第52話 突き出された銀色のもの

 涼しげな薄水色ののれんをくぐる。

 僕たちが入店したのがわかったのか、店の奥から出てきた三十代のほどの男性店員に誘導されるがまま席に着いた。 

 表とは違って店の中には数人しかおらず、食器やグラスのかつく音が時々鳴るなかでほとんど会話らしい会話は聞こえなかった。

 店員は二人分の水をテーブルに置くと、一礼だけしてさっと奥へ引っ込んでしまう。注文が決まればベルで呼べということなのだろうか。それにしては呼び鈴が見当たないのだが……。

 席についてから店内を軽く見渡す。

 七十ほどの年老いた女性が二人向かい合ってお茶をしていたり、四十くらいの男性がさらに奥の方の席にノートパソコンを広げて、何かしらの作業をしているくらいだった。

 その男性は僕たちが入ってきた時にちらりとこっちを見ただけで、すぐに作業に戻っていた。黒縁の眼鏡をくいっとかけなおし、手元のコーヒーか何かを口に含む。あまり干渉してほしくないのか、店員すらも彼の方に行く気配もない。


「見てください! この抹茶小豆特盛はすごいですよ!!」


 智恵ともえがテーブルに置かれていた小さなお品書きを見せてくる。そこにはやけに達筆な字のフォントで十余種類ほどのメニューが載っていた。その中で一番高いのが智恵の指差した食べ物だった。

 その値段に口がひきつるのを感じながら、他の食べ物を見ていく。

 宇治抹茶やミルクのかき氷。白玉と小豆。ソフトクリームなど、甘味と言えば想像しやすいものだろう。

 結局僕はアイスココアを一杯だけ頼むことにした。旅館を出てから何も口にしていなかったが、暑さからのどが渇いていた。智恵の方はアイスカフェモカに加え、巨大なかき氷を注文した。もちろんトッピングは抹茶小豆である。

 トッピングだけで五百円もプラスされるのはここでは普通なんだろうか。それともその価格にあった分の小豆が乗せられるのだろうか。

 だとしたら五百円って相当な量になりそうなんだが!

 待つこと数分。先にドリンクが運ばれてきた。

 小さな木のコースターに乗せたドリンクをテーブルに移動させると、店員はまたすぐに小走りで奥に戻っていった。

 さっきから見ているが他に働いている人はいないのだろうか。


「んん、おいしいですね!」


 のどが渇いていたのか、智恵はすぐにカフェモカを口にしていた。僕もならってココアを一口飲む。


「……ふぅ」


 一息つく。

 暑さから体が解放されたからか、さっき感じていたわずかな緊張感が解けたのかほっと息が漏れる。


「………」

「………」


 お互いに沈黙する。

 なんか間合いを探る剣士みたいな。

 こういう時は何を話したらいいのだろうか。部室にいるときは嫌でも会話のネタがあったし、なにより慧悟たちがいてくれたから話すということに困ることはなかった気がする。

  思えば智恵と二人きりなんて初めてだ。

 勉強会の時はそういった建前があったが、こうして目の前に座って話すことはなかなかない。教室でも慧悟以外のクラスメイトとほとんど会話のない僕にとって、誰かと向かい合うというのは慣れないものだった。

 それよりデートでは何をしたらいいのだろうか。

 事前に調べておけばよかった。

 彼女を笑わすためのジョークなんて持ち合わせていないし、それほど会話に自信があるわけでもない。

 ただじっとコップに視線を落とし、時折彼女の方を窺うだけだった。

 そんな空気を察したのか、智恵も僕に合わせて沈黙を選んでいた。

 無理に会話するより、二人だけのこの時間を味わう。

 まったく違う性格の僕らなのに、なぜかこの時間が心地よかった。

 ココアを一心に飲んでいたせいか、いつのまにか無くなっていることに気づいたとき、ちょうど店員がかき氷を運んできた。

 メニューの説明はせずに静かにテーブルに置くと、一礼だけして去っていく。

 それを見た智恵の表情が一気に変わった。


「待ってましたぁ!! 店員さんありがとうございます!」


 だが、その声に反応は無かった。

 わくわくした表情でスプーンを握りしめる智恵。……もしかしてさっきまで沈黙していたのは、ただかき氷を待っていただけなのか。

 僕の勘違いだったのか……?

 ちょっと痛い奴、みたいになってしまう。いや、みたいなじゃなくて、完全に妄想野郎なんだけど。


「~んんっ! おいしいですよこれは!!」


 キラキラと目を輝かせてかき氷をほおばる智恵。

 そんな様子を見ていると、自分の勘違いがどうでもよくなってくる。 

 くだらないことを考えていた自分に苦笑してしまった。


「雄馬くんも食べませんか? ほら」


 智恵が唐突に一口分をすくったスプーンを僕の口元へ向けた。


「え? いや……えっと」


 突き出されたスプーンに完全に戸惑ってしまった。

 だって、そのスプーンは……さっきまで智恵が使っていたわけで……。僕が使ってしまうと……アレになるわけで……。

 え、食べなきゃダメなの?

 それとも意識しているのは僕だけなのか? 僕の方がおかしいのか!?


「どうしたんですか? 雄馬くん、ほら」


 決してあーんと言って食べさせるわけではなく、あくまで僕の方から食べるようにしている。

 その突き出した手はわずかに震えていた。

 そこで僕はあることに気づいてしまった。


「もしかしてこれは二人の入れ知恵?」


 若干やっている本人の顔が赤くなっているのに気付き、来るときにあの二人が智恵に耳打ちしていたことを踏まえて鎌をかけてみた。

 もしや、と思ったが、それは当たっていた。

 あっさりと智恵はネタ晴らしをする。


「バレちゃいましたか……。私もかなり緊張したんですけどね」


 ふふふとおかしそうに笑っているが、さっきから突き出しているスプーンはひっこめられる様子はない。

 反対の手で口元を隠し、冗談そうに目を細めて見せる。


「……でもできれば食べてほしかったなあ、とは思ってましたよ?」


 そう言いつつ、再びスプーンを僕に突き出してくる。差し出されて時間の経過しているかき氷だ。少し解け始めている。スプーンから垂れた水滴がテーブルに落ちた。


「溶けてちゃ仕方ないよな」


 誰にでもない言い訳と共に僕はそのスプーンを口に含んだ。

 冷たい感触が口の中に広がる。ほのかに抹茶と小豆の甘い風味がする。

 二人共の顔が同じように染まっていることに気づいたのは、誰もいなかった。

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