{戦場への旅立ち、ねねや戦国女性との出会い}

第6話 羽柴の北の方


 太陽は、東からしか登らない。世の真理とは時の流れの上に立ち、永遠不変にそこにある。そうした世の決まり事の中で、人は死に、人は生まれていく。

 

 朝子は考える。考えても、答えは出ない。

いや、答えを出すのが恐ろしい。目を閉じたら全て元通りになっていないかと夢見ては、目を開けて、目の前には電柱も車もない事実に安堵を覚えてしまうのだ。

 


 「さすがは織田公の都、見事にございますね」


 従者の声に、出口のない思考の海から顔を出した。


 朝子は安土へ来ていた。

日本海からの厳しい風と、琵琶湖の冷気が旅で疲弊した体に響く。季節はもう冬に移ろうとしている。


 目的は「主筋」の奥方様に挨拶をするためだった。


 当たり前だが此処にはインターネットや電話がない。

人と親交を深めるには、「人」を使って使者を立てるか、

「物」を送って心を打つかの二択しか無い。

 

 夫の主君、羽柴秀長様の兄上様で主の羽柴筑前守秀吉さまの奥方様から、出陣の見舞いと祝儀をもらったのは数週間前のことだった。夫は陪臣にあたるが封建制の大きな括りで見ると羽柴筑前守秀吉が「主」であり、更にその上に織田信長がいる。


(秀長様がグループ会社の社長で、秀吉様がホールディングスの会長…?いや秀吉様が社長で秀長様が部長…?

…どちらにしても、入社式や社内報で会長の顔は簡単に見れたけどこの時代はそうはいかない…)


 そんな、まさに雲の上の人からの贈り物だったのだ。


 幸手局が届いた長持を開くと、食料や酒、小袖に混じって手紙が入っていた。 


『藤堂室さま

 ご夫君が長く陣中にあり、心中が思いやられます。与右衛門殿は立派な武士でございますから、なんの心配もいらぬことと存じますが、奥を守る貴女の心配は尽きぬことでしょう。つまらぬ物ですが、心ばかりの品物、お受け取りください。また、よろしければ安土のお城にもおいでください。おね』


 流麗な仮名だけの手紙は、朝子には読みづらいが、この時代、女性に送る手紙は「仮名」で綴るのが礼儀なのだそうだ。


 「羽柴筑前守様の奥方様は、高虎様の事もご存知なのですね」


 「はい。御所様は、大変な武勇のお人と、昔から畿内では名の通ったお人だったとか。

すぐにお返事をしなければなりませんね」


 幸手局は硯をとりに出て行った。大身の奥方というのはこのように配下の家中のことにまで心を配り気遣わなければならないようだ。


 朝子は教科書やドラマに出てくる「ねね」という人を思った。

彼女と夫の人生は日本人によく親しまれている。

 (…お会いしてみたい)

そう心から思ったのだ。



 ちょうど近江から但馬へ到着した舅姑の虎高、にこの事を伝えると正月はどちらにせよ主君羽柴秀長にご挨拶をしなければならないのだし、目通りを願ってみてはどうかとの薦めもあり、

 朝子はこうして琵琶湖のほとり、安土城へと向かっていた。



 「奥方様は、女とは思えぬ健脚でございますな」


「そうですか…?」


「私は情けない事に、船酔い気味にございます」


 ため息をつきながら、若い従者は琵琶湖を渡る船の上で空を仰いでいる。


 途中までは輿だったが、近江に近付いたら歩いてみたいと申し出てあったのだ。

この時代の人はそれはそれは「歩く」、一駅歩いてみようと言うレベルではないのだが、現代での球技や水泳、マラソンなどの「体育教育」や船や飛行機に乗り慣れているお陰か、庶民の体の使い方が違うようだった。

 ヒールで毎日オフィス街を歩いていた甲斐があったなと、朝子は久々に背伸びをして空気を思い切り吸った。



 久しぶりに見る、ビルの如く、高く

 大型の天守を持つ、威容を誇る安土城。

 城の一部は琵琶湖にまで接し、独創的な意匠の絢爛豪華な城である。

 襖絵や、欄間に至るまで職人の魂が息づいているようだ。



 幸手局に礼儀作法を叩き込まれたものの、慣れない掻取を纏っての登城は大変に緊張した。


 通された部屋は隅々まで磨き抜かれ、床の間には赤色の椿が雪柳と共に生けられていた。


 「お方様が来られました」


 「北の方様、お初にお目に掛かります…」


 取り次ぎの声に、深々と頭を下げる朝子のそばに

「北の方」様は近寄ってくる。



 …あれ?一畳あけて座り、「面をあげよ」で私が顔を上げて、直接お顔を見ないようにお話…私が座る位置を間違えたのだろうか……心臓が爆発しそうになっていると、高く朗らかな声が頭上から降りかかってくる。


 「与右衛門殿の奥方様でございますな、但馬から遠路遥々ご苦労さまじゃったのう〜、ささ、この茶菓子でもお上がりなさいな」


「は…はい」


 肩をぽんぽんと叩かれて、さすがに顔を上げる、そこには妙齢の女性がいた。優美なお顔立ちなのに、大きめの口と幅広の二重瞼の垂れ目が親しみやすい。


 (この方が……)


 「まぁ!お美しい事!よい縁組でしたのねぇ、あの戦狂いの与右衛門殿も、お家が恋しくなるというもの。」


 「そのような…このたびは、沢山の贈り物を頂きまして、それに、突然にもかかわらず対面の機会まで設けてくださって…」


 朝子は必死に自分の言葉で話した。するすると美しい口上ではなかったが、取っ付きにくそうな見た目に反した、その健気な口調にねねは心をゆっくりと開けられる心地だった。



 「ん?どうしたのじゃ、お通」


 話し込んでいると、北の方様の侍女がなにやら慌てたように手紙を持った下女と話している。


 「奥方様…こちらは、後ほどでも…」


 「よい、藤堂室殿は信頼のおけるお人じゃ」


 さっき会ったばかりだが…と朝子の方が首を傾げてしまいそうだったが、信頼に応えるようにだまっていた。


 「それでは…こちら、姫路殿からの書状にございます」


 “姫路殿“なるお名前に少しだけ眉を潜めた北の方様は書状に目を落とし、呟いた。


《※》

藤堂室…「室」とは妻の意味。

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