{茶々との縁、九州征伐、使用人たち}

第20話 「淀君」と呼ばれた姫



 空から降り注ぐ光が、さざなみに落ちていく。見つめる少女の眼差しは、はじめてこの戦国乱世で見た、

 一番美しい幻に似ていた。

 

 静かな瞳孔の下で、何かをじっと堪えている。

 


 「朝子さまは…」


 何かを言い掛けて、少女は辞めた。光は、彼女の眼差しを照らし続けた。

 



 ▽



 「浅井の姫」はお年はまだ一七だと言うが、背が高く、落ち着いた物腰からか、ずっと大人に見えた。

(現代人と比べると、体は小さくてもこの時代の人は十代でもかなり大人に見えるけど…)

 白粉化粧のせいなのか、子供でいられる時間が短いからなのか…


 後見人であるおね様・竜子様に頼まれて姫様のお城勤めのお道具を揃えに城を出たが、賑やかな喧騒の中でも姫のお顔は晴れないように見えた。


 「あ、これは…!」


 雁金屋かりがねやという店に入ると、奉公の少年が慌てて奥へ引っ込み、私たちを座敷に通した。


 「姫様…!見違えるように大きくおなりになって…!」


 奥の間には店の主人が待っていた。主人は姫様に深く礼をとる。


 「ああ、妹たちも息災じゃ。二人とも嫁にいき、私は京極の従姉妹様のもとへ上がることになった。」



 雁金屋の主人は、姿こそ商人らしい洒脱な道服を纏っているが身のこなしに全く隙がない。

姫との会話から、旧知の間柄であるようだ。


 「藤堂夫人、こちらは尾形殿と申して昔の浅井の家臣であったお方じゃ。」


 「藤堂…貴女様も浅井の由来でございましたか。髷を落とし武士を辞めましたが、これからもお力になりとう存じます。

どうぞ、ご贔屓に」


 朝子は曖昧に口角を上げるにとどめた。

…なるほど。

 豊臣家は政権の強化のために、畿内の有力者であった京極や浅井の散り散りとなった家臣の力を必要としている。そして、大阪の奥御殿にこの姫もお迎えなさるのだろう。

 (こんな少女が、政治に利用されるのか…)

 乱世において感情や養育などは二の次で、

命と家名の方が重いと学んでも、

朝子にはやはり納得し難いことだった。

 


 「よいお衣装でした。ありがとうございました」


 「いえ。姫様が大阪城でお心やすく過ごせますように…お手伝いができて嬉しゅうございました。」


 背が高く、鋭角的なお顔立ちの姫様に似合うように、茜色に大柄を配したものを選んだ。

 それにしても、人々が身だしなみに気を使う余裕が出始めたんだと並べられた小袖や反物を見て思った。

十二単を簡略化した様式でただ小袖を二、三枚重ねていた頃から、明らかに柄や色合わせが進化している。

 教科書で見たような、華美な鹿子しぼりや縫箔や染めの秀逸な着物に目が眩むほどだった。

 そしてそんな大柄な衣装は、この姫様によく似合うだろう。


 「藤堂夫人…そなたは、母上様にお会いしたことがあったのだったな」


 「はい。恐れながら」


 「そうか。ご夫君は、小谷の籠城の際にも戦ってくれたとか…

厚かましいですが、なんだか縁を感じます…」


 姫様は、ちらりとこちらをみて、恥ずかしそうに微笑んだ。

凛とした佇まいの方だが、ご気性は正反対のものらしい。



 (…母上に似ているわ)


 姫は、背の高いその“旧臣“の妻に亡き母を重ねた。

彼岸へ渡った時の母よりもずっと若いから、失礼かもしれないが…


(私は、織田や浅井の縁ある方の期待に応えられるのだろうか)

 自分が、母のような器量に欠けることは分かっていた、だから、自分が一番最後まで城に残され妹たちは嫁いでいったのだろう。

 夜も眠れないほど止めどない悲しみや恐怖に苛まれるのだ。

乳母の大蔵卿局などはよく叱ってくる。そんな情けない娘が武家の妻としてやっていけるはずがない…。

 それなのに、大阪城に呼び寄せられる事が決まって、姫はより憂鬱だった。

 だが、この夫人の他の武家女性と違う佇まいと母に似た雰囲気のおかげか、不思議と安心できた。


 (背が高いから?お顔が美しいから?)


 夫人の眼差しは遠い空や深い湖のように透き通っている。


 「姫様…?」


 「少し歩いてみてもよいですか?」


 「はい。もちろんでございます。」


 辿り着いたのは、大阪の民が「茶臼山」と呼び親しむ山の中腹だった。いつも思うのだが、この時代の女性は本当に活発だ…。


「小谷のお城を思い出します」


「姫様、小谷のお城は、山城でございましたか?」


「ええ。

あと、姫様ではなく…父母は“ちや“とつけてくれました。みんな茶々と呼びますが…」


「…私は朝子と申します、…茶々様。」


 ここからは、大阪城がよく見えた。

堀が幾重にも配され、城を取り巻く屋敷や曲輪も、こう見ると巧妙に並べられ、戦争のことは全く分からない朝子にも「攻めづらい」だろうなとわかるほどだった。


  茶々は、その見事な城郭を見下ろしてしゃがみこんだ。


 「朝子さまは…」


 茶臼山から流れ落ちる小川のさざなみに、青空から太陽がきらめいている。


 「戦が嫌いだと言えば、情けない娘だと思いますか?」


 (…そうだ…夕子様…夕子様に似ている)


 「茶々様…」


 「……私は、戦などまことに醜いものに思うのです。

 あの、おぞましさ…

 血気盛んだった兵どもが日を追うごとに意気消沈し膝を抱える様、

 針で突けば爆発しそうな苦しみと、城内に蔓延する血の匂い…

 赤子が泣く、でも、その父は死に、母は首化粧をしていて、抱きあげられる事もないのです。」


 大人に見えても、この方はまだ子供だ。

そして、たくさんの痛みを知った子供だ。


 「…茶々様のお考えは間違っておりません。

だからこそ人はみな安寧を夢見て戦っているのでしょう。」


 「……。」


 私が想像もできない地獄を、この方はもう二度も味わってきた。

 …そして…三度目も…

 

 ドラマや映画で描かれた「淀君」像とかけ離れた少女、この子供が朝子の知る歴史の道を征く姿を朝子は想像したく無かった。


 (なんだかこの方を好きになってしまいそう)


 人に親しみを感じるのに、時間は要らない。二人はしばらく、大阪城を見下ろした。未来には残らない、その美しい城を。




 


 「春が来れば、また出征があるだろう」


 寝室の僅かに開けられた障子から溢れる満開の梅の景色を見つめて、高虎はつぶやく。


 「そうですか…」


 「殿下は西国の…九州、島津氏を征伐するそうだ。」


 九州の島津氏は、雨後の筍のように生まれた『戦国大名』と異なり、鎌倉殿の時代より九州の統治を命じられた血筋正しい『守護大名』である。

 同じく奥州の名門武家らも豊臣家の東国政策に飲み込まれようとしている前夜のことだったから、彼らにどれほど豊臣家への懸念があったかはわからない。

 源平の頃より乱世を生き抜き、後の世で幕藩体制が崩壊するまで土地を守り続けてきた由緒正しい守護大名たちも戦国の荒波の中でもがいている最中だった。

 


 「また遠くへ行くんですね。」


 厚い胸板と鍛えられた腕の間に挟まっていると、この世に怖いものは何もない気がしてくる。色々な言葉を飲み込みながら、朝子はよりきつく夫の体に抱きついた。

横になって弛緩した筋肉の底に、ゆっくりと律動する心臓の音が耳に心地いい。


 「…高虎様、小谷城の戦いは苦しかったですか?」


 「…?なんだ、誰から聞いたのだ。」


 当時高虎17歳。ずいぶん前の事だったし、非常に苦しい戦いだった。


 「浅井長政公の大姫長女様が、今度大阪城に上がられるのです。その方から、聞きました。」


 「なるほど……、ああ、腹が減って、敵わなかった。」


 高虎の心臓が少し早くなる。嫌なことを思い出させてしまっただろうか?


 「浅井の姫様が、豊臣にな…。」


 …あの頃は、そんなこと想像もしなかった。

浅井氏が滅びるなど、織田氏が滅びるなど、そして羽柴様が関白になるなど…


 そして、足軽だった俺が、こうして城を持ち、妻と共に花を見ているなんて。


 

 

 「立派な姫様でした。」


 「そうか…長政公も、人品優れた方だったからな。」


 「高虎様、高虎様も、沢山の苦難を乗り越えてらっしゃったのですね。」


 沢山の傷を撫でながら、こうして見えない痛みを抱えているだろうこの戦国の人々の心を思う。


 —戦は悍ましいもの—


 茶々様のひしひしとした言葉、降り積もった悲しみ、夫の傷跡。神様がいるなら、聞きたいことは山ほどある。でも、その答えを、きっと神様も知らないのだろう。


 



《※》


 新しい茶々を書きたくて、本名を「ちや」と設定してみました。女性人名辞典を調べても、「通称」茶々と呼ばれる方しかいないので、もしかして“呼び名“なのかな?と妄想です…。

 権力欲の強い悪女に描かれがちな淀ですが、この小説の淀は違います。

 よくある気の強い美人ではなく、肖像画からの想像や研究者が言う「大柄な父親似」の容姿をイメージしてます。

 普通の感性を持った優しい女性が家を背負って歴史の渦に巻き込まれる様子を描きたいと思います。


 時代の風潮なのか、昭和のスターの映像も、当時十代でもすごく大人っぽく見えますよね。戦国乱世の人間は体は小さくても、顔つきは大人なのかなとも想像してます。


 いつも閲覧ありがとうございます!

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