第77話 夏の再来、初老と極道

 驚愕と混乱を混ぜた同学の視線を一心に集めたせいで、僕はその窮屈さに顔をしかめた。なされるがままにその場から離れていく。

 典次さんは先ほどの「乗れ」という言葉を放ったきり、無言で僕の腕をつかみどこかへ連れて行こうとする。いったいどこに行こうっていうんだ?

 典次てんじさんと会うのはあの夏休み以来だ。あの時だってそこまで親しく話したような記憶はないし、再開する約束も取り付けた覚えはない。というか、彼が何者なんだか今でもよくわかってないし。


 校門の脇に黒塗りのハイヤーが停められていた。

 そこに控えるように一人の男性が手を前に重ねて立っていた。白髪で顔には深いしわ。静かに笑みを湛えており、かなりの年齢を思わせる。60、いや70歳ほどだろうか。ビシッと張った黒のスーツに身を包み、手には白のグローブ。まるで執事を思わせる出で立ちだ……いや、まさかね。


「よし、のるで」

「いや、ちょっと! いったいなんなんですか? 説明してくださいよ!」


 さすがに訳も分からず車に乗せられるわけにはいかないと思い、腕を振り払った。その勢いで典次さんもはっとしたのか、「わるいわるい」と片手を挙げて軽薄そうに謝罪した。


「どうしてここにいるんです? 僕に用事があるってどういうことですか? いったいどこに行こうっていうんです?」

「ちょいちょい、一気に質問すんなや」

「……すみません」

「ほなら、一個ずつ説明していくわ」

「お願いします」


 なぜかめんどくさそうに頭を掻いて、うーんと唸る典次さん。いや、そこで面倒くさがられても困るんだけど。僕も納得できるだけの説明があれば、それに協力することもやぶさかではない。

 いきなり連れて行こうとするのは、もう拉致じゃないか。


「お嬢のことでちょいと頼みがあんねん。自分、友達ねんやろ?」

「智恵のことで……?」

「そんでとりあえず学校来たわけや。あんの警備員に目ぇつけられんとけば……

ちッ」

「いや、あれはさすがに典次さんが……」

「なんやて?」

「いや、何でもないです……」


 くいっとサングラスを持ち上げすごんで見せた。迫力のある視線を向けられて委縮してしまった。やはりこの人はソッチ関係の人なのか……? もう怖すぎる。

 その気迫を取り払うために、僕は慌てて違う質問をした。


「典次さんが僕に会いに来たのはわかりましたが、用事ってなんなんですか?」


 本題に切り込む。智恵のことで頼みがある、と言っていたな。

 まさか何か厄介ごとに巻き込まれているとか!? 義眼で視ていないうちに何か起こっているのか?


「それなんやけどな」


 一つ咳払いをして言葉を区切る。つばを飲み込んだ。無駄に引き延ばすせいで、深刻な事態を考えてしまう。だが、典次さんから出た言葉は予想より軽いものだった。


「お嬢の家まで来てほしいんや。そんで説得してほしいねん」

「せ、説得……?」


 百歩譲って智恵の家に行くのはいいとして、説得ってなんなんだ。いったい誰を? 何に対して?


「とりあえず道中で話すわ」


 そう言って車に乗り込んだ。立ち尽くす僕に車内から手招きをして急かす。ちらりと執事(?)の方を見ると、にこりとほほ笑んだまま軽く一礼した。

 なんか流されてるなぁ僕。

 そんなことを思いながら乗り込み、やけにふかふかなソファに腰を沈めた。


              **


  静かな排気音を背景に、校舎から離れた僕らは走り出す。車内は僕ら二人がゆったりくつろいでもまだ余裕があるくらいだった。流れる景色を眺めつつ、僕は典次さんの話に耳を傾けた。


「つまりは組長、まあお嬢の親父さんが文化祭に反対しているってわけや。それを嘆いてるお嬢を助けたってくれへんか?」

「僕が……ですか?」

「せや、友達ダチなんやろ?」

「まあ、そうですけど……」


 簡単に言えば、智恵のお父さんが智恵の文化祭への参加に反対している。それをなぜか僕が説得する、ということらしい。あれだけ楽しそうに文化祭の思い出を話していたのに、その参加を禁止されては本人も嫌がるだろう。

 というか、他に気になる部分が多すぎるのだが。


「あの、二ついいですか?」

「なんや」

「さっきって言いました?」

「それがどうした」

「え、いやいや、え? どういう関係なんですか?」

「関係も何も、親父さんが才条さいじょう組の長やで?」


 ……。……え? おさ? 才条組って、何かの業界のそういう……?


「才条組第8代、才条学さいじょうまなぶ。お嬢の親父さんの名前だ」

「もしかして、才条組って……」

「まあ俗に言うヤクザってやつや」

「…………」


 言葉が出なかった。鉛で頭を打たれたかのような衝撃だった。

 完全に不意打ちだ。智恵の家庭がまさかヤクザだなんて。初めて会った時に思った「お嬢様みたい」だなんて、まるっきりその通りじゃないか。なんという皮肉だ。


「なんや、そんな阿呆みたいな面して」

「あ、いや……」


 今まで生きてきた中で一番衝撃の事実だぞ。ヤクザなんてものにそうそう出会う機会があるわけでもなし。逆に平然としていられる方がおかしい。


「まあ、会って話してくれたらええねん」

「説得、ですか」

「気張らず普通に話すだけでええ。お嬢の参加を勝ち取るのは次の段階や」

「はあ」


 表情の読めない典次さんの言葉に、僕は曖昧に頷くしかなかった。


 

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