第5話
「え!?住野よる知らないの!?」
思わず発した言葉が思った以上に響いたここ横浜駅の近くの本屋は海も見れて、なおかつゆったりとした私の極めて少ないお気に入りスポットのうちの一つだ。
「え…この人、有名なんですか?」
「うん、凄く。というか最近の子は逆に住野よるぐらいしか知らないかと思ってた。最近映画化までされてるじゃん。」
「…ありましたっけ?」
「うーん…まぁ知らない人もいるだろうけど…でも君はちょっと本に疎いというより…なんだろ…情報から離れてる?周りへの関心が薄すぎる?なんて言えばいいのかな…」
「そんなやばいですかね…」
「だってさっきも、最近話題の芸能人がモニターに出ても、誰…?みたいな反応だったじゃない。私でも知ってるぐらいだよ。」
「名前は知ってるんですけどね…顔と一致しないんですよ。だから顔だけ出てこられても、ぬん?って反応しか出来ないです。」
「…君を見てると私の父親を思い浮かべちゃうよ。」
柳田くんが社会への関心に薄いのは分かってたけどあまりにも薄い。
これなら健康食品のプリンの方がまだ味が濃い。
読みやすいのにしないと目次を見ただけでもほっぽり出してしまいそうだ。
「基本、映画化してる本はオススメかな。やっぱりメディアによく出る本は基本、読みやすいよ。全部が全部ってわけじゃないけどね。」
「松田さんは普段、どんな本を読んでるんですか?」
「私もぶっちゃけそんなコアなファンでも無いから普通の本だよ。映画から興味持って読むのが一番多いし、何より分かりやすいに越したことはないって思ってるから。」
「うーん、なんていうかいつもなんですけど多すぎて興味が薄れることが多いんですよね。料理で例えるなら、よし!始めよう!って思ってもオムライスとかハンバーグとか色々ある中でどれから作ればいいのかで悩んで、それで結局辞めちゃうんです。」
「うーん、君はちょっとファーストコンタクトが大きすぎるんじゃないかな…身近なものからコツコツとってよく言うけどあれは本当だと思うよ。とりあえず、目に付いたものから…これを繰り返せば自然と生活の一部になってるよ。」
柳田くんは感覚的に豪快といったイメージがある。野球で言うならフルスイングか空振りの三振。そんなイメージだ。
ただ、これはあくまで予想だけどきっと心は繊細なんだと思う。大きなガラス細工のような…触れただけで壊れてしまいそうだ。
「とにかく、パッと目に止まったもので良いと思う。一目惚れって案外、馬鹿に出来ないよ。」
少し頭を掻きながら周りを見渡していた。
一目惚れって簡単そうで意外と出来ない。
馬鹿に出来ないと言ったのはそれが理由。
「うーん…これですかね…」
そう言って手に取ったのは森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』
これだけでなく、別の作品も映画化されている有名な作家さんだ。
なにより、私はこの絵の挿絵を担当する中村佑介さんが大好きだ。
「この表紙、多分音楽の教科書を書いてる人と同じです。」
「中村佑介さんね。音楽の教科書にも載ってるのか…謎解きはディナーのあとでって知ってる?それの表紙も中村さんだよ。」
「それはなんか知ってます。有名な人なんですね。」
内容も濃く、独特な表現が多いこの作品は何度読んでも飽きないため初心者にはもってこいだ。
新たな文化へ手を伸ばす時、多くのものを求めてしまい、結局挫折してしまうことが多い。
インターネットで本を買うのに難航するのはそういうことだと思う。
多すぎる故、何から見ようか悩んでしまう。
制限が逆に自由を産むことだってある。
まずは一旦、手元から、それが大切だ。
近くのカフェで休むことにした。
松田さんはコーヒー、俺はキャラメルフラペチーノ。コーヒーの方が早く出来上がるから松田さんには席を探しといてもらう。
普段と違ってなんだか松田さんが楽しそうにしている。解放感からだろうか、ならば今が身の上話を聞くチャンスじゃないか…?
「柳田くん、こっちこっち。」
「やっぱ日曜だから混んでますね…」
「たまたま二席空いててよかったよ。」
「そういえば…松田さんはどうして本が好きになったんですか?」
「創作物はもともと好きなんだよ。意見を抽象的にしたのが作品だからね。言葉なら一文字一文字、絵なら一筆一筆に意味が込められてて、無駄な作業なんてひとつもない。私は色んな人の意見を取り入れたくて読んでるって感じかな。」
「意見か…俺は本も映画も見ないし読まないから意見が自分中心になりつつあるのかな。」
思い返せば創作物を自ら読もうと思って読んだ記憶があまりない。読んだとしても国語の授業や夏休みの宿題でどうしてもって時だけだ。
だからかいつの間にか視野が狭まっているように感じる。閉塞的な自分の世界に閉じこもって、どこにも無い答えを探し続けている。
あ…でも漫画ならある。と言ってもサッカーのだけど。
「でも…漫画なら読んでましたよ。サッカーの漫画なんですけどね。」
「…漫画?」
数秒間、松田さんの表情が変わった。
俺はこの人の事も、この世のことも何も知らない。だから根拠とかはないけど、その瞬間の表情、まるで虐待を受けた子供が一瞬見せた表情のような、もしくは産まれたての子猫が大きな犬に吠えられ、怯えてるような、
そんな顔をした。
周りの笑い声がよく響く。
LINEの通知のバイブレーションの音で我に返った。
「あ…もう行こうか、時間もあれだし。」
「あ…はい。」
エスカレーターに乗ってる間、さっきどうしてあんな顔をしたのか聞けなかった。
いや聞いちゃダメなんだと思った。それは仲の良さとか一緒にいる時間とかそんなものは関係なく、聞いたら必ず何かが壊れるからだと悟ったからだ。
今はとりあえずそっとしておこう。
それを壊してまで聞きたいと望むその日まで、今はただ待ち続けよう。
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