第4話 これは交渉じゃない


「間違いない、仲間のものだ」


夜の森はロクなことが起きない。社会通念というやつだ。手持ち無沙汰の時、誰からともなく怪談が始まると、その舞台として頻出するのが夜の森だ。といってもそれは子供同士に限った話で、成長するに伴い下世話なゴシップに取って代わられる。どちらにせよ俺は聞くばかりだったが、仲間内に誰か一人は優秀な語り手がいるものだ。二度と同じ話をせず、惹きつける口上で周りを楽しませる。

彼もそういう人だった。


身元確認用の名札は左胸の内ポケット。修繕中の俺の上着にも、同じところに同様の金属板が入っている。揃いで着ていた竜騎兵のジャケットの重みを膝で感じながら、板の凹凸を指でなぞる。人の形をした衣服。側に隊共通の肩がけ鞄。少し離れたところに鞍と手綱。人と竜だけが溶かされたかのようだ。衣服には血痕も破れた形跡もない。森の一角に案内されたかと思えば、およそ理解できない光景を突きつけられている。しかし、この上着は一年先に入隊したヘクターのもの。俺が寝込んでいる間に日取りが過ぎてしまったが、予定帳に彼と酒を飲みに行く約束があった。


「回収する?」


ランプで俺の手元を照らし、エアは尋ねる。


「いや、これだけでいい。それよりも」


俺は金属板を手に取り、土の匂いの染み込んだジャケットを元の場所に戻した。


「教えてくれ、何をされたらこうなるんだ?」


「森に喰われた。墜とされて地面に転がったところを、下から」


エアはぽつりと言った。試す風でもない、彼なりの事実を語っているように見える。胸ぐらを掴んで問いただしたい衝動に駆られるが、耐える。


「あなた方は感覚的にものを言うから分からない」


食ってかかった言い方で怒りを発散させようとした。情報を小出しにされるのが不快だ。


「……分かったよ。『魔の森』と呼ばれてる一帯。ここは一つの大きな生き物で、侵入者を分解して取り込む習性がある。その目的は内部環境を保つための防衛なんだけど、食事も兼ねてて、養分は地中に蓄えられて全体に行き渡る…。目をつけられるのは、人と、人ありきで存在してる生き物。つまり家畜。ここまではいい?」


「俺たちは格好の餌だったってわけか」


「うーん、餌にもならない!言い方が悪かったね。エアは、吸収された生き物がどこに行くか伝えたかったの。確かに、侵入者を取り込んだ直後の森は普段よりも活気づく。味が良くて肉厚のキノコが一晩で生えてきたりね」


「……キノコ」


「でもそれは人を捕食して機嫌が良いから、余剰を還元してくれてるだけ。この森が環境を維持するためのエネルギーは、外部からの糧に頼らなくても足りてるの。君たちは、餌ではなくて嗜好品だった。カイルは酒を飲むかい?」


「飲まない。でも先輩がいい店を教えてくれるはずだった」


俺は金属板を突き出す。エアは目を丸くし、


「そっか、何だか悪いことをしちゃったな」


琥珀色が炎に照らされて赤黒い。黒々と拡がった瞳孔が哀れな虫のようだ。


「えっと、カイルはここのものを食べてるし、残念だけど彼も君の一部になってるから、ね」


少年は悲しげに目を伏せる。俺を元気付ける意思だけは伝わってきた。嫌悪感に夕食を吐き出しそうだが、こんなところで取り乱せない。見せたいものがある、と連れ出された時に覚悟はしていたはずだ。エアの意図は読めないが、他の隊員の遺体…いや、それがあった形跡だけでも確認するのは必要なことだ、俺の心の均衡のために。余計なことは考えるな。


「じゃあ、次の場所に案内するね」


「ああ、頼む」



俺の手には4枚のネームプレートが集まった。これで全員の安否を確認できたことになる。他の3人も似たような状況だった。残された衣服の形が焼きついて離れない、彼らの最期を想像してしまう。妙だが、4人とも小屋からそう離れていない場所に墜落していたようだ。頭がその意味を考えようとしている。いや。俺は目の当たりにした事実を事実のままに止めておこうと努めた。少なくとも一晩寝てから考えるべきだ。身が保たない。


「君が落ちてた場所も見ておく?近いよ」


最悪だ。観光案内でもするかのような口ぶりじゃないか。


「いや、結構…殉職したのが分かっただけでいい」


「殉職?乗ってきた小型竜もろとも、髪の一本に至るまで分解されたことが?」


いちいち癪に触る。忌々しい。


「そうだ。顔すら拝めなかったのは予想外だが、職種が職種だからな。覚悟はできてた」


俺は無理やり口の片端を吊り上げる。


「上を飛ばれたのが気に食わなかったんだろうなあ。普通は獣に喰われるくらいで、あとはゆっくり分解されていくんだけど」


「何だそれは」


森に意思があるかのような物言いがどうにも受けつけない。穏便に済ませて今日を終わりにしたいのに、苛立ちが声に出る。


「敵意が分かるんだもの。今もそうだよ。どうして自分だけ助かったのか疑問に思わない?君もトカゲくんも」


「は?…運が良かったからじゃないのか、貴方たちにも助けられたし」


不意を突かれた。我ながら滅茶苦茶な回答だ。しかし今、命運を分けたものが何なのか考えるのには耐えられない。


「さては思考放棄してる?無理もないか」


「な……」


「じゃあエアの正体って何だと思う?考えないようにしてるよね?」


突然何なんだ。先輩たちのプレートを握りしめる。彼が何なのか探る意思はあったが、よりによって今とは。夜の森に二人きりの時に知りたくはない。暖色の明かりが照らすのは俺たちの足元のみ。その外側には湿気を含んだ闇が広がるばかりだ。全ての方向…頭上、足元からでさえも敵意のこもった視線を感じる。


「…ここから」


頭に血が上る。怒りが、恐怖と疲労を押しのけた。


「ここから出られるのか?お前の正体を知ったら俺は家に帰れるのか?試すような真似をするな」

     

中腰でエアの胸元を乱暴に掴む。その衝撃でランプが彼の手を離れ転がった。辺りが闇に包まれる。


「困ったなあ」


下からエアのため息が聞こえる。


「配慮が足りてなかったかも。ごめんね?」


エアは首を傾げて、こともなげに俺の顔を見上げているのだろう。容易に想像がつく。この程度で萎縮する相手でないのは分かっていたのに。取り返しのつかないことをした。


「えっと、答えるね。カイルは家に帰れる、帰そうと思った。その話をしようとしたの。だから…下ろしてもらえるかな。爪先立ちはちょっと」


「は……?」


謝るかどうか検討するのも忘れ、彼からゆっくり手を放すしかなかった。視覚に頼れないので慎重に。


「ふう。仲間の死を確認するのは心に負担がかかるよね?だんだん険悪になるのは当然だなと思っていたんだけど。カイルがあまりに気丈だから、加減が分からなかった」


声が足元から聞こえる。続けてぱちん、と指を鳴らす音が響き、暗闇からエアの端正な顔が浮かび上がった。彼はランプを携え立ち上がる。


「これでいいね。暗いと落ちつかないでしょ?」


「お気遣いどうも」


悪意を感じない。エアはこれで気を配っている。


「ここにとどまるのも何だし…戻りながら話そうか。それでいい?」


「分かった」


これ以上歩き回るよりマシだ。答えを聞くと、エアは迷いなく歩き始めた。俺は横に並ぶ。背の低い草を踏んで歩く。木の根が地表に露出しているところに差し掛かるとエアがその都度注意喚起をする。


「でね、カイル。君のことは大体わかってる」


「悪趣味だな、俺が寝てる間に何かしたのか?」


「当たり。家族構成から前期の査定まで。無計画に帰ると居場所がないことも」


「参ったな」


もはや驚く気にもならない。読心術やら夢に入り込んだやら、俺には理解できない芸当で拾った情報だろう。


「文通友達がね、塩が足りないついでに君のことを送ったら調べてくれた」


斜め上だ。いや、確かにこんな森で塩は得られないはず。言われてみればエアの服は王都の既製品にも見える。ラグノアの髪型が妙に都会的だった説明もつく。文明圏に協力者がいるということか。


「エアは、カイルが家族とまた幸せに暮らせるように支援ができる。じゃあ何者かって話なんだけど。改めて自己紹介するね」


「手短に頼む」


「ふふ!開き直ったね、そういうの好きだよ…エアはね、この森の端末なの」


聞き慣れない言葉だ。


「信じられないと思うけど、この森には目に見えない巨大な自我がある。開拓を覚えた人間に殺意を向けて、内部環境を維持しようとする執着って言えばいいのかな。エアも長らくその一部だった」


俺は黙って続きを促す。


「自我がはっきりしないまま何となく森を出て、虫とか鳥の姿を借りながら数百年くらい放浪していたんだけど、半世紀くらい前かな。頭が冴える瞬間がきて、その日から人の姿がとれるようになった。生殖能力はないけど美形らしいし、温かくて気に入ってる」


「高度な魔法を使ってるように見えたが、それも…その、出自に関係あるのか?」


「多分そう。王都にいた時も、皆エアより辛そうな割に大したことができてなかった。人だと効率が悪いんだと思う」


「王都にいたのか」


「そう、20年くらい前。見た目が若いでしょ?コネを使って、魔術研究院に置いてもらってた。学生に混じって暇を潰してたら、ラグノアの母親に出会ったんだよ」


「!」


「聡明な人だった。でも才能を活かす機会に恵まれなかった。卒業するなり辺境の領主に嫁がされて、産褥熱で死んじゃった」


「貴人じゃないか、どうしてエアが」


「そろそろ出産らしいって風の噂に、嫌な予感がして。近くで様子を見てたの…忍び込むのが得意だから」


厳重警備だろうが、足音もしないような奴にはさぞ簡単だろう。


「物々しかった。カイルは知ってる?王族の関係者の出産には専属の鑑定士がつくの」


俺にも分かる。初等教育で習うことだ。


「潜在的な魔力量で目の色が決まるらしいな。色に応じて王位継承権が覆ることもあるので専門家が立ち会うのだと。現王は最も位の高い透明………」


言葉に詰まる。昼間見た光景を思い出していた。魔法を使っている時のラグノアの瞳は、様々な色が混在していたが、透明と言っても良かった。


「そう。ねえカイル、どっちの目の方が綺麗だった?竜騎兵だと叙任式で会うでしょ?」

 

「…答えられない」


叙任式は大事な日だった。幼少期からの鍛錬が身を結んだ日。俺よりもひと回り若いのに威厳に満ちた王の姿。剣を賜ったのが誇らしくて、夜は眠れなかったのを覚えている。同時に入隊した仲間も同様で、夜中まで騒いでいたら揃って次の日の食事が抜きになった。この話が通じる人たちは今や手の中。強く握りすぎて掌が切れている気がする。思い出が急速に色褪せていく。


「詳しい奴が言ってた。今の王様の目は精巧な偽物なんだって。血統に問題はないんだろうけど、あの人…あの子の親がもう少し恵まれた立場なら、ラグノアが今頃女王様になってた。確実に」


「見えたぞ。彼女が王位継承順位一位になるのが面白くない連中がいたんだな?」


国教と絡めて語られるほどの歴史もあり、俺は王家を敬愛していたつもりだ。だがそれ以上に家族と友人を愛している。現王に疵があると聞かされたところで、今さら揺さぶられるような感情はない。


「話が早いね。今の王様の摂政だ。鑑定士とか…領主も買収された。父親なのに、口裏合わせて死産に『する』って言ってた。で、意識混濁で何も分かってないはずのあの人が。ラグノアの母親がね。窓の外から顔を眺めてたら、少しだけ意識を取り戻して、名前だけ教えてくれたの。ああもうエアが幸せにするしかないなって、ここに連れてきて今に至るわけ。ふふ」


ランプの灯のせいでそう見えるのだろうか、寂しげな笑顔で俺を見上げてくる。声も心なしか湿っている気がする。意外だ。食えない奴だと思っていたが、情が深い一面もあるものだ。倫理はさておき、子供を預かるなんて生半可なことではない。今のラグノアの様子からも、彼はある程度の義理を果たしていることが理解できる。


「でね、エアはカイルの立場を守ることを約束するから、カイルも一緒にラグノアの幸せを守ってほしいの」


「俺にできることであれば」


「ありがとう。でもね、これは交渉じゃないんだ」


「どういうことだ?」


「君はあの子に逆らえないの。帰ってもラグノアの幸せのために心を砕くしかない。カイルがこれからすべきことをエアは確認したいだけ。こんなのは交渉と言わないよ、ごめんね」


「どうして…何に謝っている」


嫌な予感がする。全身から汗が吹き出した。


「ラグノアの目を見せちゃったこと。『本物』は違うよね、王家はこの力で人をまとめてきたんだろうね」


現王の顔が思い出せない。俺にとって尊いものを思い浮かべようとすると、家族を押しのけてラグノアの顔が出てくる。


「そうだ、どうして君だけが生き残ったか伝えてなかった。とびきり善良なのを一人くらいラグノアに引き合わせてみたいなって、最近考えてたからだと思う。エアは意識がはっきりしてる分、ここでの…発言力って言うのかな。わがままを聞いてもらえるんだ」


後半が入ってこない。ああ、そんな理由で俺は生かされたのか。


「だからね、想像通りで嬉しい。カイルには感謝してる。初めて見た同類がカイルみたいな良い人だったから、あの子も王都に行きたいって言ってくれた。人は人の中で暮らさないと幸せになれないもの」


「そうか。じゃあ、お前たちを手土産に俺は出世すればいいのか?」


「手土産にしていいのはエアだけね、ラグノアの正体が漏れるといけない」


自分だけを差し出すつもりか。確かに、王都で暮らすとなればラグノア自身も己の出自を知らない方が良いだろう、俺にできることは何だろうか。今、俺はあまりにも自然な流れで彼女を案じている。ぞっとするじゃないか。全て疲れのせいだと思いたい。


「俺が裏切る可能性は考えてないのか?」


「いざとなれば裏切れる、と思ってた方が幸せだと思うよ」


「……よく分からないが」


「もうすぐ小屋だね。細かいことはまた話そう」


ドアの両脇に付けられた常夜灯の明かりが見える。ラグノアが起きないように彼女の横を通り過ぎ、靴を脱いで静かにベッドに倒れ込む。枕元に金属板を並べると、月明かりに照らされて銀が鈍い輝きを放つ。4人の名前の綴りを順々に眺めていたら、どっと睡魔が襲ってきた。

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