レイヤー

𣘺本 慶

レイヤー

今年も盆が来た。

アスファルトが溶けだしそうな程暑い日差しの中、俺は「彼女」に会うために帰省する事にした。


故郷から遠い所に住んでることもあり、電車を使わなければ帰れない。

俺は帰省ラッシュで混みかえる車内を想像して憂鬱になった。


切符を買い、改札を通る。

駅のホームは想像通り帰省客でごった返していた。

こりゃ座れなさそうだな、とすぐに諦めがついた。

立ったまま三時間程度揺られなければいけないと考えると、さらに気分は沈んでいった。


「まもなく三番線に列車が参ります。危ないですので黄色い線の内側までお下がりください」

ホームにアナウンスが響く。

帰省客はぞろぞろと線の後ろに下がりだした。


緑色の電車がホームに到着した。重い足取りで電車に乗り込む。


俺は彼女に会うため帰省しているのに

運命が俺たちを引き剥がし、毎年毎年、会うことができない。

磁石がお互いを退けあう、ちょうどそんな感じだ。


会えないと分かれば会いたくなる。


都合があり、一年に一度しか帰省できない。

その一度に会えないから俺の中の「会いたい」は年々大きくなるばかりだ。


俺はおかしくなりそうな程

彼女を求めていた。


「なんでだろうなぁ」


頭を冷ますつもりで呟いた。

ちょうどその瞬間、電車が出発した。

まるで俺の言葉が引き金になったようだった。



「もしもし、お兄さん」


前に座っていた知らない老人に声をかけられた。

眼鏡をかけ、スーツを着、ハットを被っている。いかにも「紳士」という言葉が似合う老人だった。


「あんた、やめなさいよ」


老人の横に座っている女性が、老人を小突いた。

こちらの女性も落ちついて気品があった。

二人は夫婦らしい。


「お兄さんも、帰省するんだよね」


「えぇ。まぁ」


「私達も帰省するんだよ」


老人は顎髭を摩りながら言った。


「と言うより、この電車に乗ってる人はみんな『故郷』に帰省するんだろうけどね」


「まぁ。そうですよね」


「私達の故郷では孫が生まれたらしくてね。今日初めて見るんだよ」


「それは楽しみでしょうね。お名前はなんて言うんですか?」


「大智。『大きい』の『大』に『才智』の『智』」


先程の夫人が答えた。

さっきは老人を小突いていたが、孫の話になると頬が緩んでいた。


「良い名前ですね」


俺はまだ話に付き合わされるのか、と思いながらもできるだけ愛想良く言った。


「なんせこんな所に住んでるもんですから。今年の帰省が楽しみでね」


老人は笑って言った。


「お兄さんも、家族に会いに行くの?」


夫人が微笑んで尋ねた。


「いえ、幼なじみに会いに行こうと。ただ…」


「ただ?」


夫人と老人が同時に繰り返した。


俺は一息つくと、喉に刺さっていた小骨のような違和感を飲み込んで答えた。


「…死んでいるので」


目を背けていた事実と、叶うことの無い「会いたい」に押しつぶされそうになった。


「あぁ、そうか。そうだな、すまない。……私達も浮かれていたよ」


「そうね……ごめんなさい」


老人も夫人も、触れてはいけない部分に触れたと分かったのか、大人しくなった。


「いいんですよ。お陰でやっと、向き合う事ができました。…里に着いたら、まずお墓に行きます」


夫人が、少し悲しそうにそうね、と言った。


俺はこの気まずい沈黙の空気から逃げるように、車両の隅へ移動した。


もうどのぐらい揺られただろうか。

二時間。いや、一時間半か。

腕時計を見た。

悲しい事にまだ一時間程度しか経っていなかった。


溜息をつくと窓の外を眺める。

しかし走れども走れども同じ景色が広がるだけだった。

物理的な距離が縮まるのと反比例して俺と彼女の距離は段々開いていくような、そんな焦燥感に襲われる。


目を瞑った。

懐かしい記憶が瞼の後ろで広がる。


俺は幼い頃、よく彼女に虐められた。

確か、小学四年生の頃だったか。

一度だけ小さな反撃をしたことがある。

彼女と喧嘩した後


「千紘なんか大嫌い!もう友達やめる!」


と言っただけ。

その小さな反撃は、思ったより大きく運命を分けた。


「ごめん、凌平。ごめん。嫌いにならないで」


そう言って可愛らしい顔が涙で濡れるのを見た。

何故だか胸がきゅっと苦しくなった、あの時だ。

彼女を好きなんだと自覚したのは。


「…はは。馬鹿だなあ」


俺は吊り革を握りしめた。

無理にでも気分を切り替えないと、涙が溢れそうだった。


そうだ。

とりあえず墓に行ってから、彼女の家を訪れてみよう。

会えないなら会えないなりに楽しもう。

そうやって笑ってみた。


列車がトンネルに飲み込まれ、俺の顔が車窓に写った。無理に笑った顔は、どこかしこも歪んでいた。



それからどれだけ時間が経ったろうか。

車掌からのアナウンスが入った。


「終点、うつしよです。お忘れ物のないようにご注意ください」


妙に野太い男の声は、右耳から左耳へするりと抜けていく。「うつしよ」という懐かしい名前だけが俺の耳に残った。


「うつしよ駅」に着いた乗客達は荷物をまとめ、ぞろぞろと降りていった。

先程の夫婦も俺と目が合うと、ぺこりと会釈して電車の外に消えた。


電車から降りるとそこには懐かしい景色が広がっていた。

俺は故郷の匂いを吸い込み

もう二度と蘇ることの無い思い出をなぞった。


小学校の裏山。

嫌がる彼女を連れて、ここに虫を取りに来たっけ。

小学校の向かいにある寂れた公園。

ここで花火をして、管理人に怒られたっけな。

…そして廃校になってしまった小学校。

ここの四年二組の教室で、俺は彼女を泣かせた。


「悪かったな。千紘」


小学校に向かって呟くと、墓地に向かい歩き出した。



「ここ、だな」



俺は墓の前に立っていた。

誰が置いたのか、墓には空を見上げる精霊馬と精霊牛が居た。暑さのせいなのかどちらも傷んでいる。


「…千紘。今日も、会えないのか」


目に溜まった涙を拭い、墓石に刻まれた名をしっかりと見た。

変えようのない事実を目にし、絶望した。

会いたい。その想いが胸の中をぐるぐると駆け回っている。


するとその時、後ろから懐かしい声が聞こえた。


「凌平、ごめんね。帰って来たんだよね」


俺は驚いて後ろを振り返った。

そこには彼女がいた。


「向こうに行ってから、もう三年か。長いよね」


「…そうだよ。三年だよ」


「なんで凌平だけ先に行っちゃったのよ。私、一人でこっちに残ってるの、寂しいよ」



「…ごめん。本当にごめん」




「私、毎日お墓参りしてるんだから」




彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。



「…ごめん」



これが、俺と彼女が「会えない」理由。



俺は死んでいる。

俺と彼女はいる世界が違うのだ。


俺がいる黄泉の国(よみのくに)と彼女がいる現世(うつしよ)は盆の日だけ重なり合う。

しかし、互いに干渉することは出来ない。


亡者の世界と生者の世界。


それはコンサートホールと図書館みたいな、そんな対局の存在だからだ。



……いや、レイヤーだ。

レイヤーが違うと言った方がいいかもしれない。




レイヤーが違うと他の線に干渉する事ができないよう

俺は彼女に触れられない。

彼女も俺に触れられない。



レイヤーが違うと彼女の何もかもが愛しくなる。

俺は彼女の声を聞けるのに

彼女は俺の声を聞けない。

駄目だ。

目の前に居るのに、会いたい。

触れたい。

言葉を交わしたい。



「会いたいよ」


俺が漏らした言葉は当然彼女に届かない。


「会いたい」


彼女が呟く。

蝉の声が木霊する中で彼女の言葉だけが俺の世界に響く。


「「会いたい」」


二人の声が重なった。



そうしてこの残酷な世界が

俺にもたらした状況を噛み締めさせるように

彼女の口から

どんな重い罰より苦しい言葉を吐かせた。



「ごめんね」






「今日も、」













「会えないや」

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