第2話 同類ではあるが


朝の甘い空気を吸い込み、俺は控えめに伸びをした。

昨日補修を手伝ったばかりの雨どいに露が降りている。ここで寝起きするようになってから半月ばかりが経った。もっとも、起きる許しが出たのはここ数日の話だが。


木組みの椅子、テーブル。石組みのかまど。水瓶。あの2人は、基本的に炊事を屋外で済ませる生活スタイルらしい。俺の知るキッチンは小綺麗で室内に設けられているものだったから、新鮮だ。

この環境であれば、確かに外で諸々を済ませた方が気持ちが良いだろう。休みの日にわざわざ街を抜け出して、壁の近くの田園地帯で野営をする友人の話を思い出した。聞いた時は理解できなかったが、ようやく彼が何を求めてそうしたのか分かった気がする。

いったい「魔の森」とは何だったのか。内部はこんな風になっていたなんて。


木漏れ日に照らされて何もかも美しく見える。春のような、秋のような不思議な陽気だ。生命の活気に溢れてはいるがわずかに死の気配もする。小屋のあるこの辺りだけが少し開けていて、あとは常緑の艶めく木立があるばかり。だが木々の重なりの奥に目を凝らしても、上から見たような暗く恐ろしい雰囲気はない。


最初は不気味でしかなかった鳥の声も、聞き分け方を教わったことで時報となった。木の葉の擦れ合う音に耳を澄ませば、歩いて数分のところの小川のせせらぎも感じ取れる。今日の水量は昨日よりも多い気がする、上流で雨が降ったようだ。娯楽がないので、耳ばかり澄ませてしまう。

上流。あの小川の上流には何があるのだろうか。俺は、この森が全体としてどうなっているのかを確かめに来たはずなのだ。


上質な獣が棲み、実り多いが、入る者を喰らう森。王都から辺境の村、集落に至るまで、この辺りの人々はよほど困窮しない限り近づかない場所だ。だが素晴らしい毛艶の鹿が出たとか、恐ろしく味の良い果実が採れたとか、なぜか噂が尽きない。森の近くで発見された狂人を保護すると行方をくらませた殺人鬼だった、なんて逸話もあると聞く。


過去に馬による探検隊も組織されたが、記録によると誰一人戻らなかった。馬は無事で、人だけが消えたらしい。追って派遣された救助隊も全滅と、悲惨な結果で終わっている。陸路での挑戦は50年前に途絶えていた。だがここ数年で状況が変わる。竜のブリーディング技術の確立。やっと安定供給されるようになった竜騎兵。空から「魔の森」を探索する発想が生まれ、資源獲得への足がかりとして上空からの測量をする計画が立てられた。名誉とおだてられ実行を命じられたのは、俺たちだった。生まれが劣っていて、2年以内の新人であることが共通項。その人選を考えると、上官たちは多少のリスクも考慮してはいたんだろう。


俺も含めて、空に希望を持ちすぎていた。ルックスをもてはやされて、森への意気込みをあれこれ新聞屋に聞かれたかと思えば、瞬く間に俺たちの姿と言葉が拡散された。父は鼻が高いだろうか、弟は学校で自慢できるだろうかと誇らしく、身を引き締めた瞬間が恋しい。実利、ロマン両面で人々の期待を背負い、盛大な見送りを受けたはずの俺たち5人が、原因不明の墜落、1人を除いて生死不明とは。その1人だって、妙に文化的、友好的な原住民に軟禁されている。


「フシャア」


食事用テーブル付きの椅子に座り頬杖をついて考え込んでいると、俺と一緒にここに落ちてしまった不幸な相棒が膝に頭を乗せてきた。規律により、俺は彼を58番、と個体名で呼ぶ癖があったが、エアはトカゲくんと呼び、ラグノアに至ってはポチと呼ぶ。今では全てに反応するようになってしまった。

馬ほどの大きさで、黒く硬い鱗に全身を覆われており、頑強な手足があり、おまけに筋張った刺付きの翼も生えてはいるが…確かに、トカゲのような顔をしているとも言えなくもない。


彼の頭を撫でながら、また考えこむ。


せめて俺たちが墜落した原因を突き止めたい。できれば他の仲間の生死もこの目で確認して、報告書に書けるような、今後の「魔の森」探索の叩き台を作るための要素を集めたい。


正直、彼らが俺を帰してくれたとしても、ここぞとばかりに失敗の責任を俺に被せる薄ら笑いが目に浮かぶ。具体的には、俺の失敗で全滅くらいの事実を作られる。そうなれば口封じに俺が処断されて終わるだろう。家族や友人と再会するには、手土産が必要なのだ。

つまり、ベッドに寝かされていた時と全く状況は変わらない。俺の命運は彼らの気まぐれにかかっている。問題は、いつこの話をするかだ。俺の立場をどこまで彼らに明かせばいいだろう。


「怪我も治ったことだし、トカゲとして第2の生を送ってみるか?58番」


つい、自嘲気味に語りかけた。弱気を感づかれたのか、フシャッ、と不機嫌そうにそっぽを向かれてしまった。おまけに、去りぎわ尾で背中を引っ叩かれたのである。彼には、既にお気に入りの場所がいくつかあるらしい。その一つに行くのだろう。


「傷つくなあ」


俺はひとりごちた。墜落してから、四足歩行をする彼しか見ていない。彼はもう誇り高きトカゲなのかもしれないし、俺はというと、森の原住民の仲間入りか?


底知れない美少年のエアは、朝食後に「見回り」と称した採集に出かける。今日もかごを携え、木立の中に消えた。太陽が真上にくる頃には、見慣れぬ木の実や香草でかごを満たし戻ってくるはずだ。エアが「見回り」から戻ってくるのは、悔しいが楽しみだ。いかにこの辺りの植生が多様性に満ちているのかが容易に理解できる。


素朴な少女、ラグノアは桶に肌着や寝具を山盛りにして川に向かった。同行を申し出たが、病み上がりなんだから安静にしてくださいと断られてしまった。

俺は、使用済み食器を水洗いして吊るしておくことだけ頼まれていたが、それがとっくに終わって、非常に手持ち無沙汰だった。


ラグノアが戻ってきたら洗濯物干しを手伝いたい。暇だと余計なことを考えてしまい苦しくなる。


…薪割りくらいなら俺にもできるんじゃないか?

台に乾燥済みの木を乗せ、シンプルな造りの金属製の斧の柄を何度も握り直す。小屋のドア付近の壁に立てかけてあったものだ。刃先を指でなぞる。ほう、手入れが行き届いてるじゃないか。エアが斧を研いでいる場面を見たことはないが、彼もなかなか、


「カイル!!!!!!」


ラグノアが洗濯桶を放り出しそうな勢いで駆けてきた。


「ああ、これは….」


彼女は洗濯桶をテーブルの上に置き、弁解する余地を与えず俺から斧を取り上げる。


「またベッド生活でもいいんですか?」


眉を困らせて詰め寄ってくる。彼女が斧を両手で構えると、ちょうど俺の首に刃が向くので一定の距離を取るために合わせて後ろに下がる。


「えっと、綺麗に手入れされてるなーと思って」


俺は苦し紛れに笑った。ラグノアの顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか!?私が研いでるんですよ、嬉しいな」


危なかった。気が抜けていたらこれはエアが?なんて聞いてしまうところだったぞ。

彼女の頭は俺の胸の高さにあり、目を合わせようとすると上目遣いをされる格好になる。小型犬のようで可愛らしい。他意はない、俺の同僚たちも同じ感想を抱くはずだ。


そう。髪型もだが、彼女は妙に都会っぽいのだ。こんな森の中で訳のわからぬ少年と暮らしていて、自分を魅力的に見せる所作を体得するものだろうか。

髪は黒。目は淡い茶色。小柄。顔つき以外の身体的特徴を挙げるにも全て凡庸な上に、半袖のボタン式シャツはよれよれで、果物の汁と思しきシミが点々とついている。膝下まである農民のようなスカートも似たり寄ったりだ。それなのに、立ち居振る舞い?声?どこがと言われれば困ってしまうが、美しく、好ましく、洗練されているように思えるのだ。彼女は彼女で得体が知れない。

ラグノアはこんこんと、刃物の手入れにいかに苦心しているか語ってくれている。

感覚的な言い回しが多いものの、十二分に実践的な内容だ。次に武器や鎧のメンテナンスをする際は試してみたくなる。無論次があれば、だが。


決まった木から木へとロープを渡し、なるべく日のあたる場所を選んで洗濯物を干す。連日のこの作業も慣れてきた。


「あ、私気になってたんですけど」


シーツの隅を半分ずつ担当し、二人でシワを伸ばしている時、ラグノアは話題を変えた。昨日は王都の家畜事情を聞かれたが。


「カイルさんには家族っているんですか?」


意表を突かれた。一昨日の晩飯でラグノアとエアを見比べて関係性を質問しかけた時、エアから険悪な空気が発せられたので避けていた話題だ。


「両親と弟がいる」


嘘をついても仕方がない。手短に切り上げるか。


「素敵!」


ラグノアは目を輝かせた。


「エアに悪いんじゃないかと思って、聞けなかったんです。ケツエンカンケイ?のある人中心に集まって暮らすんですよね、普通」


「普通……そうだな、養子をとる場合もあるが…私と弟は父と母から生まれた」


彼女の素性が分からないため、慎重に言葉を選ぶ。


「じゃあご家族みんな背が高くて、その…カイルさんみたいに綺麗な銀の髪なんですか?」


ラグノアは空になった洗濯桶を抱きしめて顔を赤らめる。


「私は父親似で弟は母に似てるんだ、母は小柄で黒髪…でも肌と目の色は全員同じだな」


喋りすぎたか?ラグノアは俯いてしまった。


「いいなあ。私、森に捨てられてて、小さい頃からエアに魔法を仕込まれてるんですけど。あんまり違うものだから時々不安になるんですよ」


初めて聞く声色だ。明るく話そうと努める気配はするが、陰りが隠せていない。それより、小さい頃からエアに魔法を?二人の素性を探るいい機会だ、慎重に。


「どう違うんだ?」


「エア、私が物心ついた時からあんな感じなんです…ちょっと待っててくださいね!」


ラグノアは桶をたずさえ駆け足で小屋に向かい、手ぶらで戻ってくると俺の横を素通りしてテーブルに就いた。体勢を整えて話したい内容だということか。俺も座るよう身振りで促してくる。


「失礼。それは、容姿が変わらないと…?」


彼女の向かいに腰かける。エアの魔法の熟練度は俺の常識から外れている。見た目通りの年齢でないことは予想がついていたが、念のため確認をする。


「はい、爪も伸びません。カイルさんが来てから気になっちゃって」


ラグノアは前髪を整えながら言葉尻を濁した。エアには申し訳ないが、予想よりも化け物じみている。目の前の少女はやましい話をしているつもりなのか、居心地悪そうにテーブルの上で組んだ指を動かしている。


「少年の姿で成長が止まっているだけでなく、爪も…おそらく髪も伸びないんだな?私の知る限り、そんな生き物はありえない。彼は何者なんだろうな」


俺は核心に踏み込む。ラグノアは、きっと目を見返してきた。


「エアのことは大好きです。過保護な親だとも、厳しい師匠だとも思っています。ただ、この森の生き物の中で、エアだけが仲間外れなんです。私、カイルさんが目を覚ますまでの間、暇さえあればお顔を見ていました。気づいたんです、私とおんなじだって…エアと違って……」


苦手だ。俺は頭の中が真っ白になった。ラグノアが声を詰まらせ泣いている。大粒の涙だ、ハンカチを持ち歩いていればよかった。仲間外れとは?聞きたいのに頭が働かない。


「……驚かせてごめんなさい!」


俺が茫然としていると、ラグノアは手の甲で豪快に目元を拭い、笑顔を作った。


「とにかくですね、私、エア以外の人と初めて話せて嬉しいんです。王都の話、カイルさんみたいな人がたくさん暮らしてる場所のことをもっと聞きたいです」


スンスンと鼻を鳴らしながら、充血した目で首を傾げる。頬まで流れた水分が光る。


「別に構わないが、魔法…が使えるのであれば、王都に行ってみるのはどうなんだ?素質のある人を無償で教育する機関がある」


自分でも動揺しているのが分かる。ラグノアを案じるあまり、後先を考えず余計なことを言った。実際、魔法の素質のある者は生まれを問わず王都の魔術研究院に集められる。魔法に好意的な地区では卒業生が重宝されていると聞く。腕次第ではあるが、王都に来れば、俺なんかに会ったくらいで泣くような境遇、


「王都……!!行ってみたいです!考えたこともなかった」


ラグノアは一点の曇りもない晴れやかな声を上げた。先ほどまでの憂いはどこかに消え、艶っぽさとあどけなさとが混在する笑顔を浮かべている。寒暖差に風邪をひきそうだ、見かけによらず猪突猛進なのか?第一、純粋な女の子を唆すのは悪と決まっているじゃないか。


「し、しかし、ラグノア…さんにも事情があるだろうし、彼とも」


相談して、という言葉が継げなかった。ラグノアが俺の後ろに焦点を合わせて固まっているのに気づいたからだ。


「王都に行きたいんだね、ラグナ」


真後ろから無機質な声がした。振り向く。今日は色彩豊かなキノコを見繕ってきたようだ。エアは眉を上げ、薄い唇をほとんど動かさず、


「お昼ごはんにしよっか、手伝って」


顔つきも言葉も昨日とまったく同じだ。俺たちは無言で従う。気づけば陽は真上に昇っていた。

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