第73話 二人の距離Ⅰ

 七限目。H.R.ホームルームの時間。

 もうすぐやって来る文化祭でのクラスの出し物について、僕たちにも話し合いが持たれた。楽しそうに喋る皆に取り残された僕は、一人窓の外を見やる。

 しとしとと降り続ける雨粒が時折風に吹かれ、ガラス窓に打ち付けられる。山の方は分厚い雲で覆われ、見通す視界は薄白い雲が支配していた。

 教室の熱から離れ、僕は目を閉じて一考する。


 誰かを好きになるというのは存外大変なことだ、と――。


 恋は落ちるものとか気づいたら好きになっていたとか聞くけれど、その人に好意を抱いてる自分というものをいつ自覚するのだろうか。

 他人と自分を比べて自分にはない部分をその人が持っていると感じた時、それは魅力と変容する。そしていつしかその部分に執着し、憧れ、それでも手に入らないからこそ嫉妬し、愛に狂うのだろう。

 そんなことをぼんやりと考える。

 きっと誰もが同じような道をたどるのだ。彼も、僕でさえも……。


「じゃあ、やりたい係の下に各自名前を書いていってくださーい」


 妙に間延びした一言でますますクラス内に喧騒が広がった。沈着しつつあった場が一層昂ぶったのが分かった。

 この状況でなぜ先生が注意しないのかというと、もちろんいないからである。

 生徒の自主性を重んじるためなどと言って、早々にクラスから出て行ってしまった。結局残された学級長が指揮を執っていた。


谷崎たにざき、お前やれよ」

「べーやんこそやりゃええやん」

「やっぱ、女子もいた方がいいっていうかー?」


 楽しそうにじゃれ合いながら、教卓の方で寸劇を始める三人組。べーやんと呼ばれたスキンヘッドの男子がオーバーな動きで注目を取ろうとするも、あまり視線を向けられてないようだった。

 ああいうタイプは中学にもいたな……。

 そして髪型からして野球部。いや、知らないけど。


「ちょっと退いてよ、山辺やまべー」

「うわっ、すまんって」

「邪魔だから引っ込んでろって」


 黒板の前を陣取っていたべーやんは、後からやって来た女子にウザそうに文句を言われていた。

 既に何をやるか決めていたのだろう。白いチョークで丸っこい苗字を書く。側にいた友達と目を合わせて、満足そうな笑みを浮かべていた。

 まだ決めかねている者はひそひそと相談して、空いている枠がどこかだとかあれなら二人でできるよねなど楽しそうに雑談に浸っていた。

 かくいう僕も後者であった。


 生憎あいにく積極的に仕事をしようという気持ちは持ち合わせていない。こういう何かを選択する場面では、だいたい余った役割をやるのが常だ。

 「これがしたい!」なんてやる気に満ち溢れた雰囲気でいっても、人数が枠に収まらなかった時が苦痛になる。決めるのは話し合いで終わるときもあるだろうが、あくまでも公平さを期してじゃんけんで解決される。


 これで僕が運よく勝とうものなら、それはそれで問題になってしまうのだ。例えば二人の枠に僕と、二人組が入ったとしよう。計三人だ。

 友達同士で入ってきた彼らにとって、その一方と僕が組み合わせになるとすれば、溢れた方は僕を邪魔者だと思うのは至極もっともなことなのだから。そんなきしみは避けるべきだ。

 面倒くさい人間関係はわざと作らなくてもいい。関わらないという、関わり方だってあるのだ。だからこそ、僕が取るべき選択は一つ。皆が書き終わるのを待つだけだ。動かざること山の如し。なんつってね。

 ぼおっと頬杖をついて、黒板に書かれていく名前を見つめる。


「なあ、雄馬ゆうまはもう決めたのか?」


 わざわざ隣の席に移動してきた慧悟けいごから声がかけられる。楽しそうな表情だ。結ばれた口元が緩んでいるのがわかる。


「いや、別に……」

「あ?」


 決めたも何も、僕の意思は最初からない。だけどそんなことを言えば、この友人は黙ってないからなぁ……。なんて言おうかと一考したときだった。


「ねぇねぇ、天馬てんばくん」


 一人の女子が慧悟に近づいてきた。


「ん、どうした? 花雲はなぐも


 花雲、と呼ばれた彼女を見やる。

 先日見た黄色いシュシュを身に着けた、ポニーテールの女子だった。

 どこか照れくさそうにあちらこちらに視線を泳がしながら、肩まで伸びた黒髪をもてあそぶ。それでもなお慧悟に話しかけたいのか、緊張した面持ちで傍に立っていた。


「えっとね、その……」


 言葉を選んでいるというよりかは、言うべき言葉を口にできない。そんな感じの態度だった。まだ一歩悩んでいる、というべきか。

 慧悟の方もそれを察したのか、どこか気まずそうな表情で頬を掻く。すぐにそれをひっこめて彼女の言葉を待っていた。

 慧悟もまた待ったことで、二人の間に沈黙が流れる。


「よかったらなんだけど……」

「おう」

「いや、そのね……嫌じゃなかったらなんだけど」

「うん」


 なかなか出てこない。傍聴者の僕でさえ、この先が読めたぞ。じれったいのは僕だけか?

 指を絡めて、頬を桃色に染める。その反応からして、わかりやすいものだが……。

 やがて決心がついたのか、その本題が語られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る