Lv.15 そして俺は旅に出る。(中編)

 ――きっかけは気紛れだった。


 悲願であった美貌は、悪魔インキュバスとの契約により叶えていたし、金も権力も、まあ父という存在は忌まわしかったが、それを除けば十分に満足に足る境遇だった。


 だが、我は暇を持て余していた。

 来る日も来る日も寝ては起き、食うては寝て。女を幾人抱こうとも、我の抱く“暇”は消え失せることがなかった。


 だから我は、あの町を支配することにした。

 本当にただの気紛れだ。魔が差したと言い換えてもいい。とにかく、我にはそれを成すだけの力があり、それを成すことに躊躇はなかった。


 まず我は町の整備をした。“整備”と言うと聞こえはいいが、実際は“間引き”だな。我は町を管理するため、あの町からきれいに四世代を残してすべて殺してしまった。

 いや、正しくは五世代だな。あの神父は殺せなかった。

 だから我は《催眠魔法》を町の住人全員に掛けることにした。あの神父にもだ。そうしないと町が混乱するからな。


 しかしそんな住人の中に、我の《催眠魔法》が効かない者がいた。

 その者の名をシュンと言う。両親を殺し、挙句町の住人全員に魔法をかけた我に、彼はひどく怒りを露わにしていた。

 そんな彼を見たとき、我の心は歓喜に満ちた。これこそが我の望みだったのだと、そう強く感じた。

 だから我は彼に言ったのだ。


『我はこれから、お前と同年代の男女みなに《服従魔法》を掛ける。しかしオツキだけには、魔法を掛けない。オツキは、お前がいつかこの町に帰ってくるまでの人質よ。

 それが済んだのなら、お前は“この町の勇者”として都へ行け。そこで仲間を集め、来るべき日に向けて鍛練しろ。そしてお前がこの町に帰った暁には、我と勝負だ。

 お前が勝てば、町の住人全員の魔法を解いてやろう。

 お前が負ければ、オツキは我がしもべとなるだろう』


 そうして、シュンは都へ出かけた。それが丁度一年前の話だ。


 ……だが、残念だったな。シュンは期待外れだった。彼は我の《催眠魔法》を打ち破った。であるから、我は、彼にはなんかしらの特殊能力ちからがあると思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。


 我は町を支配した功績をもって、魔王軍幹部の座に選ばれた。別段望んだことではなかったが、自分の力が認められるこの光栄に、我は首を振らなかった。

 シュンは死んだ。尤も我が殺したわけではないがな。殺したのはビアス。けれどアレに勝てないのなら、我には勝てまい。よって勝者を我と決し、我はオツキを回収した。

 我がしもべとしてな。

 父に犯されそうになったのは誤算だった。やはり度し難い悪よの。魔法は使えないのに呪いだけは優秀。よほど高い金を掛けて呪術師を雇ったらしい。死した今でも、我には父を殺せそうにはない。




「これで仕舞です。御清聴感謝しよう」


 聞き終えたところで、俺は率直な感想を述べた。


「お前なんなんだ?」

 既に“ジジイを呼び出す魔法”は思い出している。少しだけ心にゆとりが出来たことで、俺はクラマに真意を問い質した。


「お前なんなんだよ。散々いろいろ仕出かしておいて、結局はただの気紛れだったっていうのか!?」

「その通りです。これはただの気紛れ。持たざるアリーナにはわからぬことかもしれないが、持つ者はみな“暇”という呪いに囚われている。きっとあの神父だって同じ思いを抱いていたはずですよ。でなければ、学のない子供たちに教鞭を取ろうとは思わないでしょう」


 本当にそうなのか。本当にジジイは、ただの気晴らしに学校をつくろうなんて言っていたのか?


「“暇”であることが直接的に作用しているわけではありませんよ。

 聞いたことありませんか? 例えば金のある芸術家が、水のない地域に無償で井戸を造ってあげるとか。例えば人生を謳歌しきった老人が、大盛りのご飯を安く提供してあげるとか。

 それらと同じように、何かに満たされ、余裕のある人間は、みな同じように世界に貢献できるように行動するんです。

 それはなぜか。

 答えは“暇”だからです。

 別に暇であることがそうさせるのではない。しかし決まって、そういった行動をする人間は“暇”である。人間は退屈が嫌いなんですね」


 クラマはふふふと上品そうに笑った。


「我もその一端であるだけですよ。金と暇を持て余した者。まあ我は世界に貢献できるような立派なことはしませんでしたがね。

 けれど実際、知らないということは幸せだと思いませんか? 自分を否定するような一切を知らない。自分の感知しうることだけで世界は構成されている。そう思えたのなら、まさにあの町は理想郷だとは思いませんか」


 理想郷……。確かジジイも言っていた、領主に『この町は理想郷なんだ』と言われたと。


「さあ、もういいでしょう。話すべきおおよそのことは話しました。

 そろそろ日も沈みます。今日は大事な客人を招いているのです。城の周囲を張っていた魔物たちはその客人のための護衛です。まあ、の神父に一掃されてしまったようですが」


 クラマは静かに腕を上げた。


「最後に一言。本当に、父を殺してくれたことには感謝していますよ。これで我はあの町を本当の意味で支配できる」


 クラマの腕が勢いよく下がる。そうすることで俺にどんな攻撃を食らわせるのかはわからないが、俺はどうしても生き延びなければいけないと考えていた。

 それは何のためか。

 やはり俺は、自分が可愛いがためにそうするのか。

 否。

 俺はオツキを、ここに集められているオツキと同年代の子供たち全員を助けたいから、俺は生き延びなければならないのだ。

 俺は叫ぶ!


「《遭難信号・SOS》!」

「遅い!」


 クラマの腕が下げ切られる。……が、俺は無傷だった。だって、


「おいおい、まさか魔法を忘れてたーなんて言わないよな?」


 そこにジジイが現れたから。部屋の壁を勢いよく打ち壊し、強引に中へと入ってくるジジイ。けれど、ジジイの姿かたちは、俺と別れた時とは随分と変わってしまっていた。

 俺の、ジジイとの再会による安堵の顔が、どんどんと蒼白になっていくのを感じた。つまり血の気が引いて行くのを感じた。


 軽い絶望だった。

 ジジイは全身を血の色で染め、片腕と片脚を失くしていた。額から流れた血が片目を潰し、地を這うようにして歩くその姿は、俺の腰を抜かすのに十分だった。


「ジジイ!?」

「近寄るな!!」


 ジジイの怒号に俺が身を怯ませていると、突然ジジイの周囲に細かな砂嵐が舞い起きた。それはどうやら、ジジイの後を追ってきた魔物たちを殲滅するために用いられた魔法であるらしく、ジジイに襲い掛かったその魔物たちはみな、等しく塵となって消えた。その光景に、クラマが若干身を怯ます。


「ダメじゃないか。言ったろ、ただの魔物じゃあ《万象網羅Collection》には敵わない。僕に敵を打たせることは、何よりの無礼だと感じるみたいだけど、僕にだって偶にはやらせてくれないと。君たちの崇拝する魔王様さまな力が鈍っちゃうじゃないか」


 ……こんな緊迫した状況で、こんな暢気な台詞を吐く人間は、世界中のどこを探したら他にいるのだろうか。

 俺はその発言をした人物を恐る恐る見つめた。


 身長はさほど高くない。大方ケンと同じくらいの背丈のその人物は、全身を漆黒のローブに包んでいた。引き摺るくらいの丈があるそれを豪快に翻すと、中には血の色の軍服を着込んでいる。右目を隠すほど長い黒髪のその人物は、まるで厨二病の日本人男児だ。


《コレクション》と呼んだジジイを踏みつけにすると、その人物はさも何でもないことのようにさらっと言った。


「《万象網羅Collection》はこの通り僕が始末したから、これで晴れて君は魔王軍幹部の一員だ。別に君の強さを疑っているわけじゃないんだけどね。先月幹部を一人殺されたばかりだろ。僕もそう何人も犠牲にしたいわけじゃない。てなわけで勝手させてもらったけど、よかったよね?」


 ごめんちゃい、と人を舐めた態度で謝るその人物。それにクラマは畏れ多いといった態度で、感謝感謝と言いつつ遂には俺に一言も述べなかった「ありがとうございます」の字を読んだ。


「そんなに畏まらないでよ。まるで僕が偉いみたいじゃん」

 クラマは再度、頭を下げた。


「それで、今はなんの最中だった。邪魔したなら《万象網羅こいつ》引っ張ってって戻るけど」

「いえ、それには及びません、魔王様。たった今始末するところでしたので」


 クラマとその人物――魔王が一斉に俺の方を向いた。クラマが静かに腕を上げる。


「よせ!」

 ジジイがなんとかといった調子で声を上げる。


 俺は死を予感した。いや予感するには遅すぎるだろ。もう死が確定しているといっても過言ではない。俺はこの場から生き延びるため、一心に立ち上がろうと藻掻くも、抜けた腰はもう帰ってこないらしい。みっともなく足をばたつかせることしかできなかった。


 俺はもうダメだ、と思った。でも違った。俺の顔を見た魔王が、クラマの攻撃を制したのだ。


「なぜ、攻撃を止めたのですか?」

 クラマが魔王の気を損ねないよう、慎重に質問する。

 魔王は俺の顔を見て静かに微笑んだ。まるで長年の探しモノをようやく見つけたみたいな。魔王は俺に向かってこう言った。


「まるで、この世のモノではない、みたいな眼だね。

 まあ、確かにその通りなのかもしれない。

 “一線を画する”というのは、まさにこのことだよ」


 これこそが神足る所以、とでも言いたげだ。

 しかし俺には言わんとしていることがわからなかった。クラマも俺と同意見らしい。「どういうことですか?」と問うクラマに、魔王は「なんでもない」と笑う。


「ペリアンドロス。あの子は殺しちゃダメだ」

「!? なぜですか?」


 魔王の気紛れだろうか。俺もその発言を疑問に思う。


「だってあの子は“勇者”だから」


 面白いことでも言ったかのような顔をする。クラマは驚愕していた。


「アリーナがですか?」

体育館アリーナ? なに今こいつそんな名前なの」


 魔王はケラケラと笑う。


「そうだよ。だからこいつは殺しちゃダメ」

「いやしかし……彼にはこれといった特殊能力ちからはありませんよ?」


「へえー……でもダメだよ。もし殺したら……


 君も……いや、世界をいけなくなる」


 直接言われたわけでもないのに、圧倒的な凄みを感じた。言われた本人であるクラマはさらに強い衝撃を受けたのだろう。膝がガクガクと笑っている。漏らしていても誰も笑うまい。

 クラマは上げていた腕を静かに下ろした。


「さあ、善は急げだ。さっさと体育館アリーナを首都まで送り届けてやろう。勇者の門出だ。盛大にやらないとね」


 ジジイを踏みつけにしたままの魔王が、俺に手を差し伸べる。


「もちろん君の目的は魔王討伐だろ? 待ってるからなるはやで来てね」


 俺はその手を取るか一瞬迷って、その手を勢いよく払いのけた。


「その足をどけろ! 話はそれからだ!」


 俺は努めて威勢を上げる。けれど魔王は「あ、そう」と興味なさげに呟いて、

「ぺリアンドロス、後は任せた」

 と匙を投げる。クラマは静かに頷くと、後ろで控えるメイド(男の方)たちに俺を捕まえてくるよう命令する。俺はなおも動くことができず、簡単にメイドたちに取り押さえられてしまう。


「丁重に扱えよ。彼は勇者だ。シュンと同じように都まで送り届けて差し上げろ」


 そう言って、クラマは残りのメイドを連れて部屋の扉から出ていこうとする。その中にはオツキも含まれていて……


「待ってくれ! オツキが……、オツキ!!」

「いつの日か、我を倒せるだけ強くなった日には、オツキを助けに来るがいい。我も鬼ではない。オツキの純潔は保障しよう。その方が愉快だ」


 調子を取り戻したように、クラマ――いや、魔王軍幹部であるペリアンドロスは高笑う。


「お別れは彼女だけでいいの? 差し迫った死は《万象網羅Collection》の方だと思うけど」


 魔王が足を、ぐりぐりとジジイの肉体に押し込みながら暢気に言う。


「ジジイだって助け出して見せる!」

 俺は暴れる。


「それは無理な目標だ。だって《万象網羅こいつ》は今から死ぬんだもん」

「ジジイ!!」


 俺の叫び声が室内に反響する。

 俺はなんとかしてジジイを助け出そうと、形振り構わず暴れた。しかし俺を捉えていたメイドたちは頑強で、どうしたってその腕を振り解けそうにない。


 俺は魔法を詠唱する。

「《代理詠唱魔法・Read for 魔王》・《射出魔法・Shoot this block》!」


 相手はあのジジイに涼しい顔して勝てる魔王だ。領主相手と同じ方法では勝てないだろうことはわかっている。けれど俺にはそれ以外の方法の検討が付かなかった。俺は魔法が不発に終わろうとも、自分が出せる限り、魔法を繰り出すことにした。


「《射出魔法・Shoot this block》、《射出魔法・Shoot this block》!」


 俺は詠唱を繰り返す。が魔王は俺を、子供の相手でもするかのように軽くあしらう。


 ――違和感があった。弱々しくも、確かに俺が射出したブロックが魔王に当たる感覚があった。けれど魔王は顔色一つ変えず――当たった感触すらないみたいな顔をする。

 おかしい。何がとは言えないが、間違いなくおかしい。

 そしてなぜか、俺の頭の中に、聞きなれない五文字の英単語が浮かび上がるのだ。


 ――《ERROR》


 何がエラーなのだろうか。さっきのプログラミング的な話だろうか。ならば今の俺には検討も付けられまい。なぜなら間違いなくあれは今の俺ではない、どこかの時間帯のだったのだから。

 次第に俺の気迫が薄れていく。体力が底に尽きたのだろう。もう何も考えられない。

 そうやって、意識が虚ろになった時、微かにジジイの声がした。


有名アリナ! お前にオレの金庫の暗証番号を教えておく。番号はオレとお前があった日だ! 日付だぞ。年じゃない。

 それと、オレとお前は、また必ずどこかで会える。絶対だ! だってオレたちはだから! お前が何度も転生したように、オレもきっと、何度も転生する羽目になる。

 そしたら有名! 今度はお前がオレを導いてくれ! 孤独は大変だ。一人は退屈だ! お前に会えてオレは嬉しかった。お前に会えたから、長い間生きていてよかったと、そう切に感じた。だから有名……、もう泣くな……」


 言われて、俺は涙を流していることに気が付いた。そんなにハキハキ喋れるなら、もっと元気な顔をしてくれよ。


「もうお別れだ。オレに魔王は倒せない。でも、お前なら勝てるさ……」

「なんで……?」

 滲んだ眼では、もうジジイを捉えることはできなかった。


「オレの弟子だから――」


 何を言うのかと思えばそんなこと……。俺はあんたの弟子になった覚えは一度もない。いきなり設定を増やさないでくれ……。

 俺は少しだけ、笑顔を取り戻した。


「――さあ魔王、オレは今からとんでもない魔法を繰り出すつもりだ。一世一代の大魔法。正直、有名アリナを巻き込んでしまうかもしれない……。その時は、あいつを庇ってくれるってことでいいか?」

「それは『オレの一世一代の魔法じゃ、魔王は倒せません』という告白か?」


 ジジイは微笑む。どうだろう、と問いかけるような微笑みだ。


「お前には魔法が効かない。そうだろ魔王?」

「ネタばらしはもう少し後に取って置きたかったんだけどなあ」


 魔王も微笑む。まるで旧知の知り合いだ。


「……保障しよう。何なら、君の魔法の痕跡すら残すまい」

「ああそうかよ」とジジイは笑う。




「《必殺魔法・The END》!!」




 一瞬にして、世界が真っ白になった。

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