何が何でも滝を見に行こう
朝起きて私は軽く絶望した。
「え、11時……?」
時計を何度か確認するが時間が巻き戻ることはない。
正真正銘時計の針は11時を指している。まあ私の部屋の時計はデジタル時計なので、正確には11:00と表記されているのだが。
細かいことはいい。そこは雰囲気でカバーだ。
これを書いている今でこそこうやって落ち着いているが当時の心境は複雑だ。
そうそれはまるで朝目覚めると出勤時間を過ぎていたあの時のような絶望感、頭の中が真っ白になる虚無感。
人生において遅刻をしたことがある人ならばわかってもらえるであろうあの時の絶望感に限りなくそれは近かった。
まあこの計画はしょせん一人で立てたものだし、誰かに迷惑がかかるわけでもない。その点に気づけば冷静さを取り戻すのはすぐだった。
ただ冷静さを取り戻したからと言って、時間が戻ってくるわけではない。
私は寝起きの回らない頭で悩みに悩んだ。
行くのか? 今日はもうやめていつもと変わらない自堕落な一日を過ごすか?
行ってしまおうか? 一度家を出てしまえば後戻りはできないぞ?
なんせ目的地は100km先だ。一度出てしまえば何が何でも目的地に着かない限りは後戻りなど許されない。のこのこと途中で帰ってきでもすれば、ただのガソリン代の無駄になるだけだ。
私はぐるぐると悩み続けた。かれこれ20分は悩んだのではないだろうか。
私は悩む思考の中再び冷静に考えてみた。
ロスタイムは2時間。目的地に着くのは16時過ぎ。日没はだいたい19時くらいか。
日没までにハイキングコースを往復して滝も見れるはずだ。
「……よし、行くか」
滝が見れるのであれば行くしかない。帰りは深夜になる。しかしもともと夜に帰ってくる予定だったのだ。帰りが2時間くらい遅くなるのは別段問題ではない。
行くと決めてからの私の行動は早かった。これは長年の遅刻癖が染みついていた経験値の成果であろう。わずか10分で身支度を済ませた私は家を出る。
ああちなみに遅刻癖が付いている私ではあるが、ここ一年は遅刻をしていない。
一年前はしていたのかといわれればぐうの音も出ないが、そこは環境の変化に慣れていなかったと言い訳をさせていただきたい。
そんな自慢にもならない言い訳はおいといて、私の経験が活きてロスタイム2時間半11時半に家を出ることに成功。
旅のお供である原付にまたがる。今日はこいつにも無理をさせる。一緒に旅を楽しもう。
そんな若干浮かれた気分で原付を眺めていると、なんということだろうか。
最近家の前で巣を作っている燕のものであろう糞が付いてしまっているではないか。なんとも先行き不安なスタートである。
糞をきちんと取った後原付にまたがり、携帯をセットしてナビをスタートさせる。
イヤホンができないので音声が聞こえないのもまた不安ではあるが、こればかりは仕方がない。
ああちなみにその時の天気は天気予報通り、若干晴れ間が見える曇りであった。気温的には最高に過ごしやすいドライブ日和である。地面も乾いていてスリップの危険性も少ない。
気象庁、天気の子様様である。
こうして私の片道100kmの日帰り旅行は始まった。
走行時間一時間、走行距離20kmほどといったところだろうか。
私の原付ドライブは非常に順調だった。平日の昼間というのも相まってか車通りも少ない。
周りの景色を楽しみながら私は走行できていた。
しかし徐々に雲行きが怪しくなってきた。
いや天気の話ではない。天気はむしろ良くなっていく一方で晴れている。
どうも今走行しているルート、見覚えがあるのだ。なぜかひどい既視感を覚える。
そうそれは以前の滝を見行こう計画で奇しくも挫折したルート、バイパスルートにひどく似通っていた。
しかし今回は問題がないはずだ。なぜなら私は徒歩ルートで走行しているからだ。徒歩ルートでバイパスに通されるはずがないのである。たまたま目的地に行くにはこのルートを通るだけであって、すぐ間近に迫ったバイパスを案内されているわけはないのだ。そうだろうナビさんや。
そんなことを心の中でしゃべりながらナビにちらっと眼を向ける。
「……なんで!?」
ナビが示していたのは間違いなくあの日、私がUターンを余儀なくされたバイパスへ入れという指示だった。
いやいやいやおかしい。だってそうだろう? 歩行者と自転車は禁止の自動車専用バイパスに徒歩ルートナビが案内するなどあってはならない。
純粋な人が歩いてバイパスに入ってしまえばそれは大ごとだ。
もちろん私もナビの指示に従うわけにはいかずバイパスを素通りすると、近くの路肩に停止した。
ナビさんナビさん、これはどういうことですかね。あなたが仕事をしてくれないと私は路頭に迷ってしまうことになる。
いくら周りに見覚えがあるかといってここからナビなしで、帰ることなど無理。
方向音痴をなめるんじゃない、ここから自宅とは逆方向に突っ走る自信すらある。
私は原付から降りて混乱しながらナビをよく見てみた。
するとどうだろう。最初に徒歩ルートで設定していたナビはいつの間にか車用ナビに変わっていた。
いつからだ!? いつから私はナビにミスリードされていたんだ!?
冷静に考えれば徒歩ルートにしては確かに大通りが多いな、脇道案内が少ないなとは思っていた。
そこまで考えて私は思い至る。
最近のスマートフォンは優秀である。あの一世を風靡したなんとかGoは速度が速すぎると、ゲーム画面上に注意喚起のメッセージが表示される。
そして私が使うiPhoneのナビもこれまた優秀である。
まさか私がずっと時速30kmで走っているものだから、ナビが徒歩ルートから車ルートに自動で、ナビにとっては優しさという名の残酷な仕様によって変更していたのではないだろうか。
考えられない話ではない。時速30kmで20kmを走り続けられる一般人がどこにいるだろうか。そんな人いないに決まっている。
それを見透かしていたこの有能なアップル携帯は車用にシフトチェンジしていたのだ。そしてそんなことには気づかず私はナビに従って、このバイパスまで誘導されたわけだ。
私はその推測を立証するためにバイパス周りを徒歩用ルートでナビをセットして、走行を開始した。二度三度繰り返した。同じルートを険しい表情で原付で走行している。入れもしないバイパスの周りをぐるぐると回っている完全に不審者である。
そして私は確信した。
こいつ走行を始めて10秒くらいで車用ルートに切り替えてやがる……!
私は迷った。このままではあの日の繰り返しである。しかし今日は何が何でも滝を見に行くと決めたのだ。あの日の思い付きでの行動ではない。私の決意は固い。
私はiPhoneのナビを閉じると、すぐ隣にグループ化していたナビを開く。
そうGoogleナビである。何を隠そう私は二年前まではアンドロイド勢だった。
今ではすっかりアップルのとりこではあるが、このGoogleナビは私の歴史において、その信頼性は非常に高い。いくら自転車でスピードを出そうが、徒歩ルートを貫き通してくれる確証がある。何度もお世話になったものだ。
私はお前を信じているぞ。ただしGoogleナビはiPhone付属のナビに比べて無茶苦茶なルートを示してくることが多々ある。時と場合での自己判断が要されるだろう。
そんな挑戦状を受ける気分で『安部の大滝』のルートを表示する。
目的地までの距離110km。
……私の1時間が無駄となった瞬間である。なんで一キロも進んでないどころか10キロも増えているのか。
しかし私はこの時妙な気分だった。それはまるで部活の最後の総体前のアドレナリン全開のような気分。
「面白い、やってやろうじゃないか」
私は独りほくそえみながら携帯をセットして原付にまたがる。
そうバイパス付近の路肩でである。この時車が通らなかったからよかったものの、誰かに見られていたら完全に通報されているレベルの不審者である。
私は原付のエンジンをかけ走行を再開した。
旅はまだまだ始まったばかりだ。
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