第3話 跪かれるのも
乾いたばかりの木のボウルに昼食を盛り付ける。エアが可食部を見極め、食べやすい大きさに切ったキノコと香草の山を崩す。新鮮なうえ、色とりどりで目にも嬉しい。塩と植物油を混ぜ合わせたものを適量かける。朝に焼いたパンの残りを添えたら上等なサラダの完成だ。昼食に草とパン。初日は面食らったが、意外と腹持ちが良い。手早くこれを3つ用意し、かまどに隣接した軒下の作業台から椅子付きの食事用テーブルに運ぶ。さっきまで俺とラグノアが座っていた所だ。
「ありがとう」
テーブルクロスの上に木製のフォークとカップを並べていたラグノアが器を受け取る。口角だけ上がっていて顔色が悪い。俺も似たようなものだろう。ここの食事はどれも美味いが、今は食べきる自信がない。程なくしてエアが銀製の水差しを運んできてカップを満たす。それを合図に俺たちは着席した。エアとラグノアが向かい合い、俺はエアの隣に座る。彼らは向かい合う癖がついている。俺は今朝ラグノアの隣に座ったからという理由でエアの横を選んだ。こういうものは中庸に限る。決して、今の彼に怯えているわけではない。
「……………」
咀嚼音だけが響く。俺はパンを水で流し込む。ここのキノコを食べるのは初めてだが、味が分からない。ふと、毒を疑うことすら怠けている自分に驚いた。いかなる時も自暴自棄は許されない、自分を戒める。ラグノアを見やると、目を伏せて黙々と食べている。表情が読み取れない。カップを持つ手が震えている。
「あっ」
ラグノアがカップを倒した。厳密には置いたカップから手を離すのに失敗した。エアの皿の方に水がこぼれる。
「ごめんなさい」
「へーき」
短いやりとりが交わされる。ラグノアは心底ほっとした顔で水差しに手を伸ばし、俺と目が合った。
「俺、わ、私がやろう」
動揺が表に出てしまった。ちょうど俺の近くに水差しがあった、だから彼女の代わりに注ぐ。道理だろう。差し出されたカップを受け取り三分の二ほどの水量を意識して水差しを傾ける。ラグノアの前にゆっくりと置く。いいぞ。ついでに自分のカップにも注いでおくか。パンを食べるのに水が減って仕方がない。
「しまっ…」
パンを食べ切りたい気持ちが先行して、サラダの器に水を注ぎ込んでしまった。パンが萎びていく。確かに胃の中に入れば同じことだが。水差しをテーブルの上に置き、浸水したサラダボウルを前に途方に暮れた。
「ぷっ……あはははは」
横から爽やかな声が聞こえた。俺は我に返る。
「うん…もういいや、エアはカイルのこと好きになっちゃった」
左を見る。美少年は人差し指で目尻をさっと拭い、幸福そうに微笑みかけてくる。俺の傲慢かもしれないが、目の奥に悲壮感めいたものが過ぎるのを見た。俺を視界に入れているが、焦点が遠くに在る。この目は知っている。離陸する直前の喧騒の中、両隣と交わしたばかりだ。
「ラグノア」
エアはラグノアに向き直った。声色が優しい。彼女はというと、キノコを刺したフォークを口に近づけたまま固まっている。
「食べ終わったら、カイルに見せてあげて」
「な、何を?」
ラグノアは手首を支点にフォークを振った。赤い、角切りのキノコの傘が飛んでいく。エアはそれを気にも留めない。
「決まってるでしょ、魔法!」
「えっ……?」
彼女は前のめりの姿勢で大口を開け、明らかに困惑しているが、お構いなしにエアは続ける。
「そうね、このテーブルクロスを乾かして見せるのはどう?」
「ちょっと待って。使っていいの?」
「ここには鏡もないし水辺でもないからね」
「そうだけど、だって、カイルが。カイルは外の人間でしょ」
「ふふ、エアよりも余程ヒトだね」
「じゃあダメでしょう」
「気が変わったの」
争点にピンとこないが、幼い兄妹喧嘩を見ているようだ。
「こうなったエアはラチガアカナイもんね、やればいいんでしょ、もう」
本で拾ったばかりの言葉だろうか、発音がたどたどしい。ラグノアはため息をつく。地区の祭りで伝統舞踊を舞う担当を命じられた際に、無駄な抵抗をする弟を思い出した。
「カイル、そういうわけだから早く食べて?」
あからさまに彼女の所作が荒くなっている。顎を引き上目遣いでこちらを睨んでから、黙々とフォークを口に運ぶ。八つ当たりじゃないか。大人びた印象だったが、この手のひら返しは子供の癇癪だ。
昼食は水浸しになってしまったが、けがの巧妙だろうか。かさの増したパンを平らげる。キノコは今まで食べた中でもひときわ味が良かった。生にも関わらず臭みがなく、油分を含むのか濃厚で甘味を感じた。水の中から草とキノコを拾いあげては、それなりに堪能しながら身体に入れる。
俺が食べ終わるなりラグノアはフォークを引ったくってサラダボウルごと持ち去り、速やかに全ての食器が作業台へと移された。食事用テーブルの上には大判の黒い布しかない。水を吸って色が濃くなっている。
「やりますからね、見ててくださいよ」
早口だ。声に険がある。ラグノアは右に重心を傾けて立ち、腕組みをしてクロスを見下ろす。年相応にふて腐れた態度。俺はテーブルを挟み彼女に向かって右斜め前、よく手元が見えそうな位置から見守ることにした。エアは俺の後方の木の幹にもたれ、遠巻きに眺めるつもりのようだ。距離の取り方に意図的なものを感じるが、今ここで問う気にはならない。
ラグノアに視線を戻すと、腕組みを解くところだった。彼女の背筋が伸びる。鼻から深く息を吸い、口を小さく開けてゆっくり吐きながら肩の力を抜く。両肘を胴から離して手の平を布にかざす。肘は120度ほど、指先は緩く伸ばされている。無駄のない美しい姿勢だ。
「せい!」
威勢がいい。声と同時に、彼女の手元が淡く光りだした。真っ昼間だというのに白く発光しているのが容易に分かる。おや、視界の上端が赤い。地平線に落ちる陽のような……………髪だと?先ほどまで黒かったラグノアの髪が、燃えるように輝いている。朱が黄金色に縁取られていて綺麗だ。眉も、まつ毛も同様に。瞳、ひと、み、は、いやありえない待ってくれそれは、
シュワッ。炭酸飲料の栓が抜けたような音を立て、テーブルクロスから水蒸気が舞い上がった。きらきらと、瞬く間に空気中に拡散していく。ラグノアが左手を勢いよく挙げると、彼女の頭上で布が四つに折り畳まれていく。
「今日は調子がいいなっ!」
ラグノアの得意げな声。自信に満ちた表情と手振りで、華麗に布を着地させる光景を見た。
膝が笑い、耐えられず地面にへたり込む。柔らかい土で尻が湿っていく。
「ちょっとカイル?」
ラグノアはそんな俺に気づいたようだ。テーブルを回り込み駆け寄ってくる。すっかり呼び捨てなのが可笑しい。差し出された、白く柔らかい手を借りる。
違う。そうじゃない。すべきことがあるだろう。
中腰の姿勢まで立ち上がったところで少女の手をそっと離し、右膝を突く。左膝は直角に曲げて足の裏を全て地に。甲が真上になるよう右手首を左腿に乗せ、その流れでこうべを垂れる。左手は自然と背に回る。これでいい。自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「何……してるの?大丈夫?」
困惑の声が降ってくる。しかし、こうしなくてはならないのだ。彼女に何を話すべきか分からず、問いに答えられない。
「おーい立ちくらみか?」
耳元で呼びかけられる。エアか。平手で背を叩いてくる、意外に力が強い。いつの間にか彼は俺の真横にしゃがんでいた。
「病み上がりなんだった。骨に響いてたらごめんね?」
「ああ大丈夫だ」
白々しく謝られた。背中への衝撃で若干の冷静さを取り戻しつつも、頭の中は疑問符で埋め尽くされている。
紛れもない。一年前の春、叙任式で俺を見下ろしていた瞳だった。何色とも言いがたい、あらゆる宝石を閉じ込めた万華鏡のような瞳。俺はかしづいたまま、ラグノアの爪先から目が離せないでいる。一方彼女は両膝を伸ばしたままだ。俺のうなじに刺さる視線が心地よい。すると、エアの指が俺の背骨をなぞった。耳に吐息がかかり、
(何も言うな)
低く、俺だけに聞こえる声量ではっきりと。強制力を伴う凄みを乗せ、エアは俺にそう告げた。続けて、
(今日の夜、二人で森を散歩しよう)
悪戯っぽく囁く。分かっている。痛いか、強い恐怖を伴うかだろう。きっと両方だ!何もかも忘れて今すぐに飛び去りたい。
「二人とも本当にどうしたの?」
「カイルがぼんやりしてるから遊んでたんだよ、ね」
「あ、ああそうだな。心配をかけた」
俺は左腿に力を入れて立ち上がる。ラグノアを薄目で見やるも、淡い茶色の瞳を心配げに揺らし、乱れた黒髪を指で梳いているのだった。
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