第2話

 もう一人の美少女はどこから来たのだろう。

 全裸の少女が抱きついたと思えば先生が破裂し、ついさっきまで立っていた場所に突如としてもう一人、少女が現れた。見たままの感想を言うなら、体育教師が美少女に生まれ変わった。

 中年男性から生まれた美少女。

 現実と呼ぶにはあまりに唐突で異常な光景に、下世話な野次馬も言葉を失う。異変に気付かず愚直に授業を続ける教師の怒声が虚しく響き、日常と非日常の混在に脳がついていかない。

 二人の美少女が手を取り合う姿は、ただ美しく思える。白磁の如き肌に血飛沫を散らせ、血溜まりを裸足で無造作に歩く猟奇的な一場面にも関わらず、僕の頭は泉のほとりで戯れ合う妖精を連想している。これだけ近く、直線で言えばたかだか数十メートルの距離で人一人が訳も分からず死んだというのに、まったく実感が湧かない。

 それは他の生徒、教師も同じようだ。手を繋ぎ仲睦まじく歩く二人の美少女は誰に止められることもなく校舎に入る。

 それから数十秒後、東棟の一階、一年生の教室が集まる辺りで、連続して破裂音が響いた。

「いやああーーー!!」

 喉の使い方を思い出した誰かが叫ぶ。末尾のひび割れた金切り声にようやく意識が覚醒する。

 逃げなければ。

 一拍置いた危険信号を誰もが受け取った。それは焦りとなり、混乱を呼んだ。

 罵声と怒号、それと絶え間ない足音。一階の窓から次々と生徒が飛び出し、そのうちの何人かは半ばのところで破裂した。校舎の壁がバケツの中身をぶち撒ける勢いで赤色に染まり、逃げ惑う生徒達を塗り潰していく。

 そしてまた、美少女が生まれる。

 どうやら、破裂した人間全てが美少女になるという訳ではないらしい。人数が合わない。しかし、破裂から美少女が生まれるのは明らかで、ならば、美少女は指数関数的に増えていく。校内が美少女で溢れかえるのは時間の問題だ。

 至る所で響き渡る騒音にせっつかれ、慌ててベッドから降りる。保健室の戸を開くと、目の前をひと固まりの生徒達が駆け抜けていった。勢いに気圧され腰が抜けそうになるが、遅れるわけにはいかない。

 学校のように細く長い廊下で構成される建物は渋滞が起きやすい。巻き込まれれば身動きも取れないうちに死ぬだろう。

 走る生徒達の背中を追って西側に走る。息切れしながら廊下の端まで走り抜き、人混みの隙間から階段を見下ろして驚愕した。

 人で埋まっている。横幅一杯にまで人が詰まっていて、それがずらりと階下まで続いている。無理に降りようとして潰される者や、押し合いの中で流血している者もいて、地獄の釜の様相と化していた。

 階段は使えない。ごった返した行列の後ろについても校外に抜けられるのはずっと先だ。それに、美少女は一階から増殖を始めているはずで、先頭が接触すれば芋蔓式に全滅する。

 並んで待つ危険の方が遥かに大きい。何処かに隠れて機を伺うことにし、一先ず保健室に戻ろうと踵を返す。

「ぎゃあ!!」

 また犠牲者が出たのだろう、階下から誰のとも分からぬ悲鳴が響く。伝染した恐怖は集団を瞬く間に支配して、狂乱の渦に巻き込んだ。

「ひっ」

 人が逆流する。壁と形容しても遜色ない人の波が迫り、避ける場所もなく奔流に飲まれる。我先に行かんとする生への執着心に他者を省みる余裕があるはずもない。僕は振り返ることもできずにただ流されていく。

 肩が、肘が、ぶつかり通り過ぎる。痩せた体に降り注ぐ容赦のない衝突は苦悶の声を上げても止まることはない。誰かが振り上げた拳が顎先を叩き、視界が左に傾いた。

 揺れる意識の中、いつかテレビで見た群衆事故を思い出す。集団が人を圧し殺すなどあり得ない話と思ったが、その恐ろしさを身をもって知った。

 押され、倒され、踏み潰されて、塵のように死ぬ。

 僕には似合いの死に様だ。群衆事故の被害者には同情するが、多量の人の中に囲まれながら孤独と無力の中で迎える終わりは僕が生きる今とよく似ている。希望を捨て切れずここまで醜く生き長らえてきたが、悪意のない人々の混乱によって仕方なく殺されるのであれば悔いはなかった。

 寧ろ笑えた。得体の知れない脅威が迫る中、全く関係のないところで死ぬ。死後の世界を信じてはいないが、もしも話し相手がいるなら土産に丁度いい馬鹿話だ。

 ゆっくりと目を閉じて、勢いを増す人波に身を任せる。痛みが熱となり、自然と膝の力が抜ける。

「瑪瑙くんっ!!」

 意識すらも手放そうとしたその時、襟首を掴まれ力づくで引っ張られた。脱力した体はゴム人形のように軽々と引き寄せられ、勢い余って床に放り出される。

「大丈夫か瑪瑙くん!」

 白いタイル張りの床。事務机とパイプ椅子。ホワイトボード。トロフィーや盾を並べたショーケース。激しく流れる人波とは打って変わって静謐とした室内。

「ギリギリだったな」

 額に汗を浮かべたクラスメイトの杉石すぎせききく君が、僕を気遣うように見下ろしていた。

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