Lv.14 俺は領主を殺してしまった。
オツキを探し始めて幾許かの時間が過ぎた。そろそろオツキは領主の屋敷になんて連れ去られていなかった、という現実も考慮しつつ、敵に見つからないよう動かなければならない。
無論、これだけの
ジジイと別れてから、まだ敵に自分の姿を晒していない。時折遠くから聞こえてくる轟音が、きっと俺の存在を掻き消してくれているのだ。
今現在、俺は廊下の曲がり角で身を潜めていた。その先から足音等、人や物の動きが無いことを確認すると、俺は足音一つ立てないよう、慎重になって次なる角へと向かう。
長い廊下を抜けると、そこには飛び切り豪華な扉があった。前回扉の中を確認した時は武器庫だったが、今回はどうだろう。前々回みたく扉に錠が掛かっている可能性もある。
扉は、ドアノブを回すときが最も音を立てやすい。鍵が掛かっていたならなおさらだ。俺は周囲に敵の気配がないことを確認すると、ゆっくりとドアノブを回した。
鍵はかかっていなかった。
中を確認するため、俺はこっそり覗き見る。
とても立派で、広い部屋だった。灯りは灯っておらず、窓から入る採光のみで部屋の内部を照らしていた。カーテン越しなので若干室内は薄暗い。もうじき夕方になるらしい。時間間隔を取り戻すと、俺はその薄暗闇に紛れるようにして、30畳ほどのこの大きな寝室を探索した。
部屋を一周して、俺は最後に天蓋付きベッドの中身を確認することにした。今にして思えば最初に確認するべきだったが(そこに敵が潜んでいるかもしれない)、知らぬが仏の精神で、先送りにしていたのだった。
俺は慎重に、ベッドのカーテンに手を掛けた。
中には人が眠っていた。
ほれ、見たことか! やっぱり誰かいた!
俺はやばいやばいと思って、カーテンから手を放そうとして、ふと、もしかしたらこの人ぐっすり眠ってるんじゃね? と思い、寝ている人間は誰ですか~と、寝顔を確認してみることにする。
「あっ……!」
俺は咄嗟に口を塞いだ。
びっくりした。そこで眠っていたのは、なんと例の探し人、オツキであったから。
俺は安堵と興奮と動揺と緊張と心配と安心と安全と対策と報告と連絡と相談と確認と……とあらゆる感情に襲われた。……ていうか、
「よかった……ほんとに居た……」
俺がようやく紡げた言葉は、そんな自己保身に安心する、どうしようもない雑魚のそれだった。どうやらオツキがこんな状態でも、俺は自分が一番可愛いらしい。
しばらく自分の心拍が安定するのを待って、俺はオツキの身体に異常がないかを調べた。
見ると、手枷足枷といった縛りはなく、服を脱がされた形跡もない。靴は履いたままで、どうやら連れてきたまま眠らされているといった感じ。
これにて任務は完了、ということで問題ないだろうか。
俺はもう一度だけ室内を探索し終えると、ジジイから教わった、信号発信魔法を発動する。
「《信号発信魔法・……あれっ、なんだっけ?」
俺は空――天井を仰ぐ。――ほんとになんだっけ?
とにかく悩んでいても仕方がないので、俺は魔法を詠唱し続ける。
「《信号魔法・Signal》!」
……手ごたえがない。
「《信号伝達魔法・Signal》!」
……どうも違うらしい。
「《位置情報送信魔法・Here》!」
……詠唱句が違うのか?
「《位置情報発信魔法・I am Here》!」
――全くもってダメだった。どうにもジジイに伝わっている気配がない。こういうものなのか? 俺は確証が得られず困っていると、不意にこの部屋の扉が開かれた。
万事休す!
大声を上げ過ぎたのだろうか。俺は咄嗟に身を隠す。隠れ先はベッドの下。
入ってきた人物は、まるで我が物みたいに闊歩する。その人物は身体が重たいらしく、歩くたびに部屋の床が若干歪む。部屋のトーチに「《着火魔法・Ignite》」と言って火を点すと、ベッドのカーテンを思いっきり開け放した。
俺は一瞬にして察する。
オツキが危ない!
というか、俺は今までのその人物の態度を鑑みて、その人物が誰なのかの検討を付けていた。
語らずとも誰でもわかる。ここは領主の屋敷で、領主の城で、そんなところに住まう“我が物顔な人物”は二人といまい。間違いなく我が物なのだ。
醜い肢体をもつ、小太りな豚みたいな領主は口を開いた。
「可愛い可愛いオツキちゃん。これからいーっぱい楽しみまちょうね~♡」
キモイッ!!!
俺は極度の吐き気に見舞われた――というのはどうでもよくて……
早くオツキを助けないと!
……でも、俺はすぐにその場から動くことができなかった。
怖い……
こんな時まで、俺は自分が可愛いのか?
『そんなに自分の身の保障が大事か? ならお前にオツキは救えないな。
自分の身を危険に冒してでも、オツキを助け出す気概を見せろ!』
俺は自分に喝を入れる。
もう負けない。ちゃんとオツキと一緒に逃げるんだ!
俺はベッドの下から顔を出した。
「やいやいやいやい! その手を放せ!」
オツキに覆いかぶさるようにして服を脱がせようとする半裸の領主に、俺は威勢よく声を上げた。
一瞬の間……。
やがて領主は“ここに部外者が侵入している”という異常性に気が付くと、オツキから身を起こし、俺に向き直って手刀を構えた。俺も鏡のように手刀を構えている。
領主は……その身体を震わせていた。
なぜだ? 俺はその意味を考える。
領主は震える声で言った。
「何者だ、お前。吾に何の用だ!」
「お前に用はない。俺はオツキを取り返しにきた!」
そう言って、俺はオツキを見やると、その視線を遮るようにして領主が前に出た。
「オツキちゃんは誰にも渡さない! 時間と金を掛け、ようやく手に入れたのだ。おいそれと引き渡すわけには行かない」
領主はまっすぐな目をして俺を見る。やめろ! なんか俺が悪者みたいじゃないか!
「いいや、返してもらう。そもそも、オツキはお前のモノじゃない!」
「いいやオツキちゃんは吾のものだ!
どこの馬の骨とも知れぬ、そんな余所者のお前に渡して堪るか!」
これではまるで、オツキというヒロインを掛けて戦うライバルだ。
嫌だ嫌だ、付き合ってられない。てっきり領主とは魔法をぶつけ合い、殺し合う羽目になると思っていたのだが、領主は声を上げるばかりで、全然魔法を発動しようとしない。俺に向けて構えられた手刀は、一向にして俺を切り裂くことはない。
そればかりか、領主は若干弱腰だ。
その様子から俺はある結論に達した。俺は魔法を詠唱する。
「《代理詠唱魔法・Read for 領主》」
「ひいいっ!」領主が恐れ慄く。
「《射出魔法・Shoot this chair》」
案の定、魔法は発動した。当たり前だが、俺は魔法を“領主”の“代理”という体で発動している。そのため、この魔法で直接領主を叩くことは出来ない。
けれど、俺の予想は的中していた。
俺の後方より俺目掛けて放たれた椅子を、俺は横に一歩ズレることで避ける。すると、直線上には領主が居る、椅子は自然と領主を目掛けたように進行する。領主は飛び跳ねることでそれを躱すと、椅子は木っ端みじんになって砕けた。
――普通、魔法はよっぽどのことがない限り、自分を攻撃――すなわち、自分に危害が及ぶ可能性のある挙動は示さないという。
『魔法は一種の手段だ。それは古来より受け継がれてきた所謂ツールで、魔法における識別句と詠唱句は、魔法を発動するためのスイッチ。
世界基準で一定の動作をするよう――プログラミングされた、とでも言えばよいのか、つまり魔法は、この世界において物理法則的優先度を持った、ゲーム的コマンドのことなんだ。
例えば前世では
けれどこの世界では、その物理法則さえ超越するコマンドが存在する。
それが魔法だ。
魔法が示したコマンドは絶対だ。本来の物理法則ではありえない挙動さえ、魔法では実現してしまう。
だから魔法には、“使用者に危害は加えない”という制限がある。
……なんだが、どうも器用度が足りないと
いや、考えてみたらそれこそが
とまあ、ジジイはそんなことを言っていた。つまるところ、
「
おそらく、というか十中八九、
「
攻撃を受けたことも相まってか、領主は突然、尻尾を撒いて逃げ出した。
が、俺は攻撃することを止めない。逃がさない。ここで
「《代理詠唱魔法・Read for 領主》・《射出魔法・Shoot that cup》!」
「いやあああああ」
俺はちょっと楽しくなっていた。
攻撃はやはり、直接は領主を狙うことは出来ない。けれど俺と領主が直線上に並ぶことで、その“狙うことが出来る”という不可能を可能にしていた。
もちろん、これは領主の器用度が低い故によるものだが、きっと……、
「《代理詠唱魔法》を介することによる
考えてみりゃ、《代理詠唱》は誰が使用者なのか判断が付きづらい。使用者を誰かに委託するなんて、プログラムの穴を突いたような――、既存のプログラムすべてを見直さなくちゃならなくなる。プログラマー泣かせのめちゃくちゃダルい
「お前さっきから何わけのわからないことを言っておる。
止めろ! 止めてくれ! 吾の言うことが聞けぬのか!」
「なんだよ《代理詠唱》最強じゃねえか!
これで自分の体力は消費しないとか、チートもいいとこだな」
領主は室内を逃げ惑う。それを俺が追いかける。
「止めてくれ! 吾がお前に何をしたというんだ!」
「おいおいちょっと待てよ。なら《代理詠唱》を再帰的に呼び出すことも可能なのか。だとしたら、ちょっととんでもないことができるんじゃないか」
「“再帰的”? お前はさっきから何を言っているんだ?」
本当に俺は何を言っているのだろう。自分でも知らない知識を、自分でも知らないある時間帯の俺が、楽しそうにそう叫ぶ。
「《代理詠唱魔法・Read for 領主》・《代理詠唱魔法・Read for me》・《代理詠唱魔法・Read for 領主》・《射出魔法・Shoot this torch》」
再帰的に
トーチは矢のようにして、領主の方へと突き進む。それを何とか躱した領主。トーチは領主の背後の壁に突き刺さった。
「さて、そろそろ終わりかな。
なるほどな……魔法ってのは、案外単純なつくりをしていたんだな。この世界をプログラミングされたゲームと見なし、魔法はそのプレイヤーに与えられた特殊コマンド。スキルという言い方でも正しい。思えば、魔法の詠唱も日本語と英語を組み合わせた単純なものだし、存外、魔法の習得は容易いかもしれない」
「もう……やめてくれ……。お前の目的はなんだ……? 財宝か? 金銀か? 女か? 権力か?」
「僕はそんなものには興味ないよ。興味があるのはこの世界だけだ。魔王が創り出したというこの世界。いったい
「……ぼく?」
「……………………は?」
僕……いや俺は……何を言っているんだ?
……どこの記憶を……思い出したんだ?
俺は強い頭痛に襲われる。立っていられない。息が出来ない。何も考えることができなくなって……誰かに頭を締め付けられているような……頭蓋骨が割れてしまいそうだ。
視界の端で、領主が安堵したような溜め息を吐いた。そして恐る恐るといった感じで、何か武器でも隠しているのだろう、デスクの方へと足を進めた。
追いかけなくては……声が出せれば足止めできる。けれど声は出ない。次第に視界も虚ろになって、音がぼやけて聞こえてくる。
「へへへへへ。お前なかなかやる様だが残念だったな。ここは吾の城。吾が勝つよう出来ているらしい。よくやったぞクラマ。お前は吾の誇りだ」
ク……ラ……マ……? あいつが関わっているのか……?
すると突然、城内に警報のようなものが鳴り響く。領主が何かをしたらしい。領主は楽しそうに顔を歪め、では、といった様子でオツキの方へと歩み寄る。
「や……め……ろ……」
「あ~ん、なんだって?」
「や……め……て……」
「よく聞こえないなあ。さっきまでの威勢はどうした?」
抵抗できず、俺はただただ床で唸る。
衣擦れの音がした。服が破けるような音もした。
醜い親父の声がした。下心丸出しの、獣のような異臭がした。
「や・め・ろ!」
俺は無我夢中で、腰に差していた一本の短刀に手を伸ばす。俺はそれを強く握ると、詠唱もなしに思いっきり領主に向かって投げつける。
投げた瞬間、俺はそれが“シュンからの貰い物”であることを思い出す。
そうだ俺は、友達から大事なものをもらっていたんだ。
『――オツキはお前に任せたぞ』
「力を貸してくれ! シュン!」
すると、投げた短刀に魔法が掛かる。それはシュンが得意としていた《俊足魔法》。どうやら対象は人以外でもいいらしい。
短刀は加速する。まさに物理法則を無視して、放物線を描くはずの軌道が直線を描いていた。
「え?」と領主は俺の投げた短刀を認識できないまま、頭部にそれが刺さって死んだ。
領主の死体がベッドからずり落ちて大きな音を立てると、その時、勢いよく部屋の扉が開かれた。
「何事ですか?」
リミットだ。俺は領主を殺してしまった。もう言い逃れはできまい。
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