんだ!




   第一章 完

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