第79話 説得と説得と相談話

 午後五時。秋になると日も沈むのが早いのか、やや西日が事務所の窓から差し込んでくる。暖房の効いた部屋で僕は智恵ともえのお父さんが来るまで待機してくれと、事務所のソファに座ったままだった。

 典次てんじさんが外へ呼びに出たのはわかるのだが、なぜか僕と一緒に総勢十名を超える組員たちが所狭しと立ち並んでいるのだ。正直圧がすごい……。

 僕のことを恩人どころかすごい人とでも勘違いしているのか、どこか期待に満ちた視線を向けてくる。居心地が悪すぎる。

 早く典次さんが戻らないだろうか。

 静かな部屋に響くカチコチという秒針の音がやけに大きく感じ、その方を見上げた。壁に掛けられた時計の横には竜と虎が描かれた立派な掛け軸。空を舞う竜に向かって、地に立つ虎が吠えていた。


 ガチャリ。

 ふいにドアノブが回り、待ち人が姿を現した。その瞬間、今まで腕組していたり壁にもたれかかっていた組員たちがびしっと姿勢を正した。その反応でわかる。才条組の組長ボスだ。


「はよう」

「「「おつかれさまです!!」」」

「おう」


 短くて低い一言を交わしながら、灰色のスーツに身を包んだ黒髪の男が部屋に入ってきた。焼けた肌にはしわとともに深い傷跡があった。薄い黄緑色のサングラスのせいで目元はよく見えなかったが、それでも鋭そうな眼光を持っていそうだなと思わせるくらい風格がある。


 その雰囲気に飲まれそうになる。僕は今からこの人を説得しなければならないのに、そんなことできるのか、なんて考えてしまう。

 組長は僕の正面にどっかりとその腰を下ろした。改めて対峙すると、その圧が伝わってくる。今にも逃げ出したいくらいだ。

 

「兄ちゃん。名前は?」

「え、あ、櫟井いちい雄馬ゆうまといいます……」

「うちの娘から話は聞いた。世話になったな」

「いや、それは……」

「なんや、謙遜か? 男なら自分の手柄くらい誇ったれや。人を助けるちゅーのはなかなかできへんで?」


 智恵が事故に遭う未来を僕が勝手に義眼で視たなんて言えない。言えるわけがない。だから僕は、誇れない。

 言葉に詰まった僕をさらに組長は見据えた。その目に僕の心が透かされる気がして、俯いてしまった。


「まあええ、謙虚なのは気に入ったわ。いずれ恩を返したいし、ご両親にも挨拶させてくれ」

「いや、両親は……すでに他界してまして」

「お二人ともか?」

「……はい」


 組長は驚いた、気がした。もしくは言葉に詰まったのかもしれない。


「それは悪いこと聞いたな……すまん」

「いえ、慣れてますので大丈夫です」


 ヤクザと言えど人の家庭に踏み込みすぎたと後悔しているのかもしれない。ヤクザとはもっと横柄な人柄をイメージしていただけに、そのギャップが僕の緊張を少しほぐしてくれた。

 そういや、智恵のお父さんは礼儀や知識を大切にしている人なんだけっか。

 根が真面目なのかもしれない。そういうところは親子そっくりだ。いや、むしろ智恵が見事に受け継いだことになるのか。

 そんなことを考える余裕が出てきたと自分で思う。ちょうど傍に立っていた典次さんが、んんっとわざとらしい咳ばらいをした。

 話を進めろということか。


「それで本日お会いしたのにはお話がありまして……」

「なんや、兄ちゃんもか。ワシからもあんねん」


 その言葉を聞いた典次さんがえ?という顔をした。あれ、そこは通じてるわけじゃないのか。


「えっと、智恵……さんのことなんですけど」

「ワシも智恵の事や」

「もしかして学園祭のこと、ですか?」

「せや。あの娘を説得してほしいねん」


 あれ、説得? 僕が、智恵に?

 聞いていた話と何かが違う。


「あのバカは学園祭に出るちゅーねん。学生に必要なもんはなんや? あぁ? 勉学にきまっとろーが。遊んでる暇があるなら勉強せぇゆーても聞かんのや」

「え、っと……」

「来年は受験や。今からでも勉強して損はない。兄ちゃんもわかるやろ?」

「ええ、まあ」

「受験は戦争や。他人を蹴落とさんなん、生き残れんがな。意味のない学園祭に遊んで過ごすよりも勉強した方が得るもんは大きいはずや」


 確かに、筋は通っている。間違っていることは言っていない。

 だが、それは理想論だ。それだけを押し付けるなんて、智恵だって納得するはずがない。


「それで智恵さんと話し合ったんですか?」

「いんや、あのバカはろくに聞きもせず家出てったんや。やから典次を付けさせたんや」


 そこで典次さんを見る。その視線に応えるように、典次さんは軽く会釈した。


「せやから兄ちゃんには娘のことを説得してほしいねん。都合がいいのはわかっとる。説得出来たら報酬もやる」

「報酬、ですか……」


 自分の方こそこの人を説得しなければならないのに、そんなことを忘れて僕は聞き返してしまった。


「兄ちゃんになら、智恵を嫁にやってもええと思っとる」

「へ……?」

「なんなら兄ちゃんが婿に来い。ご両親おらへんのやろ? うちで面倒見たってもええ。そんで結婚して後継ぎを――」

「いやいやいや! ちょっと待ってください!」

「なんや、気に入らへんのか?」


 愛娘を否定されたと勘違いしたのか、急にサングラスを取ってすごんでくる。いや、めっちゃ怖い!! でも今はそうじゃなくて……!


「い、いきなりそんな結婚とか言われても……」

「なんや、お前ら交際しとらんのか」

「してませんよ」


 はっきり否定しておく。


「智恵から兄ちゃんの話、ぎょーさん聞かされたで。てっきりお前さんの事好きなんやと」

「え、智恵がですか」


 内容に気を取られ、さん付けを忘れてしまう。


「まあええ。今日は泊まってじっくり智恵を説得したってくれや」

「え、泊まり……!? え、え?」

「おい、客用の用意を。あとで智恵の部屋に案内してやれ」

「「うっす!」」


 まだ話の流れについていけてない僕を置いて、組員にあれこれと指示すると、

「じゃあよろしく」と言葉を残して事務所を去って行ってしまった。

 残された僕は口も半開きのまま典次さんの方を振り返る。

 引きつったような苦笑いを浮かべていた。

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