知恵と義眼と好奇心

第15話 僕へのお礼はその笑顔

　あのことが起きた翌日。

　僕はいつも通りなにもなかったように登校した。これで終わったのだ。そんな達成感は僕をどこか誇らしくさせる。ちょうど玄関で靴をはきかえている慧悟（けいご）と会った。

「あれ珍しいね。いつもなら自転車でギリギリに来るのに」

「今日は帰りに雨降るっつーから、バスで来たのさ。それにいつも自転車なわけじゃあない」

　僕は同じように靴をはきかえて教室まで歩き始めた。

「てかよかったのか？」

「何が」

「昨日の話だよ。部長が誘ってたじゃん」

　慧悟の言う通り、助けてもらったことに関してお礼がしたいと彼女は言ってきた。しきりに頭を下げて感謝を述べていたが、どうにも僕はそれが違和感でしかなかった。

　僕が彼女を助けたのは僕なりのけじめでもあった。もともと彼女には事故に遭う未来などなかったのかもしれないのだ。それを僕が義眼でその未来を視てしまったことで、この件が確定してしまったのだとしたら……それが事実だという証拠はないけれど、その線もぬぐい切れない。そうなると、僕は恩人であると同時に殺人鬼にもなりうる。

　完全にマッチポンプじゃないか。

　そんな考えが頭から離れず、彼女のお礼を丁寧にお断りさせてもらったのだった。

「まあお前が言うならそれでいいのかな」

　慧悟はなにかに納得したかのようにうんうんとうなずいた。

　　　　　　　　　＊＊

　四限目の終了のチャイムが鳴ると、教室はせきを切ったようにやかましくなる。みんなは昼食の準備を進めるなかで、僕は一人で授業のノートをとっていた。

　別に授業の進度についていけず、焦りながら黒板を板書しているわけではない。ただ暇をつぶすための作業だ。授業が終わった今、トイレに行けば混んでいるし手を洗うこともままならない。だからこうして特にまとめる必要もないのに、黒板とノートに視線を交差させて手を動かしていた。

　こうしてみんながご飯を食べ始めてから完全に空いているトイレに行くようにする。僕がシャーペンを握り直したその時、

「あ、あの、櫟井（いちい）くん。誰か呼んでるんだけど……」

　クラスの誰かが僕に声をかけてきた。

　誰かが僕を呼んでいるという。それはいったい誰だと言うのだろうか。唯一接点のある慧悟は既に購買に行ってしまっている。クラスメイトで他に僕に用がある人なんて……。

　そんなことを考えながら自然と指が指された方を向くと、そこにいたのは昨日助けた彼女だった。僕と目が合うと、手を振ってニコニコと笑う。

　僕はどこかほほが熱くなるのを自覚しながら廊下に出た。彼女と再び会うのが嫌だったというかは、クラスメイトの誰かに見られていないかということが気になってしまった。

「えっと、お礼の件は断ったと思うんだけど……」

　きっとまたお礼をしに来たのだろう。そう思って先手を打った。というか、よく僕の教室がわかったな。

「それはわかってますよ。櫟井くん」

　あれ名前教えたっけ？

「あなたのことは慧悟くんから聞きました。同じクラスなんですね」

「え、あ、うん」

「私は才条智恵（さいじょうともえ）と言います」

　彼女は唐突に自己紹介を始める。名前を名乗るのと同時に綺麗なお辞儀をしてみせた。その姿がなんとも様になっていて、どこか名家のお嬢様を想起させる。いや、実際にそういう身分の人間とは会ったことはないのだけど、そんなことを思ってしまった。

「私はあなたに興味がわきました。とりあえずお昼、一緒に食べませんか」

　手に持ったお弁当を胸の位置まで上げて、その存在をアピールさせるように少し揺らす。彼女は笑顔のままそう言うのだった。