第78話 事務所にて
唐突に車に乗り込んで数十分ほど揺られた先で、
「着いたで」
窓の景色をずっと追っていたわけではないから、今自分がどこにいるのかわからないが、
白塗りの高い塀に囲まれたかなり大きい家だ。瓦屋根に引き戸タイプの木の扉。こげ茶色の木に、黒の取っ手がよく映えていた。
映画やドラマの中で見るよりも本物の重厚感。はっきりいってそういう雰囲気をビシビシ感じる。それに圧倒されて、緊張からか唾をごくりと飲み込んだ。
「なあにびびっとんのや。入るで」
「は、はい」
ガラガラという独特な音を立てて戸を開けて典次さんは中に入っていく。入る際にそういうしきたり的な何かがあるのかと思っていたが、関係ないのだろうか。
のんきに鼻歌を歌いながら歩く典次さんの背を追いかける。
中庭には手入れされた松の木が広がり、盆栽が綺麗に飾られている。あとは幅が二メートルくらいはありそうな小池。灰色やら黒やら白色やら様々な石で縁取られている。
竹のかこーんって鳴るやつもあった。なんていうんだっけ、みず落とし? かかおとし? それは違うか。
家の中に入り、すべすべした廊下を歩いていくとやがて目的の場所についたのか、典次さんは何も言わずに扉を開けて入っていく。表記されたプレートには達筆な字で『事務所』と書かれていた。僕もおそるおそる続く。
いきなり誰かに襲われたりしないだろうか。銃とか撃たれたりしないよな。
なにせ相手はヤクザだ。常識が通じるかどうかなんて……。
「「お疲れ様でーすっ!!」」
部屋に入るなり十人位の野太い声で迎えられた。その声量に耳がキーンとなり、思わず顔をしかめてしまう。そんな僕とは違って、慣れているのか典次さんは後ろ手に組んだ男たちに挨拶を気軽に返していく。
「うっす。連れてきたぞ例のやつな」
「おお! まじっすか」
「さすが典次さんっす! 自分も男磨かせてもらいやす!」
そんな賞賛を受ける。そして典次さんの紹介で彼らの視線は一気に僕の方へと向かう。じろりとした怖い視線。僕より年上の人で、それなりに社会経験を踏んでいる人間達だ。もし気に入られずにその気になってしまえば、僕なんて一瞬でやられるぞ。あれ、もしかして今相当危険なんじゃ……。
今更ながら自分がどこにいるのかわかってきた。智恵の家じゃない。ヤクザの家なんだ。スキンヘッドの赤いTシャツを着た屈強そうな男が僕の方に一歩近づいてくる。
え、え、嘘だよね……? 何かされるっ!?
そう思った次の瞬間、僕は大きな声量に再び殴られた。
「この度はご足労頂き感謝してますっ! お嬢の恩人だということは存じてます! 重ねて申し訳ないっすが、今回はお力を貸していただきたい!!」
「……へ?」
予想していたものとは全く違った言動に、脳内が疑問符で埋め尽くされる。
「そうなんす! 親父を説得してほしいんす!」
「お嬢の恩人のあんたならできるって思いやす!」
「信じてます!」
「おれも、期待してます!」
次々とお辞儀と後押しの言葉がぶつけられる。やはり状況が分からない。僕は詳細な説明が欲しくて典次さんに振り返った。すると、やけに柔和な笑みを向けられた。
「まあ、茶でも飲みながらゆっくり話そうや。ここには親父はきぃへんしな」
そう言って、高級そうな椅子に僕を勧めたのだった。
**
智恵のお父さんは元々学業に厳しいお方だそうだ。娘の教育はもちろん組の人間にも『学』をつけさせる思想を持っているようで、「知識・礼儀」を信条に掲げているのだとか。今どき珍しいヤクザもいるもんだ。
それで文化祭に反対している理由が勉強の時間が減るから、だとか。一高校生にそこまで求めるのはさすがに厳しいとは思うが、あまり家庭の事情に首を突っ込むのはどうかとも考えてしまった。
組員らは智恵が文化祭を楽しみにしていることを知っている。だけどお父さんはその参加を認めようとはしない。当日は家で勉強させると言って聞かないらしい。
智恵のお父さんはあくまでもここのトップだ。下の自分たちが口添えするのは差し出がましいということで、今回僕を頼ったらしい。
まあその理由としては単純に「恩人だから」ということだ。智恵を助けた件をどうやらお父さんも把握しているらしく、僕のことを認めているのだとかなんとか。
いや、素直に喜べないのが胸に刺さる。
義眼による未来予知で智恵を危険な目に遭わせてしまった原因が僕なのだとしたら、『恩人』なんて言葉は欺瞞だ。それこそ僕が加害者になり得るのだから。
「おっと茶柱や。説得できそうやな」
なぜそうなる。
頂いたお茶をずずずとすする。飲みやすい温度で体が温まった。
「まだお嬢も帰ってへんようやし、今のうちに親父説得しにいくか?」
「も、もうですかっ!」
「もう……って早い方がええやろ? 長引けば帰れんで自分」
逃がすという選択はないらしい。
おそらく智恵がいれば話がこじれてくるのも考慮しているのだろう。これから起きることの顛末を想像して、僕は重い溜息をついた。
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