第8話 お通と信基



 羽柴筑前守秀吉の正妻、ねねの居室では色とりどりの小袖が広がっていた。

精鋭揃いの織田家中でも一目置かれる羽柴秀吉は「人たらし」を遺憾無く発揮し、

妻ねねにだけでなく女房衆に小袖を贈って来たからだ。


 「お通、そなたまだ若いのだから、このような朱色もよかろう」


 そう、おねがお通に辻が花の赤色地に緑や黄色の梅が散りばめられた小袖を勧めた。


 「私はお方様のように美しゅうございませぬから、赤は童のように見えてしまいます。」


 と、眦の上がった賢そうな目に何の卑下もなく言う少女。

(やっぱり、この子はおもしろい子だわ)

 お通は、肌が浅黒く瞳はぎょろりと大きく、彫刻のようにエラが張り、唇はふっくらと艶やかで、

たしかに「日本の典型的な美人」とはかけ離れていたが…どこか無国籍な風貌が魅力的だった。


 (…私もどちらかと言えば原色や大柄なのは好きじゃないかも)


 この時代の「着物」は現代のものよりも色柄が大きく派手で、さらに都では婆娑羅ばさら者なる斜に構えた若者達が人気で、その流行に衰える兆しは無い。


 「…お通様はお顔がはっきりされていますから、思い切って表の小袖は無地に、中の襲を色柄物にされたら映えるのではありませんか?」


 朝子はお通に常盤色の柳地紋の小袖を主体に、細かい花柄の絞り染めの小袖を下に重ねて着せた。

お通のパーツの大きな顔立ちには、いささか地味にも思える常盤色の小袖が映えた。

そして、様式美に合わせ無理に小さく引いた紅をお通の唇に合わせ、内側からぼかすように塗る。


 「まぁ、お通!これでは嫁取りの男どもが群がろう」


 「お通様は元々魅力的なのです」


 おねと朝子は大人びたお通に素直に感嘆の声をあげたが、お通は鏡の中の「おんな」を不思議そうに見つめるばかりだった。


 「…私よりも、藤堂のお方様こそ、めかさなければなりませぬ。ご夫君が帰参されますもの」


 「そうじゃのう…朝子さん、正月の祝いに小袖をひとつとらせよう」


 おねが目をきらきらさせてそう言うが


 「…私は見ての通りの大女でございますから、世の女性の身丈では、足も手も出てしまいますわ。

お気持ちだけで充分です。」


 この時代は、おはしょりも一般的でなく、奥方たちは引きずるように着ているため、仕立ての身丈は長めではあるが、朝子の背ではどうしても腕が出てしまう。


 「なんと…そうや!小袖を二つ解いて縫い合わせればよいではないか」


 「さすがお方様、それがよろしいですわ」


 お通とおねは朝子を置いて盛り上がり始めてしまった。

でも、女性はいつの世も人のために着飾ったり手助けするのが好きなのだ。

先日まで色々と気苦労を抱えていたねねが楽しそうにしているので、朝子は黙って目を細めた。


 三人の周りは冬の冷気の中でも、ほのかにあたたかく、極彩色の小袖に囲まれた様は車座に花が咲いているようだった。

 





 「…お通さま…あ、これは…」


 書の出来栄えを見てもらおうとお通を尋ねると、部屋には広い袖が特徴的な神官のような服を着た少年がいた。

 二人して、硯の香りを充満させてなにやら熱心に文字を書いている。


 「藤堂のお方様」


 「お通様、ご無礼いたしました。また、日を改めますね」


 「そのような、こちらは近衛信基このえのぶもと様と仰り、まだお若いが能筆家でございます。ですから」


 ちょうど良いです、とお通は朝子を招いた。

 武家の若武者らしい溌剌とした風情と、衣服のせいなのか漂ってくる品の良さが、正反対に同居する少年だった。


 そして、たしかにその手跡は

 真名は豪胆な荒波の如く、お通のなよやかな字とは対のように少年そのものを表すかのようだった。


 「ご簾中れんちゅうさんもご機嫌さんにあらしゃって……って、お通!お主も相当年若であろう」


 張りのある声には見た目よりも気安い心根が出ているようだ。

 聞けば、五摂家に数えられる「近衛家」の御曹司だそうだが、乱世の常か、父前久と共に流転の日々を送っていると言う。まだ子供で、思う事もあるはずなのに、あくまで明るく真っ直ぐな信基を、そしてお通を、朝子は眩しそうに目を細めた。

 どんな世でも、人は自分の舞台を見つけて懸命に生きている。そのことが、朝子には心強かった。


 そしてこの二人 近衛信基と、お通との、

 長きに渡る縁のはじまりでもあった。




 師走といえども、大屋郷の屋敷は義母とら夫人が取り仕切ってくれており、朝子は安土に在って、送られてくる正月の進物を配ったり、様子を教えてもらうといった作業をこなしていた。


 (元旦には門松を用意し、朔日の祝いのために、三献の祝いを…)


 夕子様や幸手局に教えられた有職故実ゆうそくこじつを書き留めた紙に目を落とす


(二つの盃と、一つのカワラケ《素焼きの皿》を用意して、酒は一番上のカワラケだけに注いで…)


 新入社員の時に教えられた名刺交換やら呈茶作業などものすごく簡単だと思える程、やる事に満ちている。

 地方豪族の藤堂家でもこれらの儀礼を簡素ながら守り、毎月朔日には「三献の祝い」を催す。


 大名や公家になると月末三十日の夜から陰陽師を招いて占いまでしなければならないと聞くので、その途方もない日々に勝手にため息が出る。


 それでも、以前の朝子のように「無駄だ」と切り捨てるだけで思考は終わらなかった。


 出陣のたびに、妻は儀式的に盃を夫に捧げ 「生と死の門出」を祝うのだが、


 それが、今では、痛いほどに解る、のだ。


 不安を抱えて去っていく日々を送るには、科学が支配していた世の中から来た朝子でさえも

 神がかり的な儀式を催さなければ、

 耐えられそうになかった。




 

 —天正九年もあと数日というある日、


 「朝子殿」


 戦場の土埃を纏ったままの高虎が、馬上から妻を見つけた。

街道に並ぶ民や妻女たちの中で頭ひとつ大きい事もあったが、そのすっきりした小さな輪郭が、他の誰よりも輝いて見えた。


 「お帰りなさいませ、高虎様」


 涼やかな声に、ああ、帰ってきたのだなと肩の荷が下りる。


 「ああ」


 高虎は短く頷いただけだったが、日に焼けたくっきりした二重瞼がゆるりと広がっていた。



 《※》

 ご簾中…公家言葉で妻の意味。

 

 

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