第3話 僕と友達と関係性
あの気持ち悪い
未だに慣れない。あの義眼が突如として映す光景に。慣れたくないという、拒否反応かもしれないけれど。
ひとしきり便器とにらめっこして少し落ち着いた僕は、いつものクラスへと向かった。
早めに家を出ておいて正解だったな。寝坊でもして家を飛び出していたならば、ホームルームが始まる頃にはまだトイレにいただろう。
席について鞄を机の横にかけた。
早めに学校に来たからと言って、特にすることもない僕はそのまま目を閉じて、意識を暗闇の中に置いた。みんなや先生が来るまでまだ時間はある。僕はずっと今朝のことを考えていた。
「あの近辺で少女が事故に遭ったのを聞いたことがない以上、あれは未来のことになるのか……」
僕が視ることができるのは、大きく分けて過去・現在・未来の三つだ。同じ場所で数年前まで遡ることができる過去。これから数分先のことや、今現在別のどこかで起きていることを視れる現在。そして、数時間後から数年後まで見通せる未来。
もう一つ情報を加えるとすれば、僕の経験上未来に関しては絶対不変ではないということだ。
「にしてもトラックか……」
あれを視てしまった以上、このまま見過ごすという選択は取ることはできない。いや、したくないのだ。人が交通事故に遭うことを知っておきながらそれを黙って見過ごせるわけがない。正義のヒーローのような大それた人間ではないが、僕にも譲れないものがある。
「さっきから何独り言ブツブツ言ってんだよ。そんなんじゃ誰も近寄ってこないぞ?」
「初めから僕に話しかけてくる人なんていないよ……」
ポンと後ろから僕の肩に手を置いて、声をかけてきた。誰かなんて考えるまでもない。このクラスにおいて僕に話しかけてくれる人物はただ一人だけだからだ。中学の時からの付き合いで、同じ高校に進学して同じクラスになった
担いでいた軽そうな鞄を僕の隣の席に置くと、さっと椅子を引いて座った。まだその席の子は来ていないからか、ずいぶんとくつろいでいた。
慧悟には僕のすべてを話している。中学二年の時に両親が事故で他界したこと。その後に赤い義眼を所有したこと。病室に通いに来てくれた慧悟だから、僕の苦しみをわかってくれると思って話をした。
「そういや、今日って英単語のテストあったっけ?」
「うーん、どうだろ」
考え事をしていると会話の中身も頭に入ってこず、曖昧な返事を返すだけになってしまう。中学の頃は退院して学校に戻ってきたとき、僕の眼を見た友達はすぐに距離を置いた。まるで奇妙なものをみるかのように、一歩離れたのだ。この赤い義眼のせいで、僕は周囲から孤立してしまった。それでも慧悟だけは卒業までずっと話しかけてくれた。
僕にはみんなの目の色が視えたんだ。恐怖、困惑、奇怪。そんな色が多かった。高校に入ればそんな差別なく友達ができると思っていたが、そんなことはなかった。
担任の先生は事情を把握してくれているけれど、クラスのみんなが僕のことを知っているわけじゃないのだから、当然と言えば当然だった。他の中学から進学してきた同級生は皆、一度は僕の顔を見て困惑した表情を浮かべ、次にひそひそと話すのだ。面と向かって聞く人はいなかった。
だからこそ慧悟には本当に感謝しきれないくらいに助けてもらっている。このクラスで独りぼっちにならなかったのは、慧悟がいたからだから。
そして唐突に慧悟は言った。僕の顔を見ることはなかったけど、ただ何でもない普通の会話をするかのように、いつもどおりのトーンで口を開いた。
「まーたなんか視たのか?」
「…………ッッ!?」
少し頬が引きつったのが自分でもわかった。伏せていた顔を思わず上げてしまい、慧悟と目が合う。穏やかな笑みを慧悟は浮かべていた。はは。さすがだ。顔に出していたつもりはなかったのに。
「慧悟にはかなわないね……」
「まあ長い付き合いだからな。ちゃんと俺にも言うって約束しただろ?」
本心を言えば、僕としてはこの大切な友人をあの事故に巻き込みたくなかったのだが。今思えば僕はあの件をどうにかするので悩んでいたのではなく、慧悟に話すかどうかで悩んでいたのだろう。そんなことを思い知らされた。
「この時間ならまだ人が来るのは先になりそうだな」
そう言うと左腕に着けている銀の装飾がある黒色の時計をちらと見て、廊下の方に視線を移した。講義棟と課外棟をつなぐ渡り廊下にはまだ数えるほどしか制服は見えなかった。
外からは元気の塊のような野球部の声が聞こえてくる。
窓には太陽の光が反射して鏡のように二人の姿を映し出していた。
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