第80話 学と私と雄馬くん

 組長が出ていった後でたはは、と典次てんじさんは苦笑した。何かに納得したようで、隠し笑いに近いかもしれない。視線を交わして、理解できなかった組長の意図を問いただすことにした。すると典次さんは素直に教えてくれる。


「言い忘れたが、親父は気に入った奴を組に引き入れようとすんねん。あの様子やとわりと自分の事気に入ってるで」

「……」


 反応に困る一言だ。まさかどこにでもいるような高校生をヤクザに引き込むなんて。智恵の恩人という点を考慮しても些かやりすぎではないか。

 ここに来てからというもの、完全に相手ヤクザのペースに飲まれている。


「でも、僕はまだ高校生ですよ」

「あの人にとっちゃあ歳なんて関係ないで。学があるお前に興味をもってんねんやろ」

「典次さんもそんな感じだったんですか?」

「なんやて?」

「典次さんも学があったから、組に引き込まれたってことですか?」

「俺に学があると思うんか?」


 典次さんはガハハと笑った。その質問に僕は答えられなかった。失礼だけど、そこまで頭のいい方とは……。


?」

「いやっ、ちがっ……!」

「ええねん。事実俺はそんな頭良くないしな」

「じゃあ……」


 鋭い視線を向けてくる。表情は笑っているのに、どうしても緊張感がぬぐえない。柔らかいのは雰囲気だけで、彼の纏うソレはやはり本物だ。


「親父の言う『学』ってのは、試験で点が取れるってのとは違うんや。知識や礼儀、常識があるかどうか、他人から学ぼうとするか、その意欲を見とるんや」

「意欲、ですか」

「せや。自分で言うのもなんやけどな、俺はそれを行動で示した。だから今ここにいるわけや」

「……」

「でも、


 はっきりとした口調で典次さんは言った。その言葉にあっけに取られてしまう。智恵ともえが違う……? そんな馬鹿な。試験の成績がいいのはもちろん、周囲の人間に気を配れる上に常識やマナーもしっかり身に着けているはずだ。

 典次さんの言葉が彼女自身を否定しているように聞こえ、僕は思わず言い返してしまった。


「智恵の何が違うっていうんです? あんなに――」

「あんなに、なんや」

「いえ、あの……」

ヤクザここじゃあ、自分の言葉には責任を持てよ。言葉を交わす時点で勝負は始まっとんのや」


 言い返されて口を噤んでしまった。それからはっとして息を呑む。相手が誰なのかを再認識した。

 だけど、沈黙は選べなかった。口に出かかった言葉を飲み込むのはどうしてもできなかった。引き下がってなるものか。そんな思いが僕を動かした。


「智恵は……素敵な先輩ですよ。僕や周囲の人間に優しい。言葉遣いや礼儀もしっかりしている。あんなに可愛い女性の何が違うっていうんです?」

「……」


 今度は典次さんが沈黙を選んだ。じっと僕の眼を見つめ、口元は固く結んだままだ。唇を噛み締めて反応を待った。やがて典次さんが口を開いた。


「そこまで言えるなら充分や」

「え?」

「よし、お嬢の部屋まで案内するで」

「え、あの、違うっていうのは……」

「話したらわかる。今のお前ならな」


 カタン、と何かが倒れる音が廊下から聞こえ、びくっと反応してしまう。組員がなにか落としたのかな。

 典次さんへ視線を戻すと、組長の前では外していた黒色のサングラスをかけ直していた。このまま事務所に居ては良くないのか、すぐに部屋を出るように促される。

 荷物を担いだ僕は先を行く典次さんの背中を眺めながら冷えた廊下を歩いた。


               **


 今日はちょっと遠くまで出かけちゃいました。そこまで遅くなったわけではないけど、お父さんはまた何か言うでしょうか。

 コンビニで買ったスイーツを鞄に押し込めながら、私は扉を開けました。いつもなら素通りするはずの玄関に、一つ見慣れない物があります。


「誰のかな。お客さんでも来てるんでしょうか?」


 どこかで見た気もする男の人のスニーカーが置いてありました。私のサイズより少し大きい黒と青の配色に白色のひもが付いています。

 少し不思議に思っていると、組員さんたちがいつも騒いでいる部屋の方から声が聞こえてきます。その中にお父さんの声がしました。


「――あの娘を説得してほしいねん」


 音を立てないようにお話を聞くことにしました。バレたら怒られるかもしれないけど、少し気になったのです。どうやらお客さんと話しているようです。何かを依頼しているようでした。

 扉越しだからはっきり聞こえないのですが……。


「それで智恵さんと話し合ったんですか?」


 この声はっ……。まさか雄馬くん? そんな、どうして彼が私の家に……。それにお父さんと話しているなんて。いったいどういうことでしょう。


「説得出来たら報酬もやる」

「報酬、ですか」


 やはり何かを雄馬くんに頼んでいるのでしょうか。


「兄ちゃんになら、智恵を嫁にやってもいいと思っとる。――結婚して」

「いやいやいや!」


「……っ!!?」


 聞こえた内容にびっくりして声が出そうになりました。慌てて抑えたけど、聞こえてないといいのですが。 

 というか私が雄馬くんと結婚!? お嫁に行くなんて急に言われても……。いったいどういう流れで――。

 心臓の鼓動が早くなったのを感じます。心なしか顔も熱くなった気もします。なんでしょう……。


「「うっす!」」

「じゃあよろしく」


 組員さんたちの大きな掛け声が響き、お父さんが席を立った音がしました。もしかして出てくる……? そう直感した私は扉から急いで離れ、柱の陰から様子を見ることにしました。いつもと変わらない調子でお父さんが部屋から出てどこかへ歩いていきます。また書斎の方でお仕事でしょうか。

 その後ろを三人の組員さんがついていきました。でも、肝心の雄馬くんはまだ部屋の中にいるようです。いったい何を……。

 どうしても気になった私は閉じた扉に耳を当てました。


「でもお嬢は違う」

「智恵の何が違うっていうんです? あんなに――」


 聞こえてきたのは雄馬くんと典次さんの声です。私のことを話しているようです。

 どうして私のことを? 気になって仕方がありません!

 持っていたカバンを静かに横に置いて、折りたたみ傘をその隣に立てかけました。だいぶ近づけばはっきり聞こえるはずです。


「――素敵な先輩ですよ。僕や周囲の人間に優しい。言葉遣いや礼儀もしっかりしている。あんなに可愛い女性の何が違うっていうんです?」

「えっ……!?」


 雄馬くんの声に驚いた私は思わず、扉から離れてしまいました。その勢いで立てていた傘が倒れ、廊下にカタンと音が響いてしまいました。気づかれるかもしれません。早く離れなくては……。

 でも、雄馬くんの言葉が私の頭から離れてくれません。まるでレコードのように、耳元で再生されるのです。

 雄馬くんが、私を、可愛いって……。


「……っ!!」


 私は荷物を胸に抱えるとそっと足音を立てないように、静かに離れました。


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