第72話 恋愛のしがらみ

 昼食を迎えた昼休み。

 授業が始まるまでまだまだ時間がある。教室でみんなが喋っている中で、僕は一人考え事をしていた。

 慧悟けいごからの相談を受けてから一週間が過ぎた。だが、これといって表立つような変化があったようには見えない。なんでもない風を装っているように思える。

 決して口にはしないけど、そんな雰囲気を感じてしまうのだ。

 部活で慧悟と初瀬川はつせがわさんの二人きりで話している姿を見なくなったように思う。どこか避けているというか、そういう状況ができてしまう前に慧悟がどこかへ行ってしまうのだった。

 まだ件の告白に対して答えが出ていないのだろうか。彼の性格上、中途半端なのは嫌うはずだ。何事にも全力で走る奴だ。中学の時もそうだった。

 バスケ一筋で、勉学よりも運動が好きなタイプだ。女子にも男子にもモテたものだが、誰かと付き合っているという噂はほとんどなかった。別に男女交際を禁止するような校則もなかったし、そもそも規則を厳格に守るような性格でもなかった。

 だが、その分自分の決めたものをやり通す核は持っていた。


「…………」


 弁当は机の上に出してあるが、手を付けずに文庫本を捲る。間隙で彼の方をちらと見た。

 高校に進学しても慧悟の人徳は遺憾なく発揮されている。男女分け隔てなく接して、周囲を笑わせるような人間だ。グループの中心にいると言い換えてもいいだろう。

 だというのに、今は少し変だ。


「でさ、天馬てんばくんもどうかなーって」

「ああ、そうだな。てか、俺が一緒でいいのか? 女子だけの方が盛り上がらないか?」

「いやいや、天馬っちが盛り上げてくれるっしょ?」

「なんだったら、他の男子も誘おうよ!」


 とある三、四人の女子のグループに囲まれて話しているときは違った。ノリノリなテンション……に見えるが、どことなく一歩退いた感が否めない。

 もしかしたら、例の告白の子なのかもしれないな。会話をしている彼女らの内のどの子が慧悟に好意を抱いているのか、僕にはわからなかった。


「天馬くんは、好きな子いないの~?」

「気になってる女の子とかはぁ?」

「タイプでもいいから教えてよ!」

「……いまは、ちょっとそういうのはなぁ」


 慧悟の机に寄ってきた女子たちと会話をしているが、その反応もどこか薄いものだ。はっきり口に出せばどうなるか、それを理解しているはずだ。


「今は文化祭があるだろ? そっちに集中しないとな」

「さすが慧悟だぜ。優等生は違うなぁ」

「おい、やめろ。そんなつもりじゃねえよ」

「ちょ、ごめっ! やめて、悪かったって!」


 うまく周囲にいた友達に話を振る。えっと、名前は田辺たなべだったかな。よく慧悟とつるんでいる。冗談でからかうつもりだったのか、慧悟から脇をくすぐられて大声を出していた。


小泉こいずみ花雲はなぐもも、確か前に文化祭でお化け屋敷行きたいとか言ってただろ?」 


 彼女らの機嫌を決して悪くはさせない。あくまで話題をそらすことでこの場を収めようとしていた。だが、それでも彼女らのテンションの上がった恋愛トークを鎮めるには足りなかったらしい。


「でもでも~! 文化祭に恋人ができるってのが定番じゃん!」

「それ~!」

「期待しちゃうよねぇ~!」


 楽しい会話、ではなかった――。

 三人共の反応は全て一人の女子に向けられていたのである。あんな露骨なのはもう応援に近い。あの子が慧悟に告白したのだろうか。先ほど小泉と呼ばれた女子が、花雲の肩にぽんと手を置いた。

 クラスメイトとほとんど会話をしない僕は、自慢できるわけではないがほとんど名前を覚えていない。なんか笑っちゃうけど。まあだから、名前があっているのかわからないけど。

 まるで花雲をサポートするかの如く、周りの女子は慧悟にアピールをしているのだった。


「黄色いシュシュとかかわいいよね、天馬くん!」

「え、ああ、そうだなぁ」

「髪結んでいるのとほどいてるの、どっちが好き? 」

「えっと、俺は……」

「じゃあじゃあ! ポニテとかかわいいよね!」

「……ああ」


 黄色いシュシュも、ポニテという髪形も花雲の特徴である。

 言葉の裏に「その子が可愛いよね」という同意が潜んでいる。彼女らが意識的にやっているのか知る由もないが、慧悟が言葉を濁すのも頷ける。肯定も否定も安易にできまい。

 やがてその攻防に疲れたのか、慧悟が突然遮るように声を上げた。


「ごめん。俺、そろそろ弁当食いたいんだ。腹が減ってさ……」


 そう言って、右手を腹に添えて空腹だというサインを示した。それに女子たちは秒で食らいついた。


「あ、じゃあ! 一緒に食べようよ」

「私たちのおかず、分けてあげよっか?」


 だが慧悟はそれも読んでいたのか、すでに学食で購入済みのパンを袋ごと鞄から取り出して彼女らに見せる。くしゃりと袋が鳴る。


「悪い、少し雄馬ゆうまと話したいことがあってな。俺らは男子同士、お前らは女子同士で楽しく食べようぜ」


 そう言って、ちらりと僕の方に視線を送る慧悟。一瞬だったが、ごめんと謝っているような感じの表情だった。


「ええー」

「あたしたちと一緒の方がぜったい楽しいよぉ!」

「あんなやつよりさぁ……」

「また今度誘ってくれると嬉しい。ごめんな」


 彼女たちからの不満をさらっと流し、あくまで荒事は立てないようにと場を離れてくる。そして僕の近くの席を僕の席に寄せると、椅子に座るなり小さくため息をついた。腕で表情を隠し、悟られないように。


「大丈夫?」

「これは相当めんどくせぇ……」


 持ってきた袋からさっそく焼きそばパンを取り出してかぶりつく。相当腹が減っていたのだろう。ほとんど咀嚼そしゃくなしで頬張り続けた。そして、彼女らから見えないように口元を隠してささやく。


「わりぃ。それと、ありがとな」


 短い謝罪。あの状況から抜け出すのに僕を利用したことについて謝っているのだろう。これくらい別に構わないのに。僕としても、慧悟と一緒に会話をしながら昼食を摂れるのは楽しみの一つだから問題ない。

 まぁ、慧悟には言わないけどね。

 僕も叔母さんに作ってもらった弁当箱を広げて、いただきますと合掌する。


 叔母さんは瑞葉みずはのついでに作ったなんて言ってくれるけど、頂けるだけで本当に嬉しいものだ。毎朝早く起きて弁当を作るという行為はやってみた時に大変さがわかる。

 僕も何度かやっているけれど、三日坊主もいいところでほとんど続いたことはない。だいたいはコンビニで買ってきたおにぎりかパンで済ませてしまうのが関の山だ。

 文化祭についてクラスで話されている実行委員や係決めについての相談を慧悟と交わしながら、食事を進めていく。

 そして、ふと視線を感じた。

 じっとりとした、悪意を感じる、嫌な視線だった。

 その方向を向いたとき、一瞬だが相手と顔があってしまった。そして、すぐに逸らされてしまう。


「……」


 言うまでもない、先ほどまで慧悟と会話をしていた彼女たちの視線だ。

 おおかた僕をにらむ理由なんて、一つしかない。だけど、それを解決するには誰かを確実に傷つけてしまう可能性がある。


「どした? 雄馬」

「いや、なんでもない。なんの係にしようかなって」

「美化担当とかどうよ。案外楽そうだぞ」

「いいかもね」


 黒板の方に視線を送り、慧悟に話題を振りなおす。

 これは大きな問題になる前に解決した方がいいかもしれない。だがこれは僕の問題ではないのだ。慧悟がかたをつける必要がある。

 その手助けくらいはしてあげようとそう思いながら、ひょいと唐揚げを口に入れて噛み締めたのだった。

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